第13話 暗殺の気配


 さながら坂を転げ落ちるように。


 わずか四、五日で須川の家は没落の一途をたどった。


「なんで僕らがこんな目に遭わなきゃならないんだよ!」


 次男である興次おきつぐはそう言って喚いた。書生風の格好をした彼はいずれ政財界へ送り込むべく高等学校に籍を置かせていたが、この数日のうち須川家についての悪評が流れ込みたちまち居場所がなくなったらしく、逃げ帰ってきたのだった。もはや戻ることはできまい。


 このように格之進たち須川家の人間は、これまで付き合いのあった相手、今後展開されるはずだった関係、そのすべての経路が丹念に潰された。


 利害を除いた人間関係を一切持っていなかった格之進を助ける者は一人たりともいなかった。


 それは自身も幾多の人間に対して成してきたことであったが、己の身に還ってくるとなると到底、耐えられるものではない。


 財を納めた蔵の中身はほとんどが没収され、屋敷も抵当に入れられた。


 格之進は、積み上げてきた須川の名をとことんまで貶めたことを祖先に申し訳ないと思った。


「すべてが……あの出来損ないのせいだ……!」


 同時に、この没落の原因をつくった順三への恨み骨髄であった。


 砕かれた両腕の熱はいまだ引かず、頭部も打たれた腫れによって人相が変わっている。その己の姿を通じて順三のことを憎み、その思いは絶えなかった。


 と、玄関口をがらりと開けて入ってくる者がある。


「親父ィ。ひさびさに帰ったら、なんだよこれはァ」


 現れたのは、格之進よりも頭ひとつ高い背をした男。


 散切りにしたあと放置したのか長髪が乱れており、肩にかけただけの羽織と揃いの、派手な柄で染められた長着。角帯代わりの洋帯ベルトには左右に一本ずつのワンドを差している。


 足元は居留地で手に入れたのだという長革靴ブウツで、懐に手を差し込んだ風体。


 笑っているような細い目をして、片方の唇を吊り上げながら口を開く彼は、太一郎。格之進の嫡男であった。


 見ての通りの放蕩息子であり、格之進としては順三とはべつの意味で頭を抱えるところのある子どもである。


 だが、見どころも多々ある息子だ。二本差しにした杖は伊達ではなく、不意に狙われた際にどちらの腕でも最速で抜けるようにとの工夫である。


 風魔法の上級術や応用術についてはいまだ経験により格之進に一日の長があるが、そうした『実戦』の面においてはとうに自分の上を行っている。……まあ、その要因は裏通りでがらの悪い連中とつるんでいたことも、多分に関係するのだが。


「太一郎……お前に譲るはずだった家督を含め、この家はすべてを失った」


「ハァ? なに言ってんだ親父」


「順三だよ。あいつのせいで僕ら、追い込まれてんだよ。兄貴」


「あのバカがどうしたってんだ興次。ソコんとこ詳しく、話せよ」


 屈みこみながら問うてきた太一郎に、情けないと思いながらも格之進と興次はすべてを吐露した。


 要は、順三を気に入った異世界てるなのくの姫が蛮行により、自分たちは財産のすべてを奪われたのだ、と。


 太一郎はこれを耳にして、ぎちりと歯の根が軋む笑みを浮かべた。


「……ガキのころにずいぶん、しつけたつもりだったんだがなァ。順三の野郎、まだ物事の道理ってやつがわかってねェと見えやがる。サテ、どういたぶってやろうか?」


 彼にとって父の立場や今後はどうでもいいのだろうが、己がいずれ継ぐはずだった財が失われたことは我慢ならないらしい。


 凶暴な笑みには野心家の一面が垣間見え、格之進はやはり太一郎は家督を担うに足る、と思った。興次は逃げ帰ったあとは喚くばかりでひどく頼りない甘ったれだが、太一郎はことを知れば嘆くよりも先に対応を考え始めている。


