第1章 そのモブ、歩み始める。
第14話 そのモブ、永い刻を経て。
♢
頬を撫でる気持ちの良い風。
暖かな陽が差し込み、胸元で輝く碧の水晶をきらきらと輝かせる。
辺りを見渡せば、薄桃色の花びらがひらひらと舞い、甘い香りを漂わせている。
気温は高過ぎず低過ぎず。
散歩でもしたらなんとなく気分が上がってしまいそうな良い天気。
だが、僕の気分は最悪だった。
「おい坊主、大丈夫か? あと少しの辛抱だからよ、気をしっかりな?」
前方からしゃがれた声が聴こえる。
ガラガラとうるさい車輪の音で聴き取りにくいが、どうやらそろそろ目的地に着くらしい。
しかし、そんなことは割とどうでもよかった。
いや、どうでもよくはないんだけど。
なんなら今1番大事なことですらあるんだけど。
それでもとにかく、なんでもいいから早くしてほしかった。
この地獄から一刻でも早く解放されたい。
ただそれしか考える余裕がなかったんだ。
……端的に言えば、僕は酔っていた。
見事なまでの車酔い。
正直、馬車ってやつを舐めていた。
いや、厳密には馬車ではないか。
車を引いているのはケルドアというサイとラクダを足して2で割ったような見た目の動物であるため馬ではない。
だがまあ、この際どうでもいいだろう。
僕は、馬車酔いに苦しみ悶えている。
それだけが事実で真実。
ここまで辛い乗り物酔いは人生で初めてで、このままでは誇張とかなしに頭がどうにかなってしまいそうだった。
「そんな吐きそうな面すんなって。それじゃまるで、俺の運転が悪いみたいじゃねえか」
「……いや、別にそんなこと──」
「まあ実際よく揺れるのは認めるけどな」
認めるのかよ……。
気になってたけど言わないようにしたのに。
思わず白い目を向けてしまう。
だが、僕の長い前髪のおかげで男が視線に気付いた様子はなかった。
「でも俺のせいじゃねえからな? 道が整備されてねえのが悪いんだよ。強いて言うなら国だな。国が悪い」
「そうなんすね……」
「そうなんだよ、ったく。都心部ばかり発展させやがって、ここいら一帯は二の次三の次なんだろうよ、中央の連中にしてみればな。だからよ、怨むなら俺じゃなくて、国とか貴族とか、その辺にしとけよ?」
貴族の耳に入ったらワンチャンしょっ引かれてしまいそうなセリフだなと思いつつ、少し酔いが醒めるのを感じる。
こうやって話をしている方が気が紛れるのかもしれないな。
「そういや坊主、どうしてヴェアリアスなんだ? あんな辺境の街、わざわざ行くところでもないだろ」
ヴェアリアス。
それは、今この馬車が向かっている街の名前だ。
おっさんの言うように辺境に位置するその街は、いわゆる地方都市と呼ばれるものだった。
広さは十二分にあるが人口はそこまで多くなく、栄えているかと問われればノーと答える方がいくらか正しい。
可もなく不可もなく、どちらかと言えば不可よりでなんともパッとしない。
ヴェアリアスは、そんなどこにでもありそうな街だ。
その微妙な街にわざわざ何をしに行くのかと問われれば、答えは一つに決まっている。
「魔法師学院に入りたくて」
「魔法師学院? そんな大層なもん、ヴェアリアスにあったっけか?」
「はい、あるんですよ、一つだけ」
その名も、ウラナト魔法師学院。
魔法の道を進む優秀な若者たちが国中から集まる名門中の名門……などではなく。
これまた、どこにでもある平々凡々な魔法の専門学校だ。
だが、それでも僕はその学院に入学しなければならなかった。
3年前のあの日、あの場所で立てた誓いを果たすためには、そこでなければならなかったんだ。
なぜならば、そのウラナト魔法師学院こそ、この世界の原作ゲーム──エフトのシナリオ本編第1章『孤高は脆く、儚げで』の舞台なのだから。
♢
「毎度あり」という決まり文句と共に離れていくおっさんに頭を下げ、僕はその街に振り返る。
石畳の路地と古びた建物を西陽が照らす。
大きな通りには馬車が行き交っていて、市場もそれなりの賑わいを見せていた。
腐っても地方都市。
やはり故郷の村とは規模感が違うな。
懐かしくも感じるその街並みを眺めながら、この先で待ち受ける壮絶な未来を想像する。
とうとうあの物語が始まるのだ。
そう思うと、期待と不安の嵐に見舞われる。
だが、それでもやるしかないんだと、僕は首から下げたひび割れた碧の水晶玉を取り出し、握りしめた……つもりだった。
「え……?」
つもりだったのだが、掴んだはずのそれは、どこにも見当たらない。
「え、あれ? なんで……?」
さっきまであったはず、それは確かだ。
馬車から降りたときはまだ身につけていた。
……いやでも、手で触ったわけでもないし、目で直接確認したわけでもない。
もしかしたら、下車するときに馬車のおっさんに盗られたって線も……いや、でも……。
自分が落としたのか、誰かに盗られたのか。
いつからなくなっていたのかすらわからず、その場できょろきょろと辺りを見渡すことしかできなかった。
「──探しモノはこれか?」
そうこうしていると、背後からトントンと肩を叩かれた。
振り返れば、黒の手拭いを頭に巻いた褐色肌の青年がにやりと笑みを浮かべながら、見覚えのある碧の水晶を指で摘んでみせていた。
黒のパンツの上にシワだらけの白のワイシャツを着崩すだらしのない格好。
男の眼は手拭いで半分隠れており、その怪しさに拍車をかけていた。
「え、あ、どうして……?」
「大事なモンは、ちゃんと手に持っといた方がいいぜ?」
疑問を投げかけようとしたのだが、男はそれよりも先に「はいよ」と水晶玉を渡してきた。
「え、あ、どうも……えっと」
「俺はシェラド、シェラド=マイラー」
「ありがとう、シェラド。僕はアク──」
「アクタ」
「え?」
「アクタ=グランツェ、だろ? 知ってるよ、俺はお前をずっと待ってたんだからな」
「は……?」
「よろしくな、編入生」
シェラドと名乗ったその男は、したり顔でへへっと笑う。
その不審さと不気味さに、僕の頭の中はハテナマークで埋め尽くされてしまっていた。
♢
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