2話 悪女、投獄

「――入れ」


 二人の衛兵によって、蘭華は牢の中に突き飛ばされた。

 ここは後宮の地下牢だ。

 地下深く十層に分かれるその牢獄は、下層になるほど罪が重い者が投獄されるという。

 現在地は最下層の第十層。

 死罪になる人間が投獄される、別名「死の層」とも呼ばれている。


「処刑は明朝に行われる。一晩ここでじっくり己が犯した罪と向き合うがいい」

「いや、その前に亡者に喰われてしまうかもしれぬがな」


 牢の中はカビ臭く、空気は淀み、至る所に邪気に塗れた邪悪な虫やネズミが這いずり回っている――不衛生極まりない場所だ。

 気休めに敷かれた茣蓙ござはぼろぼろで、虫も這っているではないか。


「ふふ……そういうあなたたちが、一番亡者に怯えているのでは?」


 そんな掃きだめの中でも、蘭華は余裕たっぷりに微笑みを浮かべた。


「……おや? あそこに怪しい人影が」

「ひっ!」


 含みありげに明後日の方向を見ると、衛兵たちの肩が揺れた。


「悪妃の言葉に耳を傾けるな! ほら、さっさと行くぞ!」


 衛兵たちは鍵を閉めると、そそくさとその場を立ち去る。

 足早に階段を上っていく足音が遠ざかり、消えていった。


「もっと怖がればいいのに。なんともつまらないわ」


 鍵を締める兵士の手が震えていた。

 虚勢を張ろうが怖いものは怖いらしい。

 それが妙に面白おかしく、蘭華はくすくすと笑いだす。


「――ここに人が堕ちてくるとは珍しいこともあるようだ」

「……おや」


 男の声が聞こえた。

 真向かいの牢だ。目をこらせば、確かにそこに人影が見える。


「それも女か。死罪になるとはどれだけの非道に手を染めたのやら」 


 暗闇に目が慣れてくると、ようやくその姿を拝むことができた。

 手入れもろくにされていない伸び放題の緩やかな黒髪。長い前髪から覗く深紅の瞳はぞっとするほど美しかった。大きな体躯は荒々しい野獣そのものだ。


「こんばんは。貴方も明日死罪になるのですか?」

「いいや。俺はずっとここにいる」

「ずっと? ここで暮らしておいでなのですか?」

「暮らす……そうだな。そうかもしれない」


 その返答を受け、蘭華ははたと目を見開く。


「死の層の住人……もしやもしや! 貴方は龍煌殿下では御座いませんか!?」

「……は。名を呼ばれるなんて久しいな」


 興奮気味の蘭華に男は乾いた笑みを零す。


「貴方様が呪詛の君! お噂はかねがね耳に入っておりました!」

「お前、無礼にもほどがあるぞ。呪われたいのか」 


 きらきらと目を輝かせる蘭華に龍煌は不快そうに言葉を返した。


(死の層に暮らす呪詛の君! ああっ、本当に実在していたのですねっ!!)


 呪詛の君――李龍煌りりゅうこうは呪われた皇子である。

 出産の折、呪詛師に狙われ呪詛を一身に受け、呪われた身で生まれた哀れな長子だ。

 人間離れした力を持ち、その手に触れれば呪い殺されると噂される。現に、龍煌の母は彼を産み落とした瞬間に事切れたという。

 本来、跡継ぎになるはずだった彼は「呪詛の君」と忌み嫌われ、後宮の地下牢に幽閉されることとなった――ともはや都市伝説のような噂話になっていた。

 何故なら、龍煌の姿は後宮の誰も見たことがない。その生死さえも不明であったからだ。


「まさか本当に龍煌様が実在しているとは! いやあ、投獄された甲斐があったというものです!」

「何故そんなに興奮する。まさか、俺に会いに来たというわけでは――」

「実はそうなんです!」

「………………は?」


 両手を合わせてにっこりと微笑む蘭華に、龍煌は唖然とした。

 蘭華は「呪詛の君」の都市伝説を信じていた。

 この律に縛られた雁字搦めの退屈な後宮の中で、彼は理から外れた異端の存在。

 幼い頃から『親なし』の忌み子として腫れ物扱いされていた蘭華は、顔も知らぬ「呪詛の君」に勝手に親近感を抱いていたのである。

 そんな憧れの人物と対面でき、彼女の興奮はさらに昂っていく。 


「正確にいえばお会いできればよいな、と思っておりました。あなたと出会えれば人生が楽しくなるかと思いまして」

「お前はさっきからなにをいっているんだ……」


 目を輝かせながら、蘭華は両手で檻を掴みできうる限り龍煌に顔を近づける。


「ねえ、龍煌様。私の夫になってくださらない!?」

「――――――――は?」


 求婚は突然に。

 それが悪女と廃太子の運命の出会いであった。

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