第16話 破談を目論む者
アンコロールは座敷牢へ閉じ込め、モニカと二人になった順三は彼女の話をうかがう。
ミナリオ・オルマミュータ。
異世界の姫である彼女の、実父について。
「……お父上に、狙われてたんですか」
「ええ」
「ずっと以前から?」
「この日ノ本へ来るより以前から、です。ゆえに、むしろ暗殺者さんのお言葉に安心いたしました。ここにきて未知の勢力に来ていただくと大変困りますので……既知の敵で、よかった」
お互いの位置関係はここにはじめて来たときと同じだったが、わずかなあいだにずいぶんと関係は変わったものだと、順三は思った。
下からの光源で顔に影を落とすモニカは、黙り込んでしまった順三に含み笑いを漏らしながら口を開いた。
「順三様も、同様の境遇ではありませんか。お父様にお命を狙われておりました」
「いや俺は状況がそうさせただけというか……」
「妾も状況がそうさせているのです。お話した通り、妾は
「たしかに、そのせいでよく思われていないところがあるとは言ってましたけど。まさか実の父から狙われているなんて」
「王は身分制の頂点。無論それで良い目ばかり見ているとの道理はありませんが、しかしもっとも制度に縛られもっとも制度の持続維持に躍起にならざるを得ないお立場なのはたしかです」
王、お立場、と。
言葉選びに他人行儀なものを感じ、順三はあらためて彼女が姫として様々な重責に耐えてきたことを察した。
「婚姻相手も、住処も、職も。すべてが当人の適性を鑑みて王族により決められてしまうのです。そのような世を妾は許すことができなかったのです」
「……なにかご事情が?」
「不要となった職の者は、そのままその者自身も不要とされました」
短く語り、それ以上口にしなかった。
順三も踏み込みすぎたと感じた。そしてこんなにも短い言葉なのに、重たかった。きっと幾度となくなぞり、削れ、ここまで圧縮されてしまった言葉なのだろう。密度が、本来なら誰の舌にものり切らないほどの重さを伴わせている。
けれどそれを口にする。口にできる。
それこそが彼女の、姫としての重責の現れなのだろう。
「日ノ本では、御家のなかでの争いというものは珍しいのですか?」
切り替えるように、窓辺へ視線をやりながらモニカは言った。順三は答える。
「いや……まあ、ありがちですね。分家と宗家とか、世継ぎをめぐる確執ですとか」
「同じことです。妾と父との争いも、家の内のことです。けれどそうした家と立場をめぐる考えは、命に優劣をつけるものであり妾には到底許容できかねます」
つぶやきに、順三はやっと理解した。
彼女が刀を抜いた順三を助けてくれたときにも言っていた、
それは彼女が四民平等にこだわり、故郷を変革したいとの理想を掲げるにあたりどうしても無視できない自己原則だったからなのだと。
「妾は、そのような有り様を変えたいのです。たとえ、父と反目することになろうとも」
「モニカさん……」
「故郷へ戻る段に至れば、妾は改革推進派と合流の目途が立っております。ただ、境界門をくぐるまではこの身を守る術はほとんどありません……あらためて、順三様。どうか、どうかお願いいたします」
一心に、尊い身分であろうに、彼女は頭を下げる。
否。その、順三がいま抱いているような身分への畏れをこそ、彼女は廃絶したいのだろう。
順三は平等を知らない。格差しか知らない。だがそれは家の中での扱いにおけることであり、その外から殺意を向けられたり格差そのものにつぶされそうになることはなかった。
また彼自身、当然のものとしてこれを受け入れ、格差そのものと戦おうと考えることはなかった。
『剣を鍛えさえすれば』と。『一度だけでもだれかに認めてもらえれば』……と。そのように希望を持ち、格差があることそのものにはなんの疑いも抱いていなかったためだ。希望があればつらさも格差も忘れられていた、それだけだ。
ある意味で、自分しか見ていなかったのだ。
「……すいません」
「えっ」
「ああ、いやちがいます。護衛を今後も務めていくことには否やはありません。ただ、自分がモニカさんに比べると覚悟も目標も定まっていなかったなと思って」
だれかのため。そのように考えることは、できていなかった。
だがいまは。いまなら、違うと言えるはずだ。
あらためて願われたなら、自分もあらためて
順三も頭を下げて、かたわらに置いていた仕込み刀を正面に掲げた。
「あなたがいろんな人の想いを背負うなら、俺があなたのその背を守ります。あらためて、そう誓わせてください」
「順三様……」
「今度は、ふたりきりのときですから受け入れてくれますか?」
つづけて言えば、恥じらった様子のモニカはあうあうと悶えてからうつむいていた。
#
地下の隠し部屋に通された太一郎は、壁際で腕組みしたまま待つ。
やがて夜も更けたころ、先の破落戸がへこへこした態度で階段をくだり現れた。
彼の後ろからはひっそりとした足音がつづく。
けれど足音には似つかわしくない、身の丈、六尺五寸はあろうかという大男だ。狭い階段の出入り口を、首をすくめてくぐってくる。
長着の上から丈の長い灰色の外套を羽織っており、口には太い六角柱の形をとる喧嘩煙管をくわえている。吸い口を噛む口元は凶相露わといった乱杭歯で、上向いた鼻腔と垂れたまなじりも相まって猪を思い起こさせる。尖り後方へ流された
肉の詰まった黒く堅い指先でごつい煙管をつまみ、がはぁと煙を吐きながら大男は太一郎を見やった。
「ホゥ。須川のか」
「久しいなァ、坂東。人買いは順調かよ」
気安く呼びかけた、この大男は
古くから港で遊んでいた太一郎は何度となく彼とはぶつかり、時に手を貸し、それなりに付き合いがあった。人買いに際しての手管や捕まらず足を辿られないための
坂東はじろんと、太一郎を見下ろす。
目の奥には値踏みする意図が垣間見えた。
「おかげさまで、左団扇の暮らしをしておるわ。その説は世話になった」
「結構結構。んじゃその時の借り、そろそろ返してもらえねェか」
「フ……切迫しておるのか?」
恩を売る、ないし余裕がなければ取り立てられるだけ取り立てる、との意思が目の奥でぎらついた。
弱みを見せるわけにいかない太一郎は、へっと鼻で笑って受け流すと懐からの金子を投げる。安くはない金額だ。
「手付金だ。この額見ても切迫してると思うほど、テメエんところが儲かってるってんなら話は別だけどな」
「カッ。どうやら話を聞く価値はありそうで安心したわ」
低い声で笑う坂東は転がった金子には目もくれない。先の破落戸が、あわてた様子で拾い上げて数えていた。おそらくあの金子で、ここの連中が一度人の売り買いをしたときの手残り分くらいの額だろう。
須川家の財産がほとんど差し押さえられた以上、太一郎の虎の子の金であるこれくらいしか私財はない。「手付金」などと言ったが実働に対しての報酬分は、まったく用意がない状態だ。
けれど構わない。
あの愚弟を追い詰めることができれば、そこに付随して異世界の姫であるモニカ・オルマミュータの身柄を介してどのようにでも金を引き出す方策はある。
須川の家を完全に機能停止に追い込めるほどの権力・財力があるということは、逆に言えばいま彼女を守っている順三さえ引きはがせばその力を自分たちで利用し放題なのだ。
「んじゃ本題に入ろうや、坂東。まず確認なんだが、あんたの右腕だってェあの女、なんつったか……あんころ餅みてーな名前のやつ」
「アンコロールか」
「そうそうそいつ。帰ってきそうな、あるいは生存の連絡はあったのか?」
「どうやら、しくじりおったようだなあの娘。ハッ、重用してきたが肝心なところで役に立たん奴だ」
「でも強かったんだろ?」
「儂とお主の次には腕が立つであろうよ」
「そんな奴が帰ってこれねェ任務。そうなっちまってる理由がウチの愚弟にあるっつったら……怒るかね? あんた」
「愚弟……お前のところのことを言っているのなら、魔法も使えぬ愚図ではなかったか?」
「ちと厄介なことになっちまってな」
頭を掻いて、それから太一郎は犬歯を剥き出しに笑う。
瞳に宿るのは己より劣る者に己が不利益を被らざるを得ない状況を設えられたことへの、憎悪。
「ツブすの手伝ってくれねェか」
太一郎は邪悪な企みを開示した。
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