霊峰の麓で実る縁

鈴ノ木 鈴ノ子

第1話


 有休を取るように指示されて無理やり詰め込まれた3連休の初日の朝のことだ。

 いつもより少し遅めに起きて洗面などを一通り済ませるとダイニングテーブルの椅子へと腰を下ろした。

 大学への入学を機に引っ越してきた3LDKのマンションでソファーに次ぐ大きさを誇る家具だった。前の住人が残していったものらしいが、とても大切に使われいていたようで傷もほとんどなく、新品同然と言っても過言ではない。仲介業者は廃棄すると内覧の時に言ってきたが、私はそれを譲り受けて10年以上使い続けている。対面に置かれた椅子には仕事で使っている少々くたびれたカバンが日々の疲れを癒すかのようにだらりと肩掛けベルトを下げてだらしなく腰掛けていた。


 その姿に思わず笑ってしまう。


 多少荒れた部屋、友人から言わせれば雑然とした部屋で片付ける気も起きず、スマホに届いたメールをチェックしていて必要と思われるものに返事を返していると、母親からのものがあった。

 30歳に手が届く頃合いになると、他県の田舎住んでいる一人暮らしの母が妙に見合いを進めるようになり、私はこの年齢で数回の見合いをした。別段、それほど他人と比べてルックスが劣るわけでもないと思うのだけれど、高齢出産でようやく授かった私を溺愛している母は死ぬ前には孫の顔が見たいと考えているのだろうかと勘繰ってしまうほど、熱心に進めてきた。


「まだ、早いよ。母さん、仕事も面白いからね」


「それはそうだけどね。私も長くないから・・・、心配なんだよ」


 つい最近、実家に帰って母とそんな会話をしたところだ。

 75歳を過ぎ若かりし頃のかなりの無理も祟ったのだろう。

 私が幼い頃の力強い母はなりを潜めて、今は、深い皺の刻まれた少し白くなった顔と、背骨が曲がりやせ細った体、そして苦労を体現するかのような細く骨と皮だけと思えるほどに縮んだ手で、急須から湯呑へお茶を入れていた姿にふと気が付いたとき、私は家族の老いというものを初めて実感したのだった。

 

 もちろん、見合い相手は良い相手ばかりだったが、結局、長続きはしなかった。私が若すぎることもあったし、相手が良すぎたという面もあっただろう。

 

 ため息をついてテレビをつけるとちょうど富士山の特集が公共放送で流れていた。

 雪を湛えた富士山の美しい姿に目を奪われ、日本で一番高い山ということくらいしか知らなかった私は季節の移ろいによって姿を変えるさまに驚きを隠せなかった。20分ほどの小さな旅番組を日曜朝のテレビを見る子供のように微動だにせず真剣に見終える。

 やがて勢いのままあっという間に荷造りをし、ふと正気に戻るように気がつけば車の運転席に座っている有様であった。


 ここまできたのだから、自宅に引き返すのも勿体無い。

 

 購入して数年が過ぎた日本で何番目かに多い名前を冠したメーカーの小型のSUVのハンドルを握り、近くの新東名高速道路のインターから富士宮を目指して車を一路走らせる。前日に広範囲に雪が降り積もり制限速度が下げられたこともあってか、速度を抑えながらの走行ではあったけれど、それが幸いしてか、新清水ジャンクションを過ぎてトンネルを抜けたとたん現れた雄大な富士の姿に思わず息を呑む。

 カレンダーや遠巻きに見る富士の姿とは違う、大げさかもしれないが、空の半分を覆ってしまうと思えるほどである。


 ふと懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

 小学校の時に友達から親友となり、そして淡い初恋へと至った女の子、伝えることのできぬままの初恋は彼女の転校によって泡沫へと期したが、それゆえなのか、わだかまりのようなものだけが心の片隅に残滓のように残り固まっていた。

 両親の転勤のため彼女は数多くの学校に転入出を繰り返していた、名前を麹町理恵といい、そして彼女は富士山にとても思い入れの強い子だった。

 社会の授業時間に日本の山々の学習で富士山の話になったとき目を輝かせてこう言ったのを覚えている。


「富士山はね、大きくて優しくて何でも話を聞いてくれるの」


 話を聞く、ということはどういうことだろうかと尋ねてみると、富士宮市に住んでいた頃、共働きの両親の帰りを自宅一人待っているときに窓から見える富士山の姿を見て寂しい心が安らいだのだとのことだ。親から買い与えられるゲームは飽きてしまい、私と出会う前までは引込み思案で大人しい女の子ということもあり友人のなかなかできなかった彼女は、窓から見える大きな富士山に日々のことを話しかけていたのだ。内緒だよ、と愛らしく可愛らしい笑顔で話してくれた彼女の優しい表情も思い出す。

 遊びや片付けなど短い期間でありながら2人で過ごした時間は、幼き日々の素晴らしい思い出となっていた。


「りっちゃんの言うとおりだね」


 そう呟き、時より富士山に目を奪われながら新富士インターまでを走り抜ける、やがて高速を降りると、西富士道路:国道139号線を先ほどの番組で紹介されていた浅間大社(せんげんたいしゃ)へとハンドルを向けた。

 運転席の窓から見える空は色彩豊かな絵の具で描いたように抜けるような蒼色で、白雪と呼ぶに相応しい純白のような雪を山頂に湛えた富士山の姿と合わさると、高名な画家が手掛けたキャンバスに描かれた絵のように美しい。


 美というものが体現されて聳え立つさまに圧倒さえされた。

 

 商店街に挟まれた道を走り抜けて、やがて浅間大社の大鳥居が見えてくる。手前の交差点で参拝者用の駐車場の案内板が見えてきたので、案内のままに駐車場へと車を乗り入れて止めると料金徴収と警備を兼ねたとおぼしき制服姿の係員さんが車へと駆け寄ってくる。


「こんにちは、今日は参拝ですか?」


 柔和な顔立ちのおじさんがそう言い、車のナンバーと駐車開始時間を手元に持っているチケットの束の一枚に書き込んでゆく。


「ええ、参拝です。テレビで見まして、車を飛ばしてきてしまいました。」


「それはまた大胆だね。珍しい…、いや、そうでもないな…その答えを聞くのは二人目だねぇ」


「えっ?そうなんですか?」


「少し前にも、ほら、そこの赤いスポーツカーあるでしょ、あの運転手さんも同じようなこと言ってたよ。2人も来てしまうくらいに素敵な番組なら帰宅してから見てみようかな…。あ、これ駐車券、ワイパーに挟んでおくからね。30分は無料でそれ以降は駐車料金がかかるから、帰りにまた声をかけてね」


 そう言いながら黄色いチケットをワイパーに挟み込んだおじさんは次に入ってきた離れた駐車スペースたに止まった車へと向かって行った。


「同じような考えの人がいるもんなんだなぁ」


 その赤いスポーツカーへと視線を向ける。

 静岡ナンバーを付けた大手国内メーカー有名な車両だ。うろ覚えながら記憶にイギリス製造であった気もするが、さほど車に詳しいわけでもなくそれ以上は分からない。ただ、一目見て理解できることは、綺麗に手入れされて手を加えられた車であるということだ。バンパー、ホイール、エアダク、スタイルとボディカラーを邪魔せず、雰囲気を損なわない、自動車雑誌の表紙を飾っても良いほどに洗礼されていた。


「素敵だなぁ」


 振り返って愛車を見た。

 スポーツカーとはホームグラウンドの違うコテコテのオフロード仕様だ。

 自動車整備士の友人が自動車のコンテストに出すためだっだ車が半導体不足により納期が大幅に遅れることになって、同型車で純潔だった愛車を貸してほしいと、土下座せんばかりの態度で男泣きしながら頼み込まれてしまった。無碍にもできず仕方なしに、快く、実に快く、引き受けた結果がこれである。

 部品は半年前から車種専用にこさえてしまったそうだし、別の車両を用意する時間も金もない。そんな死地に立たされた友人を見捨てることなど無理な話だった。しかし、こんな時ほど神様はミラクルを気まぐれに落としてゆくものだ、なんとコンテストでシルバーメダルを授与されるにまで上り詰めた車は現状回復を施されることなく、車体価格と同じくらいの装飾で手元へと帰ってきた。

 車高を上げて各所のサスペンションを交換と調整し、数段大きいホイールとタイヤをつけ、少しお転婆な乙女のような可愛らしい姿から、世間に揉まれフィールドワークを好む闊達な女性へと成長してしまった。受賞した以上は元に戻せとも言いにくい。悔しい話だがハンドルを握りしめて運転した際には車高の高さで見通しはよく、もたつきのない、全く別物と言っていいほどに機敏にハンドル操作に従い荒れた道を最も簡単に走り抜けてしまう様を味わってしまうと、ことのほか、私が気に入ってしまい結局どうでもよくなった。


『愛してやってくれよ』


 率直な感想を友人に伝えると、嬉しそうにそう言っていたのを思い出す。


 物思いに耽っていると寒風がひと吹き駆け抜けてた。

 慌ててロングダウンコートを羽織り、最近編んだ自作のマフラーを首へ巻く、外の気温は日中でも1度ほどしかなく、寒さ慣れしていない私には厳しい。衣服を着ている間に冷え切ってしまった指先を厚手の手袋で覆って防寒具を身につけると大社へと続く参道へ歩みを進めていく。

 参道は畳一畳とまではいかないが、御影石でできた板石で舗装されていて、ところどころに1段ほどの段差があってとても緩やかに登ることができる。バリアフリーとまではいかないけれども、神様のもとへは歩きやすい通り道だ。

 参道右側に整備されている公園の木々は落葉して細い枝を寒風に晒していたが、その葉が無いおかげもあってか、富士山がとてもよく見えている。インスタ映えのスポットとしても有名なのだろうか、数人の学生たちが富士山とその景色を撮影している姿が参道と公園を隔てる生垣の合間から垣間見えた。

 参道を抜けて手水舎の冷水によって身を切るようさて清め終えると、壮麗な朱色の楼門下に一礼してから境内へと足を踏み入れた。浅間造りの立派な社殿の前には参拝客が多く、中には着物を着た子供やその両親など家族で参拝と思われる姿もあった。


 だが、私の視線を妙に引き付けたのは、拝殿のさい銭箱の前で祈る一人の女性の姿だった。

 

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