第5話
*
馬車に乗った瞬間、あまりの豪華さにルティは一瞬言葉を失いかけた。
長距離にも耐えられる心地のよいビロードのソファに、滑らないように足元には絨毯が敷かれている。
青い心臓に剣と盾が描かれているクオレイア家の家紋のタペストリーが、天井に見事に貼られているのも素晴らしい。
自分が使う辻馬車とは雲泥の差すぎて、少々緊張してしまう。
「馬車がこんなに素晴らしい乗り物だと初めて知りました」
感想を誰にともなく呟いていると、オーウェンはルティの膝の上で大人しくしているボーノをまじまじと見つめてくる。
穴が開くほど凝視したあと、あきらめたように息を吐いた。
ルティはレイルやオーウェンに調理されないようにしっかりボーノを抱きかかえ、見せびらかすようにもふもふの脇腹に顔をうずめてみせる。
ボーノの背中はクリーム色だが、お腹は真っ白で一段と毛並みが柔らかくふわふわなのだ。
「……やはりただの子豚に見えるのだが」
一番のお気に入りのお腹を見せてもなおただの子豚だと言われてしまい、ルティはオーウェンを恨みがましい目でにらむ。
「これから偽物とはいえ恋人になるのに、どうして私の家族であるボーノを悪く言うんですか!?」
「悪く言うもなにも、豚は豚だろう」
珍しく言い返しているオーウェンと、訂正するまで絶対に諦めないと言わんばかりのルティの間に、「まあまあ」と言いながらレイルが割って入ってきた。
「恋人役なんだから、二人とも仲良くしてってば」
レイルの一言に、ルティは怒りを吞み込んで姿勢を正して謝った。
「首都までの少しのあいだ、『偽恋人計画』のおさらいをしようか」
レイルの提案に、ルティとオーウェンは頷く。
「じゃあ始めるよ!」
まずは今日、オーウェンと『愛し合っている恋人』のルティが、公爵邸にやってくることから『偽恋人計画』は始まる。
レイルは人差し指をピンと立てた。
「初めに、公爵邸の使用人とメイドたち。彼らに二人の関係を疑われないようにすること」
屋敷の使用人たちは、議会の意向によってオーウェンの恋人が屋敷で寝泊まりすると知っている。
「だけど、いきなりのことで『愛しあっている恋人』の存在を疑っている使用人も多い。特に僕的にはメイド長が強く疑っているように感じている。ウソがばれないように細心の注意が必要だよ」
使用人を伝ってオーウェンの恋人は偽物だという話が広がれば、王都から監査役がやってきてしまう可能性がある。
悪いことに、監査役は折り合いの悪いクオレイア家分家の当主、オーウェンの叔父であるフェルナンド準公爵だ。彼は当主の座を狙う野心家でもある。
もしも彼が来るようなことになれば、足元をすくわれかねない。
「よっぽど悪い噂がない限り、監査が来ることはないけどね」
「でも、注意が必要ですよね」
ルティは貴族の地位から修道女になった身だ。それも親族のてのひら返しによって。だから、オーウェンが置かれている状況は人ごとのようには思えなかった。
「心してお仕事します」
レイルは「次に」と切り出した。
「オーウェンの部下たちにも『恋人』だと思わせること。騎士たちも屋敷を出入りしているから、嘘だとバレないようにする」
部下に露見すれば、あっという間に王弟殿下の耳に入る。
そうなれば言い逃れできず、殿下もこれ以上オーウェンを擁護することが難しくなってしまうだろう。
オーウェンは虚偽申告で近衛騎士を罷免される可能性が高まるというわけだ。
ルティは神妙な面持ちで頷いた。
「最後に。誓約通り、殿下主催のパーティーに参加すること。もちろん『恋人』ですっていう顔をしてね」
言わずもがな、絶対に成功させなくてはいけない最大のミッションだ。
「『偽恋人計画』が上手くいき落ち着いてきたところで、ルティ嬢は修道女として神に忠誠を誓った身のため、神への裏切り行為に心が耐えられず破局……という流れの予定だよ」
ルティは頭の中に計画をしっかり入れた。
「……ネックになるのは、オーウェン様の体質ですね。『熱愛アピール』をしないといけないのに、人に触れないのは難点だと思います」
オーウェンの体質は、両親と姉や親戚の一部とレイルにしか知られていない。
つまり、それほどの秘密であるということだ。オーウェンの体質が周知されてしまわないようにすることも考えないといけない。
「ちなみに痛みが出ないようにする方法はないのですか?」
「あったらとっくにしている」
オーウェンは肩をすくめた。それもそうだな、とルティは息を吐いた。
「ちなみに、私のことを信用して触ってもらうことはできないでしょうか?」
とたん、オーウェンの目は冷めたような色を浮かべた。
「……君がわたしに悪意を持たないと言い切れないだろう?」
「そんなこと」
「のちのち、わたしの地位や権力を利用してやろうと、悪だくみしないとも言い切れない」
嫌そうな表情とあまりにも冷え切った声音に、ルティは少々肝を冷やした。
たしかに人として絶対に悪意を持たないとは言い切れないが、現時点でルティはオーウェンに対してやましい気持ちもなにも持っていない。
だから信じてほしかったのだが、彼はかたくなに拒否している。あまりしつこくするのも良くないと感じてルティは引き下がった。
「では、どうやって『熱愛アピール』をしたらいいのでしょう?」
オーウェンは手袋をしている手をぐーぱーする。
「素手は無理でも、物理的に表皮を遮断していれば他人に触れられる」
なるほど、とルティはオーウェンの手袋の理由に納得した。
「でしたら、手袋をしたまま恋人のふりをすれば問題なさそうですね」
それに、とルティは続けた。
「今までオーウェン様が女性と親しくしていなかったのでしたら、私が隣にいればそれだけで『愛しあっている恋人』に見えますよきっと。私の平凡さが際立つ見た目についてはさておいて」
「見えるわけないだろう! なんて花畑な脳内をしているんだ、君は」
オーウェンはあきれたように眉根を寄せている。
「ルティ嬢には悪いけれど、それだけじゃ決定打に欠けるなぁ」
黙っていたレイルが神妙な面持ちで口を開いた。
「今までオーウェンが塩対応をしていたからと言って、女性と一緒にいるだけで『熱愛アピール』になるとは思えないし『愛し合っている』ようには見えないよ」
「そういうものですか。てっきり、隣に並んで微笑み合っていれば、それだけで幸せな恋人の二人だと思っていたのですが……」
「そんなわけあるか」
オーウェンににべもなく一蹴されてしまった。
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