第21話 最後の戦い
順三と小尉、二者の距離が詰まる。
小尉は納刀したまま。
順三は歩み寄りつつ抜き放ち、右脇に流す下段へ構えて間合いを詰めた。
【叉跨】からの【冴斬り】の切り上げで、捉えづらい下方からの一刀を打ち込むつもりだった。
抜刀で応じるなら抜く途中で刀側面にぶち当てるよう見舞い、腋を締め身体を刀へ引き付けて、鍔迫り合いから制する。抜かずにかわすならあえて向こうの攻めを受け、反撃の【颱濤】で動きを止めてから当身を仕掛ける。
分岐していく技の選択肢を体に意識させながら、二歩。加速のための強い踏み込みで甲板を叩く。
ところが。
「──!」
順三の前に刀が現れている。
【叉跨】の寸前だったため間一髪避けることがかなったが、睫毛に触れんばかりの軌道だった。
速さだけではない。粘りつくような切っ先の重みが、
恐るべき速度の抜き打ち、しかも踏み出す一歩のみで順三の二歩分の加速に匹敵する加重が行われている。
(身の内の重さの操り方が巧みすぎる)
横をすり抜けるかたちとなった順三は、正眼にて背後へ向き直りながら小尉の動向を観察する。
「……、」
無言で面に陰を落とす。顎を引いたように見えた。
彼は抜いた刀に、やっと左手を添えて構え直すところだった。
枯れ木のような手指だった。
水を含んだ布巾から滴が落ちぬよう絞るがごとき微かな力を添えて、引き戻した刀を正眼に据えると順三の方を向く。
切っ先のぎらつきと小尉の面奥から伝わる視線が順三を射抜く。
瞬間、
濁流の像が脳裏をよぎった。
豪雨のあとの、荒れ狂う川の存在感が、そこにあった。
堤を削り崩しなにもかもを吞み込もうとする
滝のような汗が頬を伝った。
まださして動き回ったわけでもないのに、全身を這う汗と悪寒が止まらない。
ただの一振り。
抜刀からの一太刀と、この構えだけで体の芯まで理解させられた。下手に踏み込めば今度こそ死ぬ。この男の刃圏は、これまで戦ったどの魔法士の間合いよりも死に近い。
まぎれもない。
まぎれようもない、これは達人の気配であった。
(なぜ、こんなひとが……)
これほどの使い手がなぜこの時代に。廃刀令の進んだ場に、いるのか。外務省はなぜ魔法士ではなく彼を? たしかに、剣の腕は順三に優る……かもしれない使い手だが。どこからそのような剣士を呼んだ? そも剣の腕の程度などわかる者も少ないこのご時世に、なぜ的確にこんな達人を選べた?
またも疑問が増える。じり、と小尉がにじり寄るだけで、順三は大きく飛び退りたくなる。
はじめての経験だった。
これまでの彼は、剣でもって己の価値を、魔法にも食らいつけるという強さを証明し、誰かに認めてもらいたいだけだった。自らを救ってくれた、刀剣の価値を知らしめたいという気持ちが彼を前に進ませていた。
だがここにきて、剣士。
己と同じ存在が、己以上……かもしれない腕で以て、そこに居る。
剣という、同じもので比武するべくここに居る。
(ああ、そうか)
順三は理解した。
これは、怯えだ。
死力を尽くして生きねばならない、先ほどそう思った順三だが、ここでの敗北は魔法に対する負けとは異なる。同じ『剣の道』で争っている以上、ここでの負けとは、これまでの順三の半生をかけた修練の負けだ。
それがたまらなく、こわかった。
ともすれば死ぬことよりも、おそろしかった。
(言い訳が、利かない……そういう、戦いなんだ)
先の太一郎との決戦も、言い訳の利かない戦いとなるように彼の治療を侍従長に願い出たが。それでも順三にはどこか、安心と慢心はあった。手管を知る相手だからと軽く見て、だからこそ情けをかけたと言える。……その結果、向こうの策に嵌ってひどい電流を浴びせられているのでは世話がないが。
けれどこれは、この戦いはそうではない。
情けはなかった。安心と慢心もなかった。
誰が見ても、もちろん順三自身としても。
一切の言い訳が利かない。同じ得物で同じ場で、負傷の多寡はあれど対等な条件で向き合っている。
すべてを賭した戦い。
モニカのために負けられない、という以上に。
己が、剣士であるから、負けられない。負ければすべてを失うから、負けられない。
そのようにすべての懸かった戦いなど経験がなかった。
剣が誰にも認められていない以上、順三には失うものがなかった。死も負けもこわくなかった。
けれどいまはちがう。
この場で、おそらく観客は皆、剣で魔法士を打倒した順三によってその技と術に一定の価値を見出した。この場の人間に