「できるのか、太一郎」


「任せろよ親父殿。表舞台の根回しだァ謀略だァってとこじゃ向こうさんが上手かもしれねェが、俺が居たのは『裏』だ」


 心底楽しそうに、嗜虐心に満ちた面相をゆがめながら、太一郎は立ち上がってきびすを返した。


順三ゴミに、手前テメエにふさわしい生き方ってもんを教えなおしてやらァ。それが兄としての務めってやつだろ」


 舌を出して、玄関口をくぐっていく。


 裏通りで凄みを身につけてきた息子の姿に頼もしいものを感じ、格之進はこの数日ではじめて、わずかに痛みと気がやわらぐようだった。



        #



 オルマミュータ邸へやってきて七日目の夜。モニカが故郷へ戻るまで、残すところ三週となった。


 ようやくここでの暮らしぶりにも慣れてきた。異世界式の作法や礼法も、伝聞だけでなく実地で学びつつある。


 ただ、モニカの容姿の可憐さに惑うくせはいまだ抜けない。


 今日は会食のための外出先で横に控えていたのだが、離席して戻ってくる途中の彼女とぶつかってしまい非常に慌てふためいた。くしけずった陽光のごとき金の髪と白んだ睫毛が間近に来て、心臓がひどく大きく跳ねてしまう。


「す、すみません」


 女人慣れしていない順三がそう言ってわたわたと手で空を掻く。


 それをからかわれでもしたならまだ始末に困らないのだが、彼女はというと心底申し訳なさそうに「いえ、妾こそご心労をおかけして……」と口にするのでたまらなかった。同席していた人々は不思議そうに二人のやりとりを見ている。


 そして夜になると、そんなモニカと湯殿を共にし、またなんとももやもやした気分にさせられて。部屋に戻っても彼女は剣の届く間合いにいつづけるので近すぎる。いや、そうでなくては守れないので仕方がないのだけれど。


 しかし同室にモニカがいるという緊張のせいではなく……


 今日の順三は、目が冴えていた。


(……ここに、意識が向けられてる?)


 左手は刀に添えたままで布団をかぶるのも習慣となっている。ちきり、と親指で鯉口を切りながら、薄闇に慣れた目を開けた。


 床の畳の上で身を起こすと、モニカは気づいていないのかすやすやとベッドで寝息を立てていた。


 雪駄は履かず、足音を消すべく素足で部屋の出入り口へ近づく。寝巻としている浴衣をはためかせながら、順三はするりと広い廊下に出た。


 同時、


 右手が感づいて、抜き放っていた。見もせずに右側へと振り薙いでいた切っ先は、パツンと軽い感触のものを切り裂く。


 水。


 まりほどの、手のひら大の水の玉であった。分かたれたそれが順三の前後にばしゃんと落ちている。


「……なんっで見もしないでまっぷたつにできるかね。どういう神経してんだい?」


 蓮っ葉な口調の、思ったより高い声が右側の闇から届いた。


 順三は切っ先を向けたままそちらを向く。


 薄絹のような闇の向こうでしっとりとたたずんでいるのは、小柄な影だった。


 杖腕なのだろう右腕を差し出しながら、左半身を大きく引いてかつ身を低く沈めている。左腕も脇を締め、軽く開いた五指を顔の前にかざした縮こまった姿勢だ。


 全体的にこちらから狙う箇所が少ない。守りの堅そうな印象である。


 短く肩までで切り揃えた髪、前髪は右側だけ長く垂れ落ちて瞳を覆っている。隙間にのぞく目は黄金に燃えていて、喉元から口元までが襟巻に覆われているため表情は読みにくい。


 だがほっそりとした体つきと骨盤の位置からは、女性であることがうかがえる。動きやすそうな細い下穿きしたばきと、体にひたりと吸い付くような生地の上衣を纏っているため体の輪郭線がよくわかる。


