第4話 魔法VS剣法
それは、順三が五つの齢を数えた頃。
薄々己に兄たちのような魔法の才がないと、気づき始めた頃。
父母からの白い眼が心に重くのしかかってきた頃。
彼はここに居場所がないと感じて、頻繁に家を出るようになった。
そうして迷い込んだとあるあばら家で、遭遇した男から剣の手ほどきを受けた。
「──一度限りだ。一度限り、掟を破る覚悟があるなら、この剣はお前に人を守る術を与える」
そのように告げる師匠との出会いと別れによって、彼は『剣術』を知った。
かつてはこの國で身を立てる手段のひとつであり、同時に深い思慮と精神性とを養い人そのものを錬磨する手段でもあった──『剣の道』。
順三はそれを鍛えることに没頭した。
以降十年。
順三の剣は研がれつづけた。
ならず者の技、公に認められない技だと言われても構わなかった。
魔法の使えない己でも……禁を破ることと引き換えだが……ただ一度だけなら、だれかを守れる技だから。
その一度の結果さえ、だれかに認めてもらえたなら。
手段が過ちであっても、結果だけは認めてもらえたなら。
自分に価値を見出せると、そう思ったからだ。
#
「……斬る、か。くはは、久しく聞いたことのない言葉だな……」
怪人が、低く這うような声音で言葉を紡ぐ。
だがそこに
抜き放った仕込み刀の切っ先越しに彼を見据える順三を、敵として認めた色があった。
「小僧……我が風の切れ味より、お前の切っ先は研ぎ澄まされているのか……?」
「俺の腕が誰かより確実に上だなどと、うぬぼれるつもりはありません」
ゆっくりとした問いかけに順三は首を横に振った。
怪人が疑問そうに肩を上下させる。
「では負けるとわかっていて、挑むと……?」
「いえ。それもありません。ただ俺は、昨日の己を超え、今日の相手に臨む。それだけ」
結果はついてくるものであり、望むのは自分を曲げない『過程』にこそある。
仕込まれていた直刀をぎらつかせながら、順三が吼える。
「須川順三。推して参る。いざ尋常に……勝負っ!」
一瞬の間があり。
呼応して、怪人が右手へ握る
右半身、中段に片手で杖を突きだした怪人は経験の厚みを感じさせる闘気を放っていた。
「鬱陶しく、不細工な得物だ。……だが、その目に敬意を評する……この俺の仕事の障りとなると、お前を認めてやる……勝負だ」
順三も応じて、諸手正眼に構える。
彼我の距離は
詠唱するには近すぎるが剣客が無策で踏み込むには遠い。そのような距離である。
……向き合って、
呼吸をひとつ。
そこから、
立ち合いがはじまった。
まばたきも許さぬ速度で怪人が無詠唱の【断風】を放った。
瞬間三連。
これを
「──
高速で飛来する目視出来ない風の刃を、けれど順三は身を逸らしてかわし・横に一歩ズレて避け・下からの切り上げをぶつけて相殺する。
この動きを見て怪人は目を見張った。
「小僧ぉ……貴様、『攻め手を察知する』者か……」
「それを磨くほかに、俺は戦いようがなかったので」
正眼に構え直し、順三は言う。
彼は相手の攻撃や、
たとえそれが無詠唱であれ、襲い来る拍子がわかるのだ。
……いにしえの剣客にもっとも必要とされた剣の技とは、すべてを切り裂く剛剣や何者も追いつけない神速、ではない。
間合いと呼吸と拍子、すなわち『機』を読む力である。
「無詠唱で撃ちたくなる間合い、だったでしょう」
人間、近い距離に急に羽虫が現れれば思わず手で払ってしまうように。『つい、動いてしまう』距離というものが存在する。
戦いのための反復練習を積んだ者もそうだ。状況と相手を想定して訓練をするため、特定の距離と拍子においては「このように動く」という習性が身についている。
だから順三は
間合いと拍子と呼吸を以て、相手がつい、動きたくなるように仕向ける。
いまのやり取りで言えば『詠唱するには近すぎる』から強力な術は使えず、『無策で踏み込むには遠い』ため順三にひと息では攻め込まれない間合いにより、怪人は『無詠唱の【断風】を使うよう』誘導された。
そのとき相手は順三の意のままだ。
「くはは。たしかに行動を導かれた、な……だが小僧ぉ、同じ無詠唱ならば……【志那斗辺】が来るとは思わなかったのか……?」
「
「……、」
順三の指摘に怪人は言葉を返さなかった。
互いに構え直し、仕切り直す。
順三には、ここから先の怪人の狙いも読めている。
であるなら。
避けることはもちろん──
「今度はこちらから、参るっ!」
──反撃に出ることも、可能だ。
順三は地を蹴り駆ける。
「く、く、はは!」
怪人は滑るように後ろへと距離を取る。同時に【断風】を杖先から放った。数はさらに増して十連である。
乱れ撃つ風の刃は順三に殺到し、命を奪おうとしている。
けれど彼は稲光のように左右へ鋭く歩を刻んでこれを回避し、時間差をつけて着地の足を狙った十一発目は振り下ろす剣戟でかき消した。
後退の足を止めた怪人が不快そうに顔をゆがめる。
「やるな……だがいくらかわせても、攻められはしまい。【渦埋】の防御は消えていないぞ!」
怪人が纏う旋風の圧が重く順三の肌を叩く。
その間も歩を進める順三は怪人の隙を探る。
どこだ。
どこからなら攻め込める。
どうすれば刃を突き立てることができる?!
やがて──わずかな時の狭間で見つけた隙は、怪人の足元。
絨毯の毛を巻き上げる、
「ここだ」
振り下ろした一刀のまま、下段に構え直して刃を返す。
怪人の顔に緊張が走った。
順三の選択が正しかったことが、表情に現れている。
躊躇わず深く踏み込み。
一閃を刻む。
「
大地を蹴り抜くと同時に切り上げ、全体重を切っ先の一点へ乗せる技が風の間隙へ差し込まれた。
切り上げの軌道が左の脇腹から右最下段の肋骨まで走り抜け。
一拍遅れで、鮮血を散らした。
「ぐむ……、貴、様……」
「【渦埋】は螺旋に回転する風。逆らわず刃筋を螺旋に乗せれば、斬れるのは道理」
【箭火】の火矢のすべてを防いだほど苛烈な螺旋の風。しかしその回転には方向が右か左か・どの程度の角度で上昇していくのか、という設定が成されている。
順三は接近してこれを見切り、風の方向と角度に沿って刀を切りこんだのだ。
「ぅぬ……ぉおおおっ!」
臓物が漏れ出て苦悶の声を上げる怪人の杖先が最期の力で自分に向こうとするのを見て、順三は即座にまっすぐな蹴り上げを放った。
杖先が足裏に弾かれて跳ね上がり、怪人はのけぞった。
次の瞬間、
ジャジっ、とまた砂利をすりつぶすような音がした。
これが、【シナトベ】の発動する音だと、順三は察していた。
現に自分の杖に強く引っ張り回されているように、怪人の身体がのけぞったままぐるんと素早く一回転している。
その、杖が指し示した一直線上へ、またも傷が刻み込まれた。怪人が斜め上へと杖と腕を掲げていたため、天井と壁と床を斜めがけに通る斬線であった。
強い回転で怪人の腹部が捻じれ、余計に出血がひどくなっている。
臓物をまき散らしながら、膝より崩れ落ちた。
そんな彼を前に、残心を怠らず一足一刀の距離を取りながら順三は言った。
「……その【シナトベ】は、【渦埋】の応用ですね」
「……見破って、いたか」
「はい。それは【箭火】を弾くほど強烈な螺旋の風の束を、上下から圧縮して一筋にまとめ上げている術です。おそらく、杖を振るった一線上に沿って発生する術なのでしょう」
だから、すさまじい威力にもかかわらず順三に対しては使えなかったのだ。
防御が解けてしまう一瞬に突きなど、迎撃を受ける可能性がある。
先の魔法士たちのように詠唱で大きく隙を晒した相手をまとめて始末するような、【渦埋】の防御にしびれを切らした相手を仕留めるための魔法だった。
「……見事」
うなだれながらも怪人は、順三から目を逸らさず。
「務めを果たせず……そのような、不細工な得物で落命とは、心底不愉快だ。が……貴様は、類まれな使い手だった。そのことだけは……認めよう」
言い残して、こと切れた。
見届けて、順三は仕込み杖の鞘を拾いに行く。
血振りして刀身をぬぐい、鞘を拾い上げたとき──ひどい有様になった部屋の中、振り返れば、モニカ・オルマミュータが顔を上げたところだった。
まだ抜き身の刀を手にしたままの順三の黒い瞳と、彼女の翠の瞳が視線をぶつかり合わせる。
なんと声をかけようか悩んだ。
が、口を開くまでに応接間へなだれ込んでくる人々がいた。
「オルマミュータ殿下はいらっしゃるか!」「中村氏、早田氏、伍代氏はだめだったが……」「せめて貴迦人だけでも生きておれば」「警護所の者たちは?!」「あそこに転がるのは谷部か?」「いたぞ、無事だ!」「生き残りがもうひとり居るようだが」「……お前は……」
警護所の人間がいないことを誰かが不審に思ったのだろうか。官憲が呼び出されたらしく、詰襟に長めの
けれど、折悪く。
そのとき順三は納刀しかけたところであった。
「……! か、刀を、貴迦人の前で!」「貴様、神妙に縛につけ!」「この惨状も貴様の仕業か!」「おのれ許しておけん!」
危害を加える意図はないと示すため、仕込み杖を手放すがもう遅い。
警官隊に取り囲まれ、したたかに儀礼杖で打ち据えられ逮捕術で床に叩きつけられてきつい拘束を受けた。
その後、格之進の根回しによって留置所へ拘留される事態は避けることとなったが、警護所からは懲戒免職の通達がくだり──その日の内に順三は生家を追い出されることとなったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます