5-2(過去回想)
「はあ……」
「どうしたの?」
「俺は領主に向いてないんじゃないかって思ってね」
領主に就任して数年。
なんの成果も出せない紅輔の愚痴は日に日に多くなっていった。
ナランハは、そんな愚痴をいつも嫌な顔一つせずに聞いてくれる。
彼女とはあの1件以来、親しくなった。
今は領の医療改革を先導するポジションについて貰っている。(とは言っても思うように改革が進まないので、野戦病院の様な診療所の責任者だが)
そして仕事が終わった後は、互いの住まいを行き来する友達以上恋人未満の様な関係になっていた。
「正しいと思う事を一生懸命やれば、皆、理解してくれんじゃないかって思ってた。戦争の時はそうやって仲間を沢山増やして、最後には魔族とも和解できた」
「なに言ってるの?」
「でも、平和の今じゃ、こんな考えは甘かったのかも知れない」
「そんな事ない。紅輔のおかげで、私は不相応な職につけたのよ」
「ナランハの実力さ」
「辛気臭い話はやめて飲みましょ」
「知ってるだろ。俺は酒が苦手だって」
酒は苦手なので、付き合い以外では飲まないと何度も言っている。
だがナランハは、何度断られても毎度のように赤ワインを勧めてくる。
「辛いときには飲むに限るわよ」
だが、赤ワインを飲むのをいつも断る理由は、酒が苦手だからではない。
「……前から思ってたけど、君が勧めてくれるワインにはいつも、コカトリスの血が入ってるよね。確かに飲むと楽になりそうだ」
全身に猛毒を持つモンスター、コカトリスの血。いつも勧めてくるワインにそれが入っている事には最初から気づいていたが、領と彼女自身のことを考えてずっと気づかぬふりをした。
しかし、改革が進まぬ苛立ちから、うっかり言葉に出してしまった。
出した瞬間にそれを後悔する。
殺意を知られていたことを悟ったナランハは、すぐさま胸元に潜ませていたナイフを取り出してこちらに突進してきた。
それを避けてナイフを奪い、敵意を剝き出しの彼女に優しく問いかけた。
「ずっと俺を狙ってたよね。理由は頭の角のことかな?」
出会ったときから気づいていたが、彼女の頭には角を切断した傷があった。
魔族の国以外に住んでいる魔族は、出自を隠して人間社会に溶け込むために、こういった事をよく行う。
「そこまで気づいておきながら、どうして見てみぬふりをずっと続けたのよ!」
「領民の事を考えて、一生懸命頑張ってくれている事が分かるからさ。たかが俺を殺そうとしてるってだけで君を失ったら勿体ない。この事は誰にも言わない。明日からまた力を貸して欲しい。また俺を殺したくなったら、他の人を巻き込まなければ、いつでも――」
「勇者様はお優しいのね! 私がどんな目にあってきたか知らないくせに!」
「ああ。分からない。だから教えてくれないか?」
とは言ったが、人間として生きている魔族には何度も会ってきたので、だいたい見当はつく。
「人間になりすまし私自身の存在を否定しながら生きてきた痛み、あなたには分からないでしょう! それから解放してくれる希望をアナタは奪った!」
「でも、もし魔族が勝利したとしても、君たちはきっと魔族からも蔑まれたよね?」
魔族の国では強さが全て。戦闘能力の低い魔族は蔑まれ、場合によっては殺される。
人間社会で人間のふりをして生きる魔族は、魔族の国での差別から逃げてきた者かその末裔だ。
最も実際に虐げられたことのない末裔は、先祖の悲惨な過去を知らない者が大半だったので、戦時中に魔族の国に協力する者は多かった。
「それは」
「魔族とは何百回も戦ってきた。だから分かる。人間も魔族も変わらない。これから魔族との交流は増える。だから世の中もそれが分かってくる。でも人の心に根付いた差別や偏見は根深いから、そうなるまでは時間はかかると思う。その時間を少しでも短くしたいから、俺は今の仕事に就いたんだ」
言い終えると同時に紅輔はハッとする。
「ん? 俺、今、悩んでいた事の答え自分で言っちゃったよ。そうだよ! そう簡単に世の中が変わる訳ないんだ! もっと腰を据えて粘り強くやらなきゃ! ありがとうナランハ!」
「え、ええ? ……どういたしまして」
「そうだ! ずっと言いたかったことが、あるんだ! 結婚してくれ! 君に出会ってなければ俺はもっと早く挫折していた。君が俺を強くしてくれたんだ。これからは俺も君を支えたい。」
「自分を殺そうとした相手にプロポーズなんてどういう神経してんのよ。……いいわ。結婚しましょ」
「はは、ありがとう」
呆れた表情のナランハを見つめながら、紅輔は笑いかけた。
色々な困難がこれから訪れるだろうが、今の気持ちを忘れなければきっと乗り越えられる。
この時はそう信じていた。
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