 その身のこなしから、よく練り上げられた力量を持つのであろうことも。相対してわかったことだ。


 抜いた鞘を腰の帯に差し、諸手で正眼に構える。つま先で少しずつにじり寄るようにしながら、順三は口を薄く開いた。


「暗殺者、かな?」


 たいして期待せずに順三が尋ねると、意外にも彼女はへらりと目元を緩ませて「ああ」と答えた。


「いかにも、私がそうさ。きみは護衛かい?」


「そうだ。俺はここを任されてる」


「へえ……ここ数日、何度か攻め込もうとしてもその都度、闘気で追い返されるように感じていたがね。そうかい。きみがあの気の主ってこったね」


 その言葉にふむ、と順三は警戒を強める。


 間合いの掌握によって相手の動きを誘導するのが、順三の身に着けた戦い方だ。


 つまり、彼の間合いを敏感に感じ取って『踏み込もうとしなかった』のなら、それは誘導に乗らない強者であることが推察される。


「そう感じたなら、きっとそれは俺だよ」


「なら、排除しなくっちゃあ。古臭い、刀剣なんてバカげた得物を向けてくるバカは嫌いじゃないがね……私も仕事なんだ、悪く思わないでおくれよ」


 杖先が闇に閃く。


 鶺鴒せきれいの尾のような、絶えず細かく先端を揺らす動き。狙いを読ませず魔法を放つ構えだ。


 加えて低い姿勢。先ほどの水の玉。


(……『ヤムド流』。たしか異世界てるなのく最古の魔法流派のひとつだ)


 国交を得て五十年。そのあいだに日ノ本のなかでも幾多の魔法流派が興っては消えていったが、当然魔法を伝えてきた異世界にも数えきれないほどの流派がある。


 なかには日ノ本へ伝来して定着したものもあり、ヤムド流はそのうちのひとつだ。


 術としては属性魔法のうち【襲水かさねみず】すなわち水を操るものであり──


 ──先ほど順三が切り割った、床に染みた水たまりへと彼女の杖先が向く。


 途端に水が半球の形を取り戻して、跳ねる。


 無詠唱の【襲水】、顔を狙った一撃は口をふさいで呼吸の停止を狙うものだ。


 即座に屈んで避け、間合いを詰める。十歩の距離にいた暗殺者は涼しい顔で杖を足元の床に向けなおし、水の玉を杖先から次々に床へ滴り落した。


 どぼんどぼんと落ちる手のひら大の水が床に巨大な染みをつくる。


 そして順三が眼前にまで肉薄したとき、杖を下から真上に振り上げた。


 振りに伴い、水の薄壁が白くせりあがる。津波のごとく、廊下すべてを制圧する『面』の攻撃のための布石。


 わずかでも触れたなら口と鼻を塞がれ呼吸を奪われる──それが、直接的な攻撃力に欠ける水魔法の脅威だ。だから水の魔法士を相手にするときは、なるべく距離を開けて相手の水をかわすように攻撃を当てていくのが定石である。


 しかし順三は剣客だ。


 迫り、斬る。


 選択を迫り、過ちを取らせて斬り捨てる。それ以外できないしするつもりもない。


 だからまっすぐ突っ込み、彼は足を止めずに刀を上段に構えた。


「御免」


 渾身の振り下ろし。


 立ちはだかった水壁を、瞬時に左右へと切り裂いた。


 水壁の向こうで、杖を振り上げた体勢の暗殺者の輪郭を捉えようとする。


 即座の切り上げで顎下から脳天まで断つ。そのつもりで踏み込み、威力を載せた。


 だが切っ先がめり込んだのは、またしても軽い──水の感触・・・・だった。


 人間の輪郭大に薄く広がった、水。


 順三は自分が誘いに乗せられたことを悟った。


(防壁は目くらまし。その後ろで一歩下がりながら、自分の輪郭と同じ大きさをとる水の分身を目の前に出し、これを俺に斬らせたのか)


 やたらと白く・・泡立った水壁を放ったのも、その向こうを見通せないようにするため。薄闇で明かりもつけずに襲撃してきたのも、暗殺だからという以上にこの分身を見抜かせないためのものだったのだろう。


 場所を廊下に選び、戦法を面攻撃に選び、それを突破してくることをも見越して罠を張る。


 順三の対応力を逆に利用した、見事な戦い方であった。


『【襲水アークァ飛燕イルンド】』


 空振りにより、稼がれた時間が詠唱を許した。


 異世界語での詠唱と共に、切り裂かれた水壁が双つの飛燕の軌道がごとく鋭く切り返し、上から降りかかる。


 暗殺者は言語を日ノ本のそれに戻して笑う。


「流派が積み重ねた経験歴史の差、てやつさ。一枚こっちが上回ったってことだぁね」


 杖が振り下ろされ順三を指している。


 狙いをつけられている。


 これを見て取り、順三は足に力を込めた。


「────阜章流、」


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