第11話 そのモブ、運命を変える。


 ソーマは僕の脚を挟んでいた瓦礫を風魔法でどかしてくれたが、青く腫れ上がった足首は酷く痛んだ。

 辛うじて歩くことはできるが、走るのは恐らく不可能だろう。


「ありがとう、ソーマ。でもどうして?」


 本来のゲームでは、今頃エナは魔獣の腹の中だったはずだ。

 だが、ソーマのおかげで魔獣は吹き飛び、エナは横たわったままでいる。

 明らかにゲームとは異なる展開が目の前で繰り広げられている事実に、僕の胸は否応無しに高鳴っていた。


「説明は後だ! お前はエナ担いでさっさと逃げろ」


 しかし、ソーマのその一言で僕の表情は一気に曇ってしまう。


「え……、ソーマは? ソーマはどうするんだよ?」


 訊くと、彼は少し目を伏せた。

 それからゆっくりと顔を上げると、ある一点を睨みつけた。


「俺は……ここに残る。あいつの足止めをしなきゃなんねえからな……」


 ソーマの視線を追うと、黒く大きな物体がモゾモゾと動いていることに気がつく。

 距離があって聴き取りにくいが、地鳴りのような低い唸り声も微かに聴こえてくる。


「あいつ、まだ生きて……っ!」

「さっきは風で吹っ飛ばしただけだからな。たぶんダメージなんてこれっぽっちも入ってねえよ」


 険しい表情を浮かべたソーマの頬を、ツーッと汗が垂れる。

 よく見れば、彼の全身は小刻みに震えている。

 だが、化け物を見据えるその眼だけは、未だ死んでいないように見えた。


「俺が時間を稼ぐ、その隙にお前らは逃げろ」

「……いや、なに言って……できるわけないよ、そんなの。ソーマも一緒じゃなきゃ──」

「黙ってろ‼︎」

「っ‼︎」

「誰かが残って時間を稼がないとどの道全員助からねえ。そんくらいわかんだろ?」

「それは……」


 ソーマが言っていることは正しい。

 エナは動けないし、僕だって走れない。

 僕たちがあの化け物から逃げ延びるには、ソーマが足止めをするのが最善だった。


「……でも、それじゃソーマが──」

「アクタ」


 うだうだと泣き言をぬかす僕の言葉を遮るように、ソーマは名を呼ぶ。

 どこまでも真っ直ぐな瞳。

 そこに宿る強い覚悟から途端に目が離せなくなってしまう。


「エナを頼んだぞ」


 少年は最期の別れを告げるかのように力強くそう呟くと、首にかけていた水晶玉を手に取り、無造作に投げ渡してきた。


「え──」


 放物線を描く碧の首飾り。

 反射的にその球体を掴もうとしたが、足が痛んで体制を崩してしまう。

 僕が尻餅をつくのとほぼ同時に、パリンッという高い音が耳を貫いた。


「あ、待──っ!」


 そうこうしている間に、ソーマはいつの間にか傍を離れていた。

 ずんずんと一直線に脅威の下へと歩いていた。


 すぐに立ち上がろうとしても痛みで力が入らない。

 代わりに手を伸ばしてみても、掴めたのは空気だけ。

 どんどん小さくなっていくその背中を、僕はただ眺めることしかできなかった。


「……くそっ」


 僕に、力があれば……。

 才能があれば、実力があれば、運があれば。


 亀裂の入った水晶玉を握りしめながら、僕は地面を殴った。

 無意識のうちに、そんな何の役にも立たないないものねだりに思考を逃がしている自分を自覚して、グッと唇を噛み締