25話 悪女、解呪(前編)

「さあ、道をお開け下さい! 龍煌殿下のお通りです!」


 水月宮は騒然とした。

 何故なら、蘭華が皇太子である煌亮を人質にし、その傍らに龍煌を侍らせ廊下を闊歩しているからだ。


「皇太子殿下をお助けせねば!」

「いや……あの廃太子に触れた者は皆死ぬと……」

「皇太子殿下のお命のほうが大事に決まっているだろう!」


 蘭華たちの背後から兵士たちが武器を構えぞろぞろと続くが、誰一人として近づく者はいなかった。


「……本当にこんな作戦で大丈夫なのか」

「人はが一番恐ろしいものですからね。私の傍に龍煌様がいてくださる限り、大丈夫です」

「この悪女め、とうとう我が側近の雨黒まで誑かしおって……」


 ぎろりと煌亮は蘭華を睨む。


「そうそう。雨黒様も、慧も、そして龍煌様も、全部私が誑かしたのですよ。うふふ、悪女ですもの」

「――――」


 事実とは異なることを、蘭華は笑顔で平然と言い放つ。


『いいですか、皆さま。私と話を合わせて下さいませ』


 煌亮を人質に取る前、蘭華は仲間にだけ聞こえる声でそう囁いた。

 実際、雨黒と慧は奥の宮の外へと逃がした。ここから先は二人で大丈夫だといって。


「龍煌様、お付き合いさせてしまって申し訳ありません」

「いや……」


 ここまで来たのは自分の意志だ、そういいたかったがこちらを見る蘭華の目は『お静かに』といっていた。


「さあさあ、緑翠妃様の元へご案内下さい! さもなければ、廃太子殿下が煌亮様に触れてしまうかもしれませんよ!」

(……とんだ悪女だ)


 声を張り上げ、蘭華はぐんぐんと廊下を進んでいく。

 その声音のなんと楽しそうなことか。悪女らしく振る舞っているのか、それとも本当に楽しんでいるのか。

 笑顔の裏に隠された真意が全く読み取れず、龍煌は黙ったまま彼女の後に続くのだった。


「緑翠妃の部屋はここだ」

「わかりました。それでは、煌亮様ご苦労様でした!」

「なっ――!」


 部屋につくなり、蘭華は煌亮をぽいっと捨てて龍煌と二人扉の向こうへ消えていく。


「人質役も板についておりましたよ! 楽しいお散歩でした!」

「貴様、どこまでも人を愚弄しおって!」


 煽るように手を振って、扉は閉じられた。

 煌亮がすぐに扉を開けようとしたが、閉ざされた扉はびくとも動くことはなかった。



「――今日はとてもお客様が多いわね」


 御簾の向こうで、ゆらりと女性が起き上がった。


「お初にお目にかかります、緑翠妃様。私、紅月宮の妃、紅蘭華と申します。鴎明様のご命令で、貴女様をお救いに参りました」

「……どうぞ、こちらへ」


 御簾のすき間から、黒ずんだ細い腕が伸びた。

 蘭華は笑みを浮かべたまま、ゆっくりとその中に入っていく。


「よく、いらしてくださいました。ここまでくるのは大変だったでしょう」

「そんなことはありませんわ。とても楽しゅう御座いました」


 そういいながら、蘭華は緑翠妃の体を視診する。

 指先から伸びたカビのような黒い斑点。それは肩口まで真っ黒に侵食していた。


「これは……想像以上に不味いですね」

「やはり、呪詛……ですか」


 間違いない、と蘭華はゆっくり頷いた。


「このまま放置しておくと、確実に死に至ります」

「……なんとかなりませんか。せめて、この子だけでも」


 そっと緑翠妃は腹を撫でた。


「お子を身籠もられていらっしゃるのですね」

「ええ。なんとしても、無事に産みたいの。でも……呪詛の影響が……」


 緑翠妃の顔が不安げに歪む。

 失礼、と蘭華は彼女の服をはだけさせ、腹帯を解き腹を見る。


「……腹部までは侵食しておりません。今なら、まだ間に合います」

「本当ですか!?」


 緑翠妃の顔が期待に輝く。


「すぐに解呪を致しましょう。ですが、その前に一つ確認を」

「なんでしょう」

「緑翠妃様、貴女様には死ぬ覚悟はおありですか?」


 緑翠妃を救いにきたはずの蘭華は、笑顔で真逆のことを尋ねたのであった。

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