そして順三はこの小尉を認めた。いや、まだ、気持ちを萎えさせないため完全に認めることはできないが……彼が己より強い可能性は、認めた。それによって、負ける可能性も認めた。
つまり、ここで勝ち得た認めも。己への自負も。……負けたら失うことを、認識した。
これが。
これこそが。
「……〝死合い〟ぞ」
小尉がはじめて口を開く。
殺すため、そのため以外の何物でもない形をした刃を向けあう相手が、そう言った。
順三はうなずいた。
死合い。野蛮で、争うためでしかない得物である刀を用いて、古来より日ノ本で人と人は争ってきた。それを、異世界より伝わった文化に染まって投げ捨ててしまったが。
負ければ失うというひとつの
──呼吸を落とす。
互いの間合いがふたたび詰まる。
だが順三は先の【冴斬り】で左腕の全力を使い切った。もう刀の保持はできない。そっと左手を外し、順三は右片手のみで刀を提げる。
草鞋を脱ぎ捨てて両足をほぼ横並びに揃え、左足を半歩踏み出した状態。左腕もそれに伴い、ぶら下がったままわずかに前に出る。
無構え。迎撃を狙うために、順三は隙を晒した。刀を正面に掲げないため小手を狙えず、足もわずかしか前に出ないため出足を切るのも難い。狙えるのは頭部か肩か、突き。そう絞り込ませるための、あえての構えだ。
小尉は、正眼のままだった。
足の指先で手繰り寄せるような含み足で、ほんのわずかずつ順三は間を詰める。
小尉は、動いているのかいないのか。居つかない揺れを感じるが、その律動の拍子はつかませない。
……順三の次手は読まれているのか。
それとも無策の無構えと思われているのか。
わからない。だがもう力の残っていない順三にできるのは、己の身に刻み込んだ修練を頼みに動くことだけだ。
……刃圏が近づく。
小尉の存在感が幻覚させる濁流の想像が、轟轟とすべてを砕く幻聴をさえ伴って順三を包み込んでいく。
もう、これ以上は一寸たりとも踏み込めない。
足の指先がそう察したところで順三は含み足を止めた。
小尉の切っ先が近い。眉間に突きつけられているようにすら感じられる。この印象通り、突きでくるのか? それとも振り下ろし? 袈裟?
怯えが予想させ、予想が体をこわばらせる。やることをいくつも頭に浮かべていて滑らかに動けるほど人体は器用ではない。
だから、考えてはならない。
修練を頼みに。
体を。
自由に。
自ずから然るべく、してやるのみ。
小尉が、動き出したのが見えた。
つまりもう変化はない。
順三が身を沈めだしていた。
小尉と順三の、どちらが先手だったかはもはやわからない。
ただ、
刃が先に届いたのは、
順三の方だった。
振り下ろされる真っ向からの小尉の一閃。兜でも断つだろうこの刃の下にまっすぐ進み、身をもぐらせた。
同時に右腕を持ち上げ。左掌を、刀の中ほどの峰に添える。
供物を捧げ持つように。地と水平に、持ち上げた。
刃を自分の頭上に押し上げていく。
振りかざされる一刀を防ぐため? 否。
深くもぐりこんだ順三が刀を捧げる先には、小尉の両手首がある。
この技に腕の力は要らない。相手は振り下ろす自らの力によって、その両手を切らせるのだ。
敵の剣筋を断ち、相手が
ゆえに技の名を、
「【
小尉がそう、口にした。
一瞬のことだった。
なぜ技の名を知っている? その答えに順三が往きつくまで、泡が弾けるいとまほどの時間もかからなかった。
しかし順三の動きはすでにはじまっており、【翅喰み】の発動は止められなかった。
小尉の両手首に刃を食い込ませ剣筋を殺したあと、左前腕を峰全体に沿わせ、立ち上がりながら、切っ先を相手の頸動脈に向ける。腰を右に捻転させ、右手の引きと左手の押し下げで首を切り裂く。
これもまた、一瞬のことだった。
体に刻んだ、考えずともできるまでに万練自得した技だった。
「免許、皆伝だ」
そのように言いつつ、切られた頸動脈を小尉は押さえるが、止まる出血ではない。橙を帯びた鮮血がふきこぼれのように散っていく。
がくりと膝をつき、仰向けに倒れる。
からん、と小尉の面が外れた。
「……師匠……」
十年前に順三を庇い投獄されたはずの阜章末秋が、満足そうにこと切れた。
そこで順三は、やっと。
自分の周りで起きていたことに、思い至った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます