第29話 そのモブ、不名誉を被る。


「変態ね、あなた」

「……え?」

「変なのよ、それもかなり。変態って言ってもいいくらい」

「いや、すごい悪口」

「悪口じゃないわ、ただ事実を述べているだけよ」


 うん、事実ならもっと傷つくんだけど……。


 僕が微妙な表情を浮かべながら遠い目をしていると、シオンはそのまま言葉を継ぎ足した。


「だってあなた、おかしいんだもの」

「おかしい?」

「ええ。そうね、まずどこから話せばいいのかしら……」


 シオンは僅かに視線を落として思案する仕草を見せたが、すぐに頷く。

 それから杖を標的の方へ突き出し、無詠唱で水塊アクェイドを発現させた。


「この魔法、どう思う?」

「どうって、よく洗練されてると思うけど……」

「そうね、その自負はあるわ」


 なんだこの会話。ただの自慢したがりなのか?

 と、思わず冷ややかな視線を送ってしまうが、シオンは気にせず続ける。


「でも、この魔法は失敗しているのよ」

「失敗……?」

「そう。私はあの標的の近くで魔法を発現させるつもりだった。でも、実際は見ての通り。私の手からせいぜい1メートル程度のところに魔法は発現してしまっている。だから失敗」


 ため息混じりにそう吐き捨てつつ魔法を解除するシオン。

 その視線は矢のような鋭さを有しながら、柔らかくも切ない印象を含んだものだった。


「でも、あなたは模擬戦の最中、あの土壇場で数メートル離れた位置に魔法を発現させた。これって、相当異常なのよ?」


 そう言われても、いまいちピンとこない。

 たかが魔法の発現位置が少し遠かっただけじゃないか。

 それに、あれはまぐれだった可能性もあるし……。


 あまり納得がいっていなかったため、僕の聞き返しは少々ぎこちないものとなってしまった。


「その反応、本当によくわかってないのね、はあ……」


 僕を見る彼女の目はどんどん死んでいった。

 それでも彼女は、僕に言葉を費やすことをやめないでくれるようだった。


「……そもそも、魔力の制御は自分から距離が離れれば離れるほど難易度が急激に上がるものなの。だから、普通は手元で精度の高い魔法を発現させて遠くへ発射させる。予め遠くで発現させる発想自体、あまり一般的ではないのよ」


 うんざりした様子で話したシオンは、そこでようやく一息吐いた。

 だが、どうやらまだ満足していないらしい。


「……それにあなた、魔法を発現させてから維持させて、それから機を狙って私に当てたって、そう言ってたわよね?」

「うん、まあ」

「それが1番変……いや、変態なのよ」


 いやだから、わざわざ言い直さなくていいんだけど……。


 だが、シオンの表情から悪意は感じられない。

 ただただわけがわからないといった様子。

 恐らく僕のことを純粋に変態だと思っているんだろう。

 まあそれはそれでなんだかなあ、という感じなのだが……。


「さっきも言ったけど、魔力制御は手元から離れれば離れるほど難しくなるの。だから、発現させる魔法の設定は予め決めておくものなのよ。弾道も消失点も消失時間も速さも。発現させた後はその設定に基づいて魔法が半自動で動いてくれる。これが常識なの。発現させるだけさせて、後から自分で自在に動かすなんて非効率的な真似、普通はやらない……、というか、できないのよ」


 シオンの話は初めて知ることばかりだった。

 だが、恐らくは正しいのだろう。

 実際、普通に魔法を放つときは無意識のうちに彼女の言う通りにしていた気がする。


「どう? これでわかったかしら? あなたがどれほどの変態なのか」

「えっと、はい……」


 ここに来て、シオンは今日一番の清々しい顔を見せた。

 勝ち誇ったかのようなその表情は普段よりも幼く、愛らしさすら感じられた。

 しかし、そう思ったのも束の間、彼女は深いため息を吐く。


「……でも、知れば知るほど自分が情けなくなるわ。こんな変な人に引き分けたなんて……」

「……え? いまなんて?」

「だから、あの模擬戦、引き分けに終わったでしょ? 何度も言わせないで」


 寝耳に水とは正にこのこと。

 彼女の放ったその言葉に動揺し、僕は反射的に聞き返してしまった。

 そのせいで彼女の機嫌は急転直下したようだったが、正直それも些事に思えてしまう。


「ひ、引き分け……?」

「なによその反応……、もしかして知らなかったの?」

「まあ……うん。てっきり負けたんだと思ってた」

「なにそれ、逆にムカつくんだけど……」

「なんかごめん」

「はあ……」


 本当はどうして引き分けたのか、詳しく聞きたかった。

 だが、それは蛇がいるとわかっている藪を突くのと同じだ。

 ここはさすがに自重しておくのが吉だろう。


「で、でも、ずっと君が優勢だったし、あれは君の勝ちみたいなものだと思うけどなー」

「……」


 当たり障りのない言葉を見繕って渡してみたが、先方の反応は芳しくない。


「最後の魔法もたぶんまぐれみたいなものだし、全部たまたまなんじゃないかなーって。偶然僕の運が良かっただけでさ」

「……それでもダメなのよ」

「え?」

「ダメなの。どんなに運が悪くても、相性が悪くても、私は勝たなきゃいけないのよ……」


 吐き出すようにゆっくりと呟いたシオン。

 その言葉は恐らく僕に向けたものではなかった。

 彼女の瞳は虚げに映ったが、それでもその奥には強い意志が宿っている、そんな気がした。


 ──ゴーン。


 どこからか鐘の音が響く。

 おそらくは学院の時計塔から聴こえてきているのだろう。

 あそこの鐘は定刻に鐘が鳴るように設定されているらしい。

 試しに時計へ目をやると、針はちょうど5時を指していた。

 

「もうこんな時間なのね。はあ、今日は全然集中できなかったわね」

「えっと……なんかごめん」

「別に、あなたのせいじゃないわ。私が勝手に集中力を欠いただけだもの」


 そっぽを向いて答えるシオン。

 お世辞でもなんでもなく、それは彼女の本心のようだった。


 他責よりも自責を真っ先に優先するその精神。

 それは時として、ストイックなどという美麗な言葉で持て囃されるかもしれない。

 だが、度が過ぎれば容易に身を滅ぼす。

 その危うさに、人々はなかなか目を向けようとしない。

 それは、彼女自身も例外じゃないんだよな……。


「悪いけど、戸締まり頼んでいいかしら。鍵はこれ、職員室に持って行けばいいから」

「あー、うん」


 素早く帰り支度を済ませると、彼女は「じゃ、よろしく頼むわね」とだけ残し、小走りで訓練場を後にした。


 ──なにか予定でもあるのか?


 そんな疑問を投げかける暇もなく、彼女の背中は忽ちのうちに見えなくなってしまった。



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