第40話 そのモブ、未だモブのまま。


 ……シオンのメイドだと?

 そんなの、原作ゲームのエフトでは影の一つも映らなかったはずだ。

 というか、こんな目立つ見た目なら絶対に忘れるわけがない。


 赤みがかった艶やかな髪を後ろでまとめあげる上品さ。

 しかし同時に垣間見えるその首筋から醸し出される微かな色気。

 露出の少ないフォーマルなメイド服でも隠しきれないその豊満なボディは、大人の女性としての彼女の魅力を際立たせている。

 加えて、目鼻立ちは整い過ぎていると言っても過言じゃない。

 どこぞのお姫様と言われても納得できそうな見た目である。


 やはり、この世界とゲームの世界とでは全てが一致しているわけではないのか?

 ……いやでも、シオンの出自を考えればメイドの1人や2人、いてもおかしくはない。

 たまたまゲームには登場していなかっただけってことなのか……?


「アクタ様、アクタ様?」


 あれこれ考えていると、アンナと名乗ったそのメイドが不審そうに呼びかけてきていた。

 そのため、一度思考を切り替えることにする。


「あ、あーいや、なんでも。えっと、でもなんで僕の名前を?」

「私、メイドですから」

「……あ、そう」


 アンナは当然のように答える、それも無表情のままで。

 そんな彼女に釣られて、というか圧倒されて、こっちまで真顔になってしまう。


 ふと通りの方へ視線をやると、シオンの姿は見えなくなっていた。

 次の配達先まで走っているのだろうか。


「気になりますか? お嬢様のことが」

「え? あ、いや……」

「私は気になります」

「は?」

「アクタ様は? 気になりますか?」


 ……す、すごい、圧がすごい。

 首を縦に振らなければ殺す。

 そんな尋常ならざる圧力を感じる。


「え、は、はい……」

「そうですか、まあ当然ですね。お嬢様に魅かれない人間などこの世にはいませんからね」


 恐る恐る頷くと、途端に圧力は消え失せた。

 感情が表に現れず、ずっと変わらず無表情なのが逆に怖い。

 正直何を考えているのかさっぱりわからない。

 だが、発言内容からシオンに心酔していることだけは確かなようだ。


「ではアクタ様、そろそろ本題に入りましょうか」

「本題?」


 元から正されていた姿勢をさらに正すと、アンナは徐に話し始めた。


「最近のお嬢様は少し表情が柔らかくなりました」

「え?」

「学院へ通うのも以前より楽しそうにしておりました。アクタ様、あなたのおかげでございます」

「いや、そんな大したことしてないですよ」


 本心からの言葉だった。

 実際、僕は何もしていないんだ。

 ただ放課後にシオンの隣で魔法の鍛錬をしていただけ。

 なんなら迷惑をかけてしかいない気がする。


「いいえ、大したことだったのです。少なくともお嬢様にとっては」


 その言葉を聴いて、一瞬心が踊った。

 自分が誰かの役に立っている。

 そう言われた気がして、たぶん嬉しかったんだ。


 だが、同時にそれを素直に喜べない自分もいた。

 だから、僕の返答もぎこちなくなってしまう。


「そ、そうなんですね……」

「ええ。ですが、いえ……だからこそ、お嬢様との関わりを控えていただけませんか?」

「……は?」


 言葉の意味を理解するまで数秒かかってしまう。

 あまりに唐突な拒絶だったため、思考が一瞬停止しかけた。

 そうこうしているうちに、アンナは言葉を加える。


「お嬢様はお強い方です。誰に認められずとも、挫けず何度も立ち上がり、お一人で努力を続けられるお方です。今も、目標のために奔走していらっしゃいます。

 ……だから、これ以上お嬢様の邪魔をしないでいただきたいのです」

「邪魔なんて、そんなこと──」

「邪魔、なんですよ。あなたが関わると、お嬢様は苦しむことになりますから」


 口を挟んだ僕の声を容赦なく遮り、アンナはきっぱりと断定する。

 その迫力に思わず怯んでしまう。

 アンナはそんな僕の様子を一瞥し、そのまま続けた。


「だって、あなたが最後までお嬢様の側にいることはないでしょう?」

「っ……」


 試すように投げかけられた問いかけは、僕の身体を一気に強張らせた。


 ──最後までシオンの側にいる。


 少し前までなら即答できたはずなのに、今はうまく声が出せない。

 ただ、歯を食い縛ることしか僕にはできなかった。


「……お嬢様は独りに慣れておいでです。しかし同時に、失う辛さに不慣れでもあるのです。

 だからこそ、最後までお側にいられないのであれば、その覚悟をお持ちでないのであれば、どうかこれ以上、あのお方に関わらないでくださいませ。中途半端な優しさは、時に悪意よりも人を傷つけますから」

「……」


 僕は、何も言えなかった。

 何も言う気にはなれなかった。

 だって、心が認めてしまっていたから。

 僕は主人公にはなれないのだと……。


「では、失礼いたします」


 深々と頭を下げたメイドは踵を返し、薄暗い路地裏に消えていった。

 その背中を目で追うこともせず、僕は視線を落とす。

 そのとき、胸元で揺れるヒビ割れた水晶が目に入った。


「はあ……」


 勝手に前に進んでいる気でいた。

 3年前、この水晶の持ち主に誓いを立てたあの日から、少しずつではあるが進んでいる気がしていた。

 不器用なりに頑張って、必死に足掻いてもがいて抗って。

 自分なりに変化してきたつもりだったんだ。


 ……でも、やっぱり僕は何も変わってなかった。

 高校生だったあの日、あの視線から目を背け続けている。

 ずっと、ずっと、いつまでも変わらず。

 僕は逃げ続けているんだ。


「……はは、なにがソーマの意志を継ぐ、だよ。これじゃあその辺のモブの方がまだマシじゃん……」


 震えた声を絞り出すように呟いた僕は、しばらくの間その場に立ち尽くした。

 一歩動くことすらできず、僕には断続的に作られる足元の染みを眺めることしかできなかった。


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