【短編】電車の中の忘れ物
佐藤純
第1話 電車の中の忘れ物【前編】
「アイスが忘れてある。」
休日、郊外への閑散とした電車に乗り込み、僕は彼女と並んで座る。彼女が対面の座席を見て、先程のセリフをつぶやいた。
小豆色でベルベット調の生地の座席には、無造作にコンビニのビニール袋が置いてあり、中にはミニカップのアイスクリームが二つ入っている。
「ゴミを置いていったのかな?」
「うーん、でも容器の結露が綺麗についてるし、中蓋のフィルムが剥がされてないね。スプーンも未開封。」
電車の中に他のお客さんがいないことをいいことに、彼女は立ち上がり、袋の中身をしげしげと確認しにいく。
「普通、アイスって、電車に乗る前に買うかな?」
彼女は、こっちの座席に戻りながら、僕に問いかける。
「どうしても、食べたかったんじゃないかな?」
僕は、反吐がでそうな程ありきたりの解答を述べてしまった後に、はっとした。『あなたは想像力が足りない』と、いつも彼女に怒られるのだ。
「でも、家に帰るまでに溶けるよね?」
彼女は考えにふけっていて、いつものセリフを忘れてしまったようだ。僕はほっとして、想像力を働かせる。
「本当はその場で食べるはずだったのかも。でも、何らかの事情で持ち帰らなきゃいけなくなったんじゃない?」
「その場で食べる予定だったなら、レジ袋は貰わないと思う。」
彼女は、独自の推理を展開しているようだ。
「レジ袋自体が欲しかったとか?ほら、ゴミ袋にしている人がいるだろう?」
「全然エコじゃないね。」
「そう、エコじゃないね。人間はなかなか生活スタイルは変えられない生き物だからね。」
「じゃあ、このアイスの忘れ主は、わざわざ電車を乗る前にゴミ袋にするためのレジ袋が欲しくて、アイスを2つ買った。そして、その場で2つアイスを食べるはずだったけど、急遽電車に乗らざるを得ない、のっぴきならない事情ができた人ってこと?」
「そうまとめられると、無理があるね。」
「美しくないよね。」
美しくない。これも彼女がよく使う言葉だ。僕には彼女の美しいと美しくないの基準がいまいちわからないときがあるが、今回の美しくないは、たぶん少し共感できている。
彼女はいったい、この何の変哲もないアイスから、何の妄想を膨らませているんだろうか。一度、彼女の頭の中をのぞいてみたいものだ。
「こういうのはどうかな?」
僕は彼女との妄想にできるだけ付き合おうと、普段は使わない脳の一部を稼働させるように、突飛なことを想像してみる。
「とある犯罪をおかしてしてしまって、そのアリバイにアイスを買ったんだ。」
「どういうこと?」
彼女が怪訝そうに、でも少しわくわくしたような顔で聞いてくる。彼女は『あなたとの一見無意味なような会話が、とても楽しいの。』と、僕に言ってくれた事がある。彼女のわくわくした表情を見ると、いつもその言葉を思い出す。
「たとえばさ、死体のそばに、溶けてないアイスがあったらどうする?」
「このアイスが溶けてないうちにお亡くなりになった、と判断してしまうわ。」
「そうだね。警察が来た時には、食べかけのアイスが溶けてなくて、現場は密室だったり、死亡推定時刻があやふやだったり、そんな事からアイスがとても重要なキーになるのかも。」
「でも、なんで犯人はわざわざアイスを買って電車に乗ったの?殺人現場の近くにもコンビニはありそう。」
「少し溶かしたかったのかも。電車に乗るのがちょうどよい時間だったのかもね。」
「名探偵だね!」彼女はふふふと笑って、あたかも自分は名探偵の助手ですと言わんばかりに、腕をくんで、まとめ始めた。
「つまり、密室殺人を犯した犯人は、死亡推定時刻を誤魔化す算段をいっぱいとっていた。その中の一つに、隣駅でアイスクリームを買って、あたかも発見直前に犯行が行われました、という状況を作りたいんだ。」
「そうそう、自分がその間にアリバイを作るのさ。」
彼女がワトソンなら自分はホームズだとアピールをするためにパイプタバコをくわえるジェスチャーをする。
誰もいない電車だからか、いつもより少し大袈裟に会話してしまう。
-後編へつづく-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます