ナギサ 

ぴよ堂

1 入学



 その少女は、『伝説の竜』をぶった斬った後に、わりと些細なことで悩んでいた。






「うぅーん……ピンクも可愛いけど……、やっぱり青かな? でもフリフリも捨てがたい……かも……?」


 リボンだった。

 少女の手には、ノートと鉛筆が。紙の上には、制服が描かれている。

 他人から見たらわりと些細なこと。しかし、少女にとっては、とても重大なこと。

 だってもうすぐ、新しい学校に通うのだから。


「……なんだこれ!? なにがどうなってんだ!?」「S級のドラゴンだろ!? エシルガードに救援要請をしたのに、もう来てたのか!?」「神器使いが、たまたま通りかかったとか?」


 驚愕の声が、あちこちから響いてく。

 冒険者、兵士、職種こそ様々だが、腕に覚えのある者達が、倒れた竜に集まってくる。

 そして、気づいた。

 竜の上にちょこんと座っている少女に。

「……きみー、そんなところで何してるんだー?」

 一人の冒険者の男が、声をかけた。

「……へっ!? あっ、え、えっと……!?」

 少女は突然、竜の上であわあわと、じたばたと、焦り始める。

 そして、こけた。

 ぼむっ、と竜の巨体でワンバウンドして、ズサーッと地面を滑って砂埃が舞う。

「「「…………」」」

 冒険者達も、本気で困惑し始めた。

 なぜこんな鈍くさい少女が、竜の上に?

 誰かが竜を倒したところで、たまたま通りかかって登ったのか?

 だとしても、この鈍臭さでよく登れたな?

 竜が怖くないのか?

 なにもかも、意味不明であった。

 


 竜の名は、《ニーズヘッグ》。

 人界と魔界を隔てた厳しい環境を踏破して、時折人里を荒らす邪竜。

 その討伐には、最高ランクの戦闘者が必要となる。

 集まった冒険者達は、一体誰がこの竜を倒したのかと頭を悩ませている時だった。

「…………、あ、ああ、あの、すみません……」

 先程、竜から転げ落ちた謎の少女が、冒険者達の一人に、おずおずと話しかける。

「なにかしら?」

 話しかけられた女性は、優しく、子供にするように応対する。

「あ、あの……いきなりすみません……。こっちのピンクのリボンと……、青、どっちがいいでしょうか!?」

 ――デート中の彼女か? と、話しかけられた女性は、とても困惑した。

 初対面で、竜のクソデカい死骸の前で、何を言い出しているのだろう。

「うーん……、これ、制服よね? 校則とかもあろうだろうけど……やっぱり、好きな色が一番じゃない?」

「……そう、ですよね! ありがとうございます!」

「制服……、エシルガード王立魔法学園のだね」

「……は、はい……! そうなんですっ!」

 恐る恐る喋っていた少女の、言葉が跳ねた。

「学校……はじめてでっ!」

 なるほど、と冒険者の女性は頷く。

 それで制服に合うリボンで迷っていたわけだ。




 ……いや、それをなぜ、竜の上で?




 □





 それから、少女は学園に向かって歩みだした。



「……学校……楽しみだなあ。授業に、お弁当に、友達と放課後遊びに行ったりしちゃって……!?」

 少女は、伸びた前髪の隙間から覗いている瞳を輝かせる。

「……それに、バトル! 《神器使い》ってすごく強い人もいるらしいし……、ほんっと、もうドラゴンはうんざりだったし……。ああ、楽しみだなあ……!」


 結局、あの場にいた冒険者の誰もが、この鈍臭いようにしか見えない少女が、邪竜ニーズヘッグを倒したとは、信じていなかった。


 漆黒の髪。他者の視線を遮るように伸ばされた前髪。

 彼女の腰には、この辺りでは見かけない武器――刀が。


 彼女は、《人界》と《魔界》の境界。人類圏で最も魔界に近く、強力なモンスターが出現しやすい、極東のマガハラからやって来た。

 そこでは、S級のモンスターなど当たり前。

 人類を守護する最前線で戦い続けてきた少女にとって、国一つ滅ぼす力を持つ邪竜すら、朝飯前の相手というわけだ。

 そんな力を持ちながら、学校には通ったことがないので、本気で新生活を楽しみにしているのだった。





 少女の名は、ナギサ・ハバキリ。


 この春から、エシルガード王立魔法学園の、ピカピカの、一年生だ。



















 1

 





「…………属性が、ない……!? 《ブランク》……!? そんな人間がこの学園に入学できるはずがないでしょ!? 今すぐ出ていきなさい! あなたは退学よ!」




「え、ええ~~~~~っっ!!?」




 いきなりの、退学宣告だった。


 入学式の直後、生徒達は自身の《属性》の適正を調べる。

 魔術の属性は、地水火風雷木氷の7つ。

 通常、この七属性のどれかに適正があるのだが――ナギサは、どの属性にも適正がない無属性、《ブランク》であった。

 《属性》への適正というのは、それぞれに対応した『神』の加護と考えられており、その加護を持たない――つまりは、空っぽの人間というわけだ。


「《ブランク》がなんでこんなところに?」「加護がないってありえなくないか?」「魔族が混じってたってこと? 気持ちわるっ……」「はやくつまみだしてよ……」


 口々に悪し様に言い立てる生徒たち。

 ここは一流の魔術を学ぶ、貴族の学園だ。

 平民でも入学できるとはいえ、それも魔術の実力あってのこと。

 なんの加護も持たない、能力のない人間は当たり前のように見下される。


 ――ナギサだって、覚悟はしてきた。

 

 ナギサは、故郷の《マガハラ》にある学校の入学試験に落ちている。

 小さい頃から、親の付き添いで、冒険者として各地を巡ってモンスターと戦う日々だった。

 それ故に、彼女はコミュニケーションが苦手で、人と上手く話せない。

 だから、集団戦闘の試験で、いつも失敗してしまう。



 でも、今度こそ、大丈夫と……、ナギサは母親にそう言われていたのだ。

 



 ――ナギサ、いつもお母さんの都合であなたを振り回して、ごめんなさいね……。

 ――でも、今度は良い学校見つけたの。少し遠いし、国も違うから……大変なこともあるかもしれないけど、それでも……きっと、たくさんお友達ができるはずよ。


 ――だから……もし、ナギサが、行きたいって思ったら、お母さん、応援するからね。




(…………お母さんも、応援、してくれてるのに……)




 なぜだろう。

 なにか手違いがあったのか。

 《ブランク》。無属性。魔法の才能が、ない……それだけで、学校に通って、友達を作ることもできないのだろうか。

 この世界は、どこの国でも、そういうルールなのだろうか?


 ――ごめんね、ナギサ……。魔法が使えるように、生んであげられなくて、ごめんね……。

 ――きっと、ナギサが笑顔になれる場所が、どこかにあるからね……。


「ナギサ・ハバキリさん……、そもそもあなた、マガハラの出身って……推薦はどこの家からなの?」


「え、えっ、と……」

 ナギサは特別な推薦枠での入学だ。そうでもないと、マガハラという異国の生徒が由緒ある学園に入ることはできない。

 なので、すぐに『家の名前』を出さなければいけないのだが……。

 ただでさえ人前で話すことが苦手なのに、焦りで頭が真っ白になるナギサ。




 おまけに過去のトラウマを刺激されて、パニックで言葉が出てこない。




「――――ヴァナルガンド家です。……ファシルリル・ヴァナルガンドの名において、彼女の入学は認められています」




 凛とした声は、人間を凍てつかせるように、一瞬でその場を支配した。



 純白の長髪に、青い瞳。

 まるで、おとぎ話の中から出てきたように、綺麗な人だった。

 とてつもない美人だけれど。

 その人は、ナギサには王子様のように見えた。

「……ですが、マガハラ出身というのも、《ブランク》も、前例が……」

「――私達の始祖も、初めて神器を握って戦う時は、前例がなかったのでは?」

 ――《七家》。

 七属性それぞれに対応した、魔術を極めた、全ての魔力を扱う者の頂点。

「まだ文句があるのならば、正式な決闘で異議を申し立ててください」

「……くっ……。……わかりました。では、この場はこれで……」

 場を支配した少女――ファシルリルは、教師に対して興味を失ったように視線を外す。

 それから、ナギサの瞳をまっすぐに見つめた。

「……ごめんなさい。私が遅れたせいで、あなたが余計な蔑みで見られてしまった」

「え、あ、い、いえ…………」

 ナギサとしては、それよりも助けてくれたことにお礼を言いたかったが、まだ展開についていけてなくて、言葉がでない。

 言葉がでないのはいつもだが、いつもよりも、さらに。

 それに。

(…………なにこの人、すっごい、綺麗! 都会って…………、こうなの!? 私なんか……、髪も、ボサボサで……、背も低くて、体もひらべったいのに……、この人は……全部逆で…………全部、綺麗で……すごい!!!!)


 いきなり《ブランク》だとバカにされ退学の危機に陥った絶望を上書きしてしまうほどに、彼女の美しさは、ナギサには鮮烈に映った。


「……行きましょう。学校を案内するわ。このくだらない儀式よりは楽しいもの、見せてあげる」


「……は、はいぃっ!」


 つっかえつつも、元気な返事で、ナギサはファシルリルについていく。





 2


「あっちが図書棟……、こっちに行くと、闘技棟ね」

 

 地図を見ながらファシルリルについていくナギサ。

 彼女は手際よく、学園を案内してくれる。頼れる相手のいないナギサからしたら、本当にありがたい。

「……あ、あの……!」

「なにかな?」

「ファシルリルさん……は、お母さん……クウナ・ハバキリと知り合いですか?」

「ああ。仕事上、懇意にしててね。クウナさんにはお世話になってる」

「……もしかして……ミーちゃんの……?」

 ナギサは、腰に差している刀を指差す。

「……ミーちゃん……、《ミタマ》って、刀で、お母さん、《魔装鍛冶師》に見てもらったこと、あるって」

「その鍔は……。ええ、そうね。クウナさんに頼まれたことがあるわ」

「やっぱり! その節はありがとうございましたっ!!」

 これまでおどおどしていたナギサだが、この感謝の言葉だけは、ハッキリと伝えた。

「ふふ……いいわよ。こっちも綺麗な刀を調整させてもらうと元気が出るし」

「……綺麗! 綺麗だってよミーちゃん、こんな美人さんに褒めてもらうなんて、幸せだねえ~……!」

 なにやら刀に話かけ始めるナギサ。

 魔装士――《魔装具》と呼ばれる武具を扱う者の総称。

 『属性』がないナギサも、彼女の刀である《ミタマ》は魔装具なので、一応は《魔装士》ということになる。

 《魔装士》が武器を大切にするのは当然のことだが、それにしても、ナギサの刀への思い入れは、あまり見かけない入れ込みようだ。

「……それでぇ~……その、大丈夫、なんでしょうか? 私、ぶらんく? って……」

「そうね……、もちろんさっきみたいに不快な想いをすることもあるだろう。それでも、……この学園に、通ってみたかったのでしょう?」

「……は、はい! それは、もちろん!」

「……できる限り、私もフォローするわ。寮長としてね。今日からキミも、このヴァナルガンド寮の仲間なのだから」

「……は、はい! な、仲間……仲間……ふへへぇ……」

 じーん……と、ナギサの胸に温かいものがこみ上げる。

 仲間。

 寮。

 どれも、ずっとずっと憧れてきたものだ。

 物語の中にしかない憧れを、ナギサはずっと求めていた。

 それが今、現実になっている。

 だったら、どれだけバカにされても平気だ。

 ナギサが好む本の中の主人公たちだって、みんな最初は馬鹿にされて、それでも頑張って、少しずつ認められていくのだ。

 きっと誰しも、そういうことがあるのだろう。


「……では、改めて。私はヴァナルガンド寮の寮長――ファシルリル・ヴァナルガンドだ。ファシルでいいよ」


「ナギサ・ハバキリ……ですっ! 魔術は使えない……けど、頑張りたいという気持ちはあります!」


 …………なにを? とは、ファシルは言わなかった。


 3


「……そ、それにしても、すごい……剣が、たくさん……」

「『工房』なんだ。私は鍛冶科だからね。……見てみるかい? これからキミが使うことになるかもしれない」

「……えっ、いいんですか!?」

「もちろん。そうだな……、刀はないが……やはり刃渡りや重さが同じくらいの剣がいいかな? その《ミタマ》も素晴らしいけど、常に同じ武器を使う者もいれば、状況に応じて細かく使い分けるタイプもいるからね。ナギサもどういうタイプかは、これから考えていくといいよ」

「……は、はい! ミーちゃんは大事、だけど……いろんな武器も使ってみたいです!」

 工房の壁にかけられた様々な武器を見て、ナギサは目を輝かせる。

 ナギサは剣士ではあるものの、あらゆる武器が好きだ。

 自分で扱わずとも、相手の武器を知っていれば、対処方法がわかる。

 武器は、その作り手の願いがこもっている。

 こんな力が欲しい。

 その願いに、形を与える。とてもすごいことだ。だから、ナギサは鍛冶師のことも尊敬している。

 武器は時に、人を傷つける。

 けれど、危険な魔物を倒すのも、険しい道を開拓するのも……、誰かと競い合うことだって、全ては武器があるからこそなのだ。

 全ては、人次第。

 だから、武器は常に、純粋にただ願いをカタチにしたものであるはずだと、ナギサは信じている。





「……あっれぇ? なんで《ブランク》までいんだよ?」




 その時。

 不躾な声とともに、一人の少女が工房へ足を踏み入れた。

 栗色の瞳と、栗色の髪。

 肩くらいの髪を二つ結びにしており、白のメッシュが入っている。

 背中には、巨大な剣が。剣は布で覆われており、少女の背丈ほどもある。


「…………ギルナ。なにしにきたの?」

 ファシルの声音から、明確に敵意が滲んでいた。

「とぼけんなよ。アンタからノートでも借りると思うか? 神器だよ……いい加減、諦めろよ?」

 ギルナと呼ばれた少女が、ファシルを睨みつける。

 互いの突き刺すような視線が交差、静寂。

「…………あ、あの……、あの人は……?」

 恐る恐る聞くナギサ。

 ただでさえ他人が怖いのに、威圧的な人ならもう今すぐ逃げ出したい程の恐怖だ。

「ギルナ・フィローギュ。……なんというか、借金の取り立て? みたいな……まあ、面倒だけど、どうにかなるわ」

「おい……おいおいおい……、相変わらずムカつくなテメェ……。アウルゲルミル寮序列2位のアタシに、どうして鍛冶科の『没落姫』がナメた口きけんだよ?」

「2位……ねえ?」

「……ンだよ……。っつーか……なんで《ブランク》がいんだ?」

 ぎろり、とギルナの栗色の瞳が、ナギサを射抜く。

「ひぅ……ッ」

 ナギサは思わず、ファシルの背後へ隠れてしまう。


「だっさあ……なにあれ?」「『没落姫』に『ブランク』って……、ヴァナルガンド寮って落ちこぼれを集めるゴミ溜めになったの?」


 ギルナの取り巻き達が、ぞろぞろとやってきて口々に笑う。

 ご丁寧に、このためにいつも連れているのだろう。 

 ギルナのプライドの高さが透ける、嫌らしい部分だ……とファシルはこういうところを嫌っている。

「姫さんさあ……、『ブランク』になんか構ってる暇あんの? ……だいたい、なんだよそいつ。ザコのくせにビビりって……」

「この子は……今は関係ないでしょ?」

「……いや、あるよなあ?」

 ニィィ……、とギルナが意地の悪い笑みを浮かべた。

「そいつ、《魔族》なんじゃねえの? 姫さん好みってワケだ。いよいよイカれてんなあ……、人類を脅かすスパイだらけの寮なんて。姫さんも、そこの魔族も、さっさとこの学園から出てったほうがいいんじゃねえの?」

 あえてナギサに聞こえる大声で、偏見にまみれた言葉を撒き散らす。

「……ひ、うぅ……」

 涙声と、手の震え。背後にいても、ナギサの悲しみがファシルには伝わってくる。

 さっきもそうだ。

 《ブランク》とわかった途端、同じ人間ですらないとまで言い放つ無神経さ、不理解、差別……。

 属性を持たない人間は、少ないながらも存在する。そして、属性がないことが、『魔族』の形質的特徴と一致するという事実もない。

 そもそも、『魔族』というのも定義が曖昧なのだ。

 ゴブリン、オーク、ウェアウルフ、ヴァンパイア……様々な魔物や亜人種に対する差別は存在するが、どう『魔族』を定義するかは、研究者の間でも統一されていない。

 うんざりする。

 ファシルもまた、とある事情から、そういった偏見には晒されてきている。

 先程のヤツらとは違い、ギルナは傷つくとわかって、あえて言っているのだろう。

 どちらにせよ、吐き気がする品性だ。


「魔族魔族って……、それもアンタのお姉さまの真似事?」


 ギルナが所属する《アルルゲルミル寮》。

 そこは代々、《魔族狩り》で名を馳せてきた。

 《魔族》への敵意も、当然他の家よりもずっと強い。


「ねえ……あなたのその髪、ルミリフィアの真似だろうけど……その色……。あいつよりもずっとくすんでる白ね。似合ってないからやめたら?」


 ギルナの髪に入った白いメッシュ。

 それは、ギルナが所属する寮の序列1位――ルミリフィア・アウルゲルミルの魔力の色を真似した、敬意の表れだった。

 ファシルは苛立ちを、的確な罵倒に変換した。 


 結果、正確に、ギルナのプライドをへし折った。


「――――、」

 一瞬の、変化だった。

 大きく目を見開くギルナ。


 直後。


 背中の巨大な剣を留めていたベルトから引き抜いて、被せている布をそのままに、振り抜いた。

 ガシャァァン…………と、激しい金属音が響き、工房に飾られていた剣を砕いた。

 壁にかけられていた剣が、いくつも散らばる。

 大剣を叩きつけられた剣は、無残にへし折れていた。


「…………、はぁ……。片付け、めんどうね……」


 対して、ファシルは苛立たしげに舌打ちするだけだった。


 だが――。








「…………なにっ……するんですかぁ……っっっ!!」

 

 刹那――――ナギサは、有無を言わさず、ギルナをぶん殴った。








「…………へ?」と、ファシルはあまりのことに、気の抜けた声を漏らした。


「……なぁっ!?」「はあ!?」とギルナの取り巻きも、目を丸くしている。



 ギルナは開いたままだった工房の扉から外へ飛んでいき、そのまま地面を数回バウンドして、砂埃を上げて停止。


「おい……、おいおい……、なにしてくれてん――」


 叫ぼうとしたギルナに対し、


 ――ざくんっ!! と巨大な剣が投げ放たれ、突き立つ。


「ぶった、のは……ごめん、なさい……!」


「……あ、あァ……?」


 あれが、『ぶった』? 

 グーで、顔面で、ふっ飛ばされたが???

 

 ギルナは、言語感覚の断絶に、困惑した。


「……あ、あなた……その、剣、大事にしてるんですよね!?」

「……あァ……?」


 意図の読めない質問。

「……そ、その剣の柄も、巻いてる布も、傷があるけど、でも、補修されて……大事に、されてるじゃないですかあ……!」

「……意味わっかんねえこと、言ってんじゃねえッ!」

 巻いてある布から解き放ち、刃を剥き出しに。

 幅広の剣は、鍔の先にある剣身部分にも柄がついている。さらに先端部にも、もう一つの柄が。

 これで、通常の柄と合わせて、合計三つも柄があるという、異形の剣だ。

 ギルナは、大剣をつかんで駆け出した。

「ファシルさん……、借りますっ!」

 ナギサはそう言って、散らばっている剣のうち一つを掴む。


 ギルナが疾走の勢いそのまま、巨大な剣を振り下ろす。



「おわりっしょ!」「ギルナ先輩やっちゃえーっ!」


 取り巻きは、これで決着と確信する。




 単純な、剣の大きさだけではない。

 剣のサイズも込められる魔力量に影響するが、そもそもの双方のパワーが違いすぎる。

 例え、剣のサイズが同じだったとしても、ギルナの方が魔力量が遥かに多い。

 つまりパワーの面で、そのまま打ち合えば、絶対にギルナが勝つ。


 

 ――そのまま打ち合えば、の話だが。


「……ぐ、あァ!?」

 まるで何かに足を引っ掛けて転ぶかのように、ギルナが体勢を崩した。

 確かに、二人の剣は打ち合ったはずなのに。


「良い威力です。良い太刀筋。乱暴そうなのに、綺麗。でも、見えてる」


 凛とした声で、ナギサがそう告げた。

 ナギサは、ギルナの太刀筋を読み切って、剣を合わせた瞬間に、力の流れを変えたのだ。

 しかも、『流れ』をどの向きにするかまでコントロールして、大剣を地面にのめり込ませた。


「――《ロック・ピラー》!」


 とん、と……ギルナは足を地面で叩くと同時に、短縮詠唱。


 足元から岩で出来た鋭いトゲが伸びて、ナギサを襲う。


 一歩、後方へ――ナギサは、たったそれだけで、岩のトゲをかわすと、岩を切断し、蹴飛ばした。

「ぐっ、このっ……!?」

 自身の攻撃が一転し、襲いかかってくる。

 ギルナは目を剥きながらも、幅広い大剣を盾に、岩弾をガード。

 しかし――それにより、視界からナギサを外してしまう隙が生じた。

「は、や……ッ」

 視界を塞いだ隙に、ナギサは一瞬で距離を詰めて、剣を振りかぶっている。


 だが――。


 

 □



 ――ここ、だ。


 絶体絶命ではあるものの、だからこそ、ギルナは逆転の活路を見出す。


 相手がトドメを刺せると思う、その瞬間。



 ここでギルナの切り札は最高に活きる。



 なぜ、ギルナの大剣には、柄が複数ついているのか?

 接近戦で複数ある柄の剣身内部のものを掴めば、通常の柄よりも力が入りやすい。

 しかし、それだけではない。


 ギルナは、先端の柄を握り、『柄』自体を、捻った。


 ガシャッ……と音がして、大剣の一部が外れて、分離。二つ目の剣となる。

 これがギルナの切り札。

 剣に施された仕掛け。

 意識の外から現れる二つ目の剣、不意打ちでこれを出せば、まず奇襲が成立する。


 ――はず、だったのだが。


 ナギサは、剣の柄、その端である『柄頭』で、ギルナの分離剣を受け止めていた。



 こちらの不意打ちを、柄頭という小さな『点』で受け止める。



 異次元の、実力差。

 

 ――のみならず、


 さらにナギサは、『柄頭』を使って、先程と同じように、『力の受け流し』で、ギルナの体勢を崩してきた。

 一つ一つの技が、途方もない修練の果てにたどり着く絶技だ。

 絶技に絶技を重ね続ける異常。

 強すぎる。

 

 もしかしたら、七家序列第一位の、ギルナが敬愛する、ルミリフィアよりも――……。

 

 ありえない。

 ありえない、それだけはダメだ。

 ギルナは脳内に浮かんでしまう最悪の想像、必死で押さえつける。






 ギルナの脳裏を、様々な情景がかすめていく。


 ――スラム街で生きるか死ぬかの日々を送ってきたこと。

 

 腐臭にまみれたゴミを漁る。

 冷たい石畳で、眠れない夜。


 生意気だと年上に殴れて、痛みで吐きながら、這いずった日のこと。

  

 ――冒険者として日銭を稼いでいた時のこと。

 忘れていない。

 学園で『貴族』として不自由なく他者を見下せる立場になっても、あの地獄を忘れていない。

 ――冒険者として、名をあげて、ルミリフィアに見つけてもらった時のこと。







「まだ、だァ……ッ!」


 ダンッ! とギルナは大地を踏み鳴らし、術式を起動。


 分離させた小剣と、一部欠けた大剣。地面に突き立ってる大剣を、その下から岩棘を出現させることで、弾き飛ばす。

 さらに、別の岩棘を射出して、自身の小剣にぶつける。

 これにより、強引に小剣の軌道を捻じ曲げて、ナギサへの斬撃とする。

 

 土壇場での、二点同時攻撃。

 苦し紛れだろうが、執念の泥臭い、足掻き。


 ――それでも。


「――良い、剣です」


 一閃。

 一筆に、分離させた大剣と小剣を、同時に切り飛ばされた。

 二つの攻撃を見切り、さらにタイミングまで完璧に掌握しなければ、一筆には切れないだろう。


 そして、二点を繋ぐ、正確無比な太刀筋。




(…………バケモノか……こいつ…………!!?)



 ギルナは恐怖した。

 この相手には、叶わない。


「……その武器の仕掛けも、それを使いこなすあなたの技量も、素晴らしかったです! ……だからこそ、そんなに頑張っているあなたが、ファシルさんの剣を壊したり、そういう乱暴をするのが、……わ、わたし……わからないですっ……」


 本当に、どこまでもムカつくやつだ。


 何も出来ないビビリかと思えば、こちらを認めるようなことを言う。

 それでも、まったくこちらを理解できていない。

 全てが、腹が立つ。

 

 こいつは、ギルナがファシルを憎む気持ちを知らない。

 ギルナが、敬愛するルミリフィアをどれだけ強く想うのか知らない。


 ――――ファシルの、人類への、裏切りを、知らない。


 そのくせに、わかったようなことを言う。


 本当に、ムカつく…………。

 ムカつくムカつくムカつく……。


 今すぐぶん殴って黙らせてやりたい。


 それなのに。





 こんな気持ち悪い、《ブランク》の、意味不明なゴミクズに……。



 そうだ。

 這い上がってきたのだ。

 地獄のそこから、この剣で、這い上がってきた。


 知らないだろう、こいつは。

 地獄を、知らない……はずなのに……。


 でも。

 だけど。


 こいつは、強かった。

 どうして、こいつは……こんなにも強い?



 

 ムカつく……。

 

 ムカつく……。




 自分の、剣を、認められたことが、

 

 少しでも嬉しいのが、何よりも、ムカつく……。

 



 不愉快だ。


 本当に、ムカつく…………。








 □





 それから、ギルナはあっさりと取り巻きを引き連れて帰っていった。


 ギルナの背中に、ナギサは叫ぶ。


「ちょっと!? 謝ってくださいよ! 壊した剣のこと! ファシルさんに! ちょっと! あの! 私も、ぶってごめんなさい! ほんとに、ごめんなさい! でも! あのお!? む、むし……無視……無視しないで……無視するなああ!!! あやまってえぇぇ~~~!!!」



「……もういいよ。ナギサ。ありがとう……、私の剣のために怒ってくれて嬉しいよ」

「……でもっ……、あの人、逃げちゃったし……、ひどい、人です。あんなに、良い剣なのに、頑張って、練習してる、はずなのに……、心技体が! 心が! ああ、もう、なんですかの人、ひどい……ひどい……っ!」

 ナギサはもう自分でも感情のやり場がないというように叫び、どんどんと激しく足踏みし始めた。


 それを見て、ファシルは小さく笑みをこぼす。


 すごく強いのに、子供だ。

 単純な理屈ばかりだ。


 『剣の鍛錬を頑張ってるのだから、良い人に違いない』。

 『話せばわかってくれるに決まっている』。

 『悪いことをしたんだから、謝ってくれる』。

 

 そんなはずはない。


 あのギルナが、そんな単純なはずがない。

 なにせ、ギルナと拗れた理由には、あの女が……、ルミリフィアが関わっているのだから。

 それでも……。

 この強さ。

 この純粋さ。

 惹かれてしまう。どうしようもなく。

 彼女なら、ナギサとなら、できるかもしれない。

 

「……ねえ、ナギサ」

「……は、はい? なんでしょう」


「……聞いてくれるかな。私が、キミを呼んだ、本当の理由を」


 ファシルは話すと決めた。


 なぜ、ナギサを学園に呼んだのか。






 そしてなぜ――ファシルは、人類を裏切ったのかを。


 


 裏切らねば、ならなかったのか……。


 なぜ、ギルナがファシルを憎むのか。



 

 なぜ、ファシルが……、大切な相棒を……ルミリフィアを裏切らないといけなかったのか。


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