第3話 蘇りし、剣術

 廃刀令から十年。


 天保十年に交易相手となった異世界てるなのくとの修好通商条約が結ばれてからは、はや五十年。


 順三たちが警護に呼ばれたのは横浜迎賓館でおこなわれる、異人──公的な場では『貴迦人たかびと』と呼称する──つまり異世界てるなのくの民との、開港五十周年を祝う式典の場であった。


 出席者は港の貿易商の元締め、中村忠尊氏。


 陸軍省高官の早田昭英氏。


 神祇省陰陽頭代行の伍代廣典氏。


 そして貴迦人の姫である──モニカ・オルマミュータ氏。


 警護とはいっても、魔法がろくに扱えない順三は数合わせかつもっとも建物から離れた裏手の道に配置され、廃刀令下ということもあり得物は三尺三寸約一メートルの白樫の棒だけだった。


 それでも、警護の任を授かりここへ来ているという自負がある。


 順三はにぎわう人波を見つめながら怪しい人や物体がないかを確かめていた。


「……んー」


 そこに、ぞろぞろと歩いてくる人の流れがあったので順三は目を細める。


 通りかかったのは……『笹穂のように長い耳の』人々。


 彼らが備えるのは、高い鼻に白い肌。

 金銀赤青、色とりどりの髪。

 そして髪同様に、色付けされたギヤマンのごとき美しい瞳が輝く。


 ──異人。


 異世界からの客人まろうどだ。


「……まあ、横浜ここじゃ貴迦人も怪しくもめずらしくないけど」


 観察していた視線を逸らす順三。


 また、少しして人通りが途切れると、道を挟んだ向かいで横浜の人々の生活がうかがえた。


 人夫が着流し姿で一尺三十センチほどのワンドを振れば、それに引かれるように転がる無人の荷車。


 風に乗り、空を通って届けられる荷。

 杖で指したかまどに灯る火。

 紋を刻まれひとりでに組みあがる煉瓦造り。

 湯呑の底から湧き上がる水。

 見世物の絡繰りから漏れる青の雷電。


 ──魔法。


 これもまた、横浜では怪しくもめずらしくもない。【文明異界化】の以前を知る老人たちには、到底考えられない景色だろうが。


 五十年前に下関へ来航した異人がもたらした現象法則を塗り替えるこの技術は、またたく間に人口に膾炙かいしゃしていた。


 いまや横浜や神戸など、外に開かれた街に限れば魔法を使える者……魔法士が五割を超えるとの話もある。


 ……あいにくと、順三には使えないが。


「いまのところ状況は平穏無事、と」


 ひとまずはそのように現状を認める。


 迎賓館での式典が終わるまで、何事もなく終わればいいと。


 そう、思っていた。


「──んん? なんでテメエなんぞがここにいる、須川順三」


 すると、歩いてきた男たちの一人に目をつけられる。


 あまり会いたくない相手だったが、顔には出さないように極力真顔で順三は接する。


谷部たにべさん、お疲れ様です」


 谷部将器たにべしょうき


 家格は順三より上。当人も警護隊の中で隊長に継ぐ副官の立場を得ている男だ。


 最近流行の着崩しらしい、腰に手挟んだワンドの華美な装飾を、さりげなくしかし大胆に見せつけるような風貌をしている。


 魔法の技にも秀でており、こと戦闘においては警護所で五指に入る男だ。


「おう。で、なんでここにいる?」


「それは……俺も谷部さんに同じく、警備の職を任されましたので」


 そう返せば、彼は一笑に付した。


「おいおい。万年魔法も使えないでのうのうと実家に寄生しているような奴に、任される職務だって? 聞いたかみんな。どうやら今日の仕事はガキの使いよりラクと見える」


 馬鹿にした谷部の物言いに、周囲は笑った。


 仕方のないことではある。


 この日ノ本の國ではいまや魔法こそが武の基本であり、かつての剣術諸流派のごとく様々な魔法流派が勃興・立場を得た。


 谷部の一族も、そして順三の一族もそうした、魔法により立場を得た家柄である。


 ところが須川家の三男として生を受けた順三には、上の兄たちとちがい魔法の才がこれっぽっちも存在しなかった。


 以来、順三は家でも外でも冷遇されつづけている。


 谷部もそれをわかっていて、わざわざ裏口までからかいに来ているのだ。


「で、警護につくってのに杖はどうした?」


「それは、その。杖の代わりに、こちらを」


 地面についていた、三尺三寸の棒を示す。


 これを見てさらに、谷部たちは笑った。


「ハハハハ、いやお前、棒切れって。よくそんなモンで来る気になったなこの恥知らず!」


「……、」


「とにかくなぁ、足だけは引っ張るなよ。無能の順三」


「……はい」


 谷部の姿が消えるまで頭を下げたまま、順三は返した。それでも、棒にかけた手は微動だにせずそのままだった。



 そこからはしばし、巡回と確認を繰り返す。


 警護所といっても基本の仕事は『抑止』。地味なものだ。


 それに、何事もなければその方が当然いい。


(式典はたしか、正午から二時間ほどだったかな)


 順三が見て回ったところ、危険はない。


 このままつつがなく終わるだろう、とだれもが思っていた。


 けれどひとはそうした油断をこそ、死神の足音として恐れるべきなのだろう。


 ……異変に気付いたのは、わずかな違和感によるものだった。


「? なんだか、風が途切れたような」


 ほどよく冷えた海風を受ける迎賓館。


 その端にある路上に居たため、風の唐突な鎮まりを肌に感じたのだ。


 こういうのは大抵、凶兆である。


 順三は持ち場の周りに不審な物や人影がないのを確認して、そこを離れた。


 建物に近づいてもまだ風が途切れている。


 否──


「迎賓館周りから音が、消えてる……」


 不自然な事態。


 不可解な現象。


 この正体は──物体を断つ風魔法【断風たちかぜ】を応用した上級術【遠凪とおなぎ】だ。


 空気を割き、音の振動を一定範囲から外に伝えないようにする魔法である。


 須川家は五つの属性魔法のなかでも風に秀でた家柄のため、秘奥である上級術についても知識がある。それが功を奏した。


 迎賓館の周囲を、順三は回り込んで観察した。


 すると、西側の方で。


「なっ、」


 転がっていたのは三角に切り抜かれた壁と、切り落とされた首。


 どちらも鋭い切り口ではあるが、いまは廃刀令下。刀を使った所業ではないだろう。


 無音の内に襲われたのだろう警護の魔法士は、目をかっと開いたままの恐ろしい形相で命を止めていた。


 ワンドを帯から抜くことすら出来ていない。


 これを成した下手人犯人はおそるべき早業で強力な【断風】を放ったのだ。


 順三は慎重に、切られた壁から館の中へと入る。


 そこかしこに、首を切られた死体が転がっている。ときに杖へ手をかけ抵抗した者も居たようだが、それも腕を切り落とされたあとに首を切断されていた。こんな残虐な犯行が、しかし音がなかったため外には伝わっていない。


 それら死体を道しるべに、やがて。


 順三は応接間の扉の前にたどり着く。


 中からは、何かが暴れまわるような音がしていた。ここは【遠凪】の範囲外らしい。


「……失礼っ!」


 意を決して、蹴り開けた。同時に室内へと低く転がり込み、棒を正眼に構える。


 先端越しに広くとった視界の中で動く者を察知した。


 そこでは警護所から共にやってきた魔法士の中で五指に数えられる者たちが、広い部屋の最奥で縮こまる金色の髪をした少女を背に庇いながら戦っている。


 が、すぐに五指のひとつが、欠けた。


 谷部将器だった。


「ごっぼほ……」


 詠唱か、叫びか。なにか声を上げようとした瞬間に鋭く飛んだ【断風】の風圧で首を切られ、余った呼気が直接漏れる鈍い音が、谷部の傷口から発せられた。


 倒れた同僚を見て残る四名の警戒が強まる。


 惨劇を成したのは、入口に居る順三と部屋の奥の四名との、ちょうど中間。


 部屋の中央に位置取る、たったひとりの大男だった。


「…………、」


 無言で立ち尽くし、陣形を取って構える四名を見ている。


 顔には包帯が巻かれ表情は見えない。長身に、秋口にはまだ気が早いように思われる厚手の二重廻しインバネスコートを纏っており、その怪人然とした不気味な風貌は威圧感を与えた。


 怪人は杖をゆらりと空に漂わせ、右半身に構えていた。


「くそっ、谷部をよくも!」


 四名のうち一人が、突きつけていた杖の狙いを定める。


 ──魔法が・・・発動する・・・・


「死ね!」


 順三が察知した通り、無詠唱で先端から豪と火矢がほとばしった。


 五つの属性魔法、【断風たちかぜ】【箭火せんか】【襲水かさねみず】【迅雷じんらい】【捲土けんど】。


 このなかでもっとも破壊に秀でる火魔法【箭火せんか】の一閃だ。拍子をずらし、四名全員でわずかずつ軌道と着弾点を変えた連携の無詠唱早撃ちである。警護所でいくつもの戦果を挙げてきた、彼らお得意の戦法だ。


 だが、


 怪人には当たらない。


 四矢すべてが逸らされている。


 壁と天井に向かって弾き飛ばされた矢が、石材を砕いて燻ぶった。


「なにっ!?」


 驚きに四名が目を見張る。だが順三には仕組みカラクリがわかった。


 わずかにだが怪人の足元で絨毯の毛足が、円形になびいていた。


 怪人の周囲には、回る気流の防壁・・・・・・・がある。


 それは螺旋状に回転する恐ろしい威力の風が、身に迫るものすべてを薙ぎ払う魔法だった。


(風魔法【渦埋うずめ】! また、上級術か!)


 それに気づいていないのか、動揺した四名は攻撃をつづける。


 無詠唱ではなく詠唱込みでなら、と思ったか。全員が強力な中級術を放とうとした。


 その判断に、順三が「だめだっ!」と声を上げるがもう遅い。


「【箭火・飛蝗ひこう】!!」


 火矢の群れが彼らの周囲を囲む。


 空を覆う災厄、飛蝗ばったの群れがごとく火矢の数を増し十重二十重とえはたえに放ち眼前を火で埋め尽くす術。四人同時のそれは、まさに部屋を覆いつくす矢衾やぶすまと化していた。


 しかし怪人には。


 通じなかった。


 わずかな詠唱時間が命取りだった。


「あっ、」


 と漏らしたのは四人のうち、誰か。


 あるいは四人ともか。


 疾風のごとく一瞬で彼らの懐に踏み込んでいた怪人がかかとを軸に一回転し、自身の周囲に円を描くように杖を振るっている。


 この軌道に沿って。


 ジャジっ、と砂利をすりつぶすような音がして、部屋全域の石壁に・・・・・・・・杖のある高さへ・・・・・・・傷が刻まれた・・・・・・


 四人全員の首が飛ぶ。


 身を低くして構えていた順三の頭頂部の髪も幾房かもっていかれる。


 放たれようと空中へ現れていた【箭火・飛蝗】の矢束が、本懐を遂げることなく火花を散らして消え失せていく。


「────【志那斗辺シナトベ】」


 おそらく、術の名であろう言葉をつぶやく怪人は、先の「だめだ」との叫びで存在に気付いたか。振り返って順三を見た。


 彼が構えるのが杖でなく、棒であることを知る。


 失笑を禁じ得ない、という様子で肩を揺らし笑った。


 だが順三はそちらを見ていない。


 怪人の奥、谷部たち魔法士の警護の対象である彼女……異人の少女を見ていた。


 身を縮めて襲撃者に震えていると見える彼女。モニカ・オルマミュータ。先のシナトベという術は、なんとか彼女には届かなかったようだ。


 生きている。


 まだ、生きている。


 であるならば。守らねばならない。


 それが武士である順三にとっての、剣にかける誇りだ。


「……どうか、見ないでもらえますか」


「へ……?」


「どうか」


 ただひとつ、一心に彼女へ頼み込む。異人だけれど言葉が通じたか空気を察したか、ともかく彼女はうなずき、顔を伏せたようだった。


「……御免」


 それから一言、モニカへ向けてか、天に向けてか。許しを乞う言葉を発し。


 棒を諸手正眼から左手のみに持ち替えた。


 深く掻い込んで、左手を腰に引き付ける。


 右手を、棒の端にかける。


 それは。


 失われたはずの構え。


「下手人。あなたを……斬ります」


 この言葉に怪人がぴくりと反応した。冗談だろうと言いたかったのか、あるいは順三の覚悟を悟ったのかはわからない。


 どうあれ、順三はここで禁を犯した。


 いまこのとき順三の棒の内より放たれるは──『抜刀術』による銀の閃光。


「魔法が使えない身なので。無礼ながら、こちらでお相手させてもらう」


 白銀の刀身が、仕込み杖・・・・より現れた。


 廃刀令により封じられ廃れたはずの技が、ふたたび公の場でよみがえった瞬間だった。

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