第12話 そのモブ、英雄の名に誓う。
♢
あの地獄のプロローグから、数日が経った。
死者、112名。
負傷者、332名。
それが、今回の襲撃の被害。
結局、村人の大半が怪我を負い、約2割がその命を落とすという結果になった。
ほとんどの家屋は焼け崩れ、村は文字通りの焼け野原。
復旧にはまだ少なくとも数ヶ月はかかるとのことだ。
家を失くした人々は避難所での寝食を余儀なくされていたが、負傷者に関しては待遇が別だった。
衛生上の問題を加味して、被害が少なかった村の南側にある建物を利用した簡易の療養所が設けられたのだ。
しかし如何せん患者数が多かったため、軽傷者はすぐに避難所送りにされていた。
その療養所の一室に、僕はいた。
室内には、大きなベッドが窓際に1台とその脇に小さな木製の椅子が1脚あるのみ。
物音は殆どせず、微かに聴こえてくるのはベッドに眠る少女の静かな寝息だけ。
明かりは灯っておらず、窓から差し込む夕陽だけが薄暗い部屋に色を与えていた。
少女の頬に指の先で優しく触れる。
暖かくて、柔らかい。
相も変わらずきれいで健やかな寝顔だ。
魔獣に付けられた傷はすっかり癒えて、跡も額に少し残っただけ。
身体は万全に近いところまで快復した。
そう村医者は言っていた、のに……。
「どうして目を覚さないんだよ、エナ……」
エナは、未だ目を覚ましていなかった。
原因は全くもってわからないらしく、医者もお手上げのようだった。
彼女がいつ目を覚ますのか。
おおよその目安もわからず、最悪の場合、このまま一生目を覚さないなんてこともあり得るのだそうだ。
「キミが目を覚さないと、僕は……僕はっ……!」
全身が震え、心臓は痛いくらいに悲鳴をあげる。
息は苦しくなり、頭も酷い痛みに襲われる。
意識までもが朦朧としかけたとき、西陽に照らされた少女の顔に黒い影が落ちた。
「お、いたいた」
「……おじさん」
顔を上げると、目に入ってきたのは長身の神父。
影法師の正体は、窓の外からこちらを伺うゾルドだった。
「どうだ? ちょいと気分転換でも」
僅かに口角を上げていつものように優しく微笑むゾルド。
しかし、黒いサングラスの上からでも見てとれるほどに、彼は憔悴しているようだった。
♢
時刻は日暮れ間際。
もうすぐ見えなくなりそうな真っ赤な太陽を横目に、僕たちは閑静な道をゆっくりと歩いていた。
人通りは全く無く、歩く度に鳴る砂利の擦れる音が普段よりも大きく感じる。
今のところ、2人の間に会話はない。
他に聴こえてくるものといえば、遠くから響くカンカンと何かを叩く音くらい。
今も村のどこかで復旧のために誰かがせかせか働いているのだろう。
「身体はもう大丈夫そうなのか?」
一歩先を歩くゾルドは、前を向いたまま訊いてきた。
身体というのは、僕の脚の怪我のことを言っているのだろう。
襲撃の際、僕は脚を瓦礫に挟まれた。
青く腫れ上がり、かなり痛みも生じたのだが、幸い骨などに異常はないとのことだった。
数日安静にしたことで、今では普通に歩くこともできるようになっていた。
「……うん、もうなんとも。でもまだ走ったりはやめた方がいいって」
「そうか、まあ大事にならなくてよかったな」
尚もゾルドはこちらに顔を向けない。
声色はいつものように柔らかかったが、その背中はいつもよりも丸く、小さく見えた気がした。
「ねえ、おじさん」
「ん?」
「今ってどこに向かってるの?」
正直、ゾルドの誘いは渡りに船だった。
あのままエナの病室にいれば、僕の精神はすり減る一方だったから。
でも、思えば行き先については聞かされていなかった。
気分転換と言っていたが、どこへ何をしに行くのだろうか。
そう思って尋ねてみたのだが、
「着けばわかるさ」
ゾルドはそう言ってはぐらかすだけだった。
結局、目的地がどこかわかったのは数分後。
その場所に辿り着いたときだった。
「これって……」
緑に囲まれた丘の上。
その中央には石畳が敷き詰められており、ゾルドの背よりも大きな岩のオブジェが建てられていた。
綺麗な5角形に整えられたそれは、どうやら石碑のようだ。
紺色の滑らかで光沢のある表面には、何やら文字が刻まれている。
「これは慰霊碑、死んだ人々の魂を鎮めるための墓みたいなものだよ」
よく見てみれば、石碑の表面に彫られているのは人名のようだった。
恐らく今回の襲撃で命を落とした人々の名前が羅列されているのだろう。
石碑の側には幾つもの花束や酒瓶が供えられており、既に多くの人々がここに足を運んでいることが読み取れた。
「この前、院の皆と一緒にここを訪れて、あいつの弔いをしたんだ。そのとき、アクタも誘ったんだけど、キミ来なかったでしょ? だから今日、改めて連れてきたわけよ」
「……そっか」
「まあ今はまだ辛いかもだけどさ、いつかは向き合わなきゃいけないことだからね」
「うん……そう、だね……。だけど……っ」
再び胸が苦しくなり、僕は慰霊碑に手を突いてしまう。
いつまでも目を背けてはいられない。
ゾルドの言っていることは間違いなく正論なのだろう。
もうどうすることもできないその現実を、いつかは受け入れなければいけない。
でも、僕はまだここに来る覚悟が決まっていなかった。
何より、彼に合わせる顔がなかったんだ。
だが、慰霊碑から手を離そうとすると、ちょうど目線と同じ高さに彼の名前を見つけてしまう。
その『ソーマ=ブライト』の文字を、気づけば僕は指でなぞっていた。
「……ごめん、ソーマ」
自然と
一度出始めてしまえば、自力では止められない。
「エナさ、まだ目を覚ましてないんだ。これからも目を覚ますか、わからなくて……っ」
堰が切れたかのように、次から次へと濁流のように感情が流れ出す。
「エナを頼むって、そう言ってくれたのに……、僕のせいで、エナも、ソーマも……っ! やっぱり、僕なんかじゃ何も変えられなかった。全部僕の、僕のせいなんだ……。ごめん、ごめん……っ!」
立っていることもままならなくなり、慰霊碑に寄りかかるように僕はその場で泣き崩れた。
ソーマは死んだ。
エナも目を覚まさない。
結局、生き残ったのは僕だけ。
その最悪な現実を受け入れたくなくて、僕はずっと目を背けていた。
「キミのせいってわけじゃ──」
「僕のせいだよ‼︎ ……僕の、せいなんだよ…………」
慰めの言葉も、今はナイフのように尖って聴こえた。
刺されば痛いし、振り払っても痛い。
何も言われたくないし、何も話したくもない。
とにかく独りにしてほしかった。
でも、ゾルドは僕の拒絶を拒絶して、いつもの暖かなトーンで語り始めた。
「……もう少し早く見つけられていれば、あいつは生きていたのかもしれない」
「え……?」
「村の警備を徹底していたら、もう少し力があったなら……って、あの日からそんなことばかり考えてる。失ったものがあるってことは、悔いがあるってことと殆ど同義だからね」
慰霊碑に手を当てながら僅かに微笑むゾルド。
彼は静かに拳を作ると、小さく身体を震わせた。
「キミだけじゃないんだ。残された者は皆、それぞれが自責の念に駆られている、当たり前にね。だからアクタ、キミだけのせいじゃないんだよ」
「……でも、僕の、僕なんかのせいで──っ⁈」
そのとき、ゾルドは震える僕の肩をガシッと掴んだ。
彼の眼光がどこまでも真っ直ぐに僕の瞳を射抜く。
サングラスの奥に隠れるその優しくて強い眼差しを見たのは、これが初めてのことだったかもしれない。
「アクタは選択を誤ったのかもしれない。それは取り返しのつかない過ちだったのかもしれない。……でも、それでもキミは生きている。確かに今を生きているんだ。なら、進むしかないんだよ。たとえ今が辛くとも、どんなに苦しかろうとも、道を選択し、行動を起こし、変化を積むしかないんだ。自分がどうありたいのか、何をしたいのか。よくよく考えて、選択を繰り返す。それが、俺たち残された者のたったひとつの責務、つまりは『生きる』ってことなんだから」
「『生きる』……?」
「ああ、そうさ。俺らは『生きる』しかないんだよ。なあアクタ、キミはこれからどんな選択をするんだ? 何をしたい? どう『生きて』いきたいんだ?」
「僕、僕は……」
僕は何もできない。
足掻けば足掻くほど、周囲を不幸にする。
だから、もう何もしない方がいいんだ。
僕なんていなくなった方がいいんだ。
この数日間、本気でそう思っていたし、今でもそう思っている。
死んでしまおうかと、何度も考えた。
でも結局、そんな勇気もなくて、僕には何もできなくて……。
ただ、エナが目を覚ますことを、あの部屋で毎日毎日祈ることしかできなかった。
……それでも、ゾルドの言う通り、『生きて』いかなければならないのなら……。
僕は……、僕には……っ。
「……おじさん」
「ん?」
「僕、やらなきゃいけない……」
これから先、英雄に救われるはずだった人々、国、世界。
それらは恐らく不幸なまま朽ちていく。
もうこの世界に英雄はいないのだから。
多くの血が流れ、多くの人々が無念のうちに消えていくことだろう。
それらを防ぐことは恐らく難しい。
僕なんかにはできるはずもない。
だがそれでも、見て見ぬ振りを決め込むなんてことが許されるはずがない。
何もできずとも、変えられずとも。
死ぬ気で行動を起こさなければならない。
それがどんな結末に終わったとしても、目を背けてはいけない。
この世界の英雄を、主人公であるソーマ=ブライトを死なせてしまった僕には、その責任があるはずなんだから。
「やらなきゃいけない……?」
「うん……だからそのために、『生きる』よ、僕」
「……そうか」
少し微笑みながら僕の言葉を受け止めると、ゾルドは優しく頭を撫でてくれた。
その大きな手の温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
それから今一度、僕は誓った。
英雄が成し遂げるはずだった偉業の数々。
その偉大なる軌跡を辿るため、持ち得る限りの全力で挑み続けることを。
世界のその結末を、この物語の終着点を、この眼でしかと見届けることを。
その勇敢なる少年の名の下に、繰り返し、繰り返し。
僕は、強く誓ったのだ。
♢
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