2、思わぬ婚姻


 書庫の薄闇うすやみにたゆたう無数の火の粉。

 その主はカナヤだ。

 

 これもたわむれだった。

 窓枠を指で叩くと、火の粉の振る舞いはガラリと変わる。

 さながら舞踏会だ。

 漂っていただけの火の粉たちは、輪を描くようにしてそれこそ踊るように飛び回る。


(多分、それなりじゃない?)


 窓枠で頬杖ほおづえを突きながらに、カナヤは自らについてそう評価した。

 おそらくではあるのだが、自身のの腕は素人に毛が生えた程度のものではないことだろう。


 教わったわけではない。

 貴族の教養として、招いた魔術師に教えをうたわけではない。

 ましてや魔術の最高峰──学院にて、その薫陶くんとうを受けたわけではもちろんない。


 だが、理解出来たのだ。


 広大な書庫には、魔術に関する教本、専門書が豊富にあった。

 ひまつぶしにと目を通した。

 魔術は非常に専門的かつ難解なものとして知られている。

 理解出来るとは思わなかった。

 だが、出来た。

 記されてあることの全てがに落ちた。

 実践も容易だった。

 思うがままに、書物にある全てを現実のものにすることが出来た。


 向いていた。

 そういうことだとカナヤは理解している。

 

 とにかく、魔術が使えるのだ。

 これが自身を無用のままにするのかどうか?

 カナヤの判断は否だった。

 再び窓に目を向ける。

 10歳からの7年、かなりの頻度ひんどにおいて窓越しに怒声を耳にする機会があったのだ。

 書庫にこもりきりの生活の中で、エルミッツ家の実情などはまったく理解してはいない。

 だが、まったく敵のいない優等生的な家で無いことは想像に難しくは無かった。


 世間で魔術がどう活かされているのかも、カナヤには知り得ないところだ。

 だが、これが単純に武力になり得ることは分かる。

 書庫を舞う火の粉程度にしろ、これが人に向かえばどうなるのか? 軽い火傷ではすまないに違いない。


(まぁ、きっとね)


 窓越しの曇天どんてんをぼんやりと眺めながらに考える。

 魔術を使えることが公になれば。

 父親の知るところになれば。

 現状はきっと変わるはずだった。

 役立たずとしては扱われない。

 使用人たちの侮蔑にさらされることも無い。

 屋敷に閉じ込められるだけの人生からも抜け出せる。


 ただ、カナヤはため息を1つ。

 窓枠に力なく体を預ける。


(どうでもいい……)


 そうである。

 心の底からどうでも良かった。

 魔術が使えることを打ち明ければ、周囲の態度はきっと大きく変わるだろう。

 だが、それが至極どうでも良い。


 嘲笑を浮かべていた侍女たちに、多少態度を取りつくろわせたところで何だというのか?

 父親に侮蔑以外の表情を作らせたところでそれが何か?


 そもそもとして彼らと関わりたいとは思えなかった。

 いや、彼ら以上にだ。

 誰かに関わろうとは思えない。評価されたいとも思えない。

 それこそ、どうでもいいのだ。

 カナヤは目を閉じる。

 これで良いのだと思えた。

 この書庫でひとり過ごし続ける。

 誰かとのふれあいなどは最低限に、一人平穏な時を送る。

 それが最善だった。

 だが、現実はなかなかそうもいかない。

 カナヤはうんざりと薄目を開ける。


「あーあ」


 わずかだが足音が聞こえたのであった。

 書庫に近づいてくる足音だ。

 カナヤは「はぁ」とため息をもらし、窓枠を軽く指で叩く。宙を埋めていた火の粉の群れが一瞬で消える。

 書庫が薄闇に戻り、直後に扉が開かれた。


「……ふん。相変わらず陰気な場所だな」


 現れたのは、侍従じじゅうたちを従えた壮年の男性だった。

 長身の痩躯そうくであり、額に寄ったシワと合わせて陽気な人間には決して見えない。


 彼はカナヤに不機嫌そうに目を向けてきた。


「そして、陰気なヤツだ。カビが生えても何もおかしいところは無かろうな。いや、もとよりカビも当然か?」


 その侮蔑の言葉に対し、カナヤには思うところはなかった。

 なにせ慣れている。

 いつも通りにと立ち上がり、彼に頭を下げる。


「……ご当主。お久しぶりでございます」


 一応のこと、挨拶も添える。

 こうしなければ後がうるさいからだ。

 ただ、案の定である。

 こうしたところでわずらわしさ自体の変化は期待出来ないらしい。

 

 彼──エルミッツ家の当主であり、カナヤの父親であるエラルドは不快そうに顔をしかめた。


「声もまた何と言うべきか。お前は人の気を逆なでするために生まれてきたのか? まったく、不愉快極まりない」


 これまた慣れた侮蔑である。

 ただ、思うところは正直あった。


(だったら、わざわざ来る必要は無いでしょうに)


 まるで釣り合っていない発言と行動には、やはり多少は呆れてしまう。

 ただ、彼のふるまいについて理解が示せないかと言えばそれは違う。


 おそらくは憂さ晴らしだった。


 たびたび聞こえる怒声から推測出来る。

 ノルヴァ公爵などという大層な肩書を持っている割には、彼には上手くいかないことが多いようなのだ。

 よっての憂さ晴らしだ。

 嫌味をグチグチと連ねることで、日頃の鬱憤うっぷんを発散しているのだろう。


 うんざりとするしかなかった。


 悪意にさらされることには慣れているが、それでも長時間の愚痴に付き合わされるのはやはり疲れる。


 とは言え、時間が過ぎれば終わるだけのこと。

 適当に聞き流していれば、その内に終わる。


 そう思って、しかしカナヤは動揺することになった。


(な、なに?)


 理由はエラルドの行動にある。

 しげしげとである。

 カナヤの顔を見つめてきた。

 今までには無い行動だったが、そして彼は何を思ったのか?

 エラルドは口の端を釣り上げ「ふん」と鼻を鳴らした。


「人前に出せるような顔では無いが……まぁいい。『幽鬼ゆうき』殿にはこれでふさわしかろう」


 どうにもいつもとは違う。

 そのことに気づいたカナヤに、エラルドは不気味な微笑みを向けてくる。


「事情が変わった。お前には嫁に出てもらう」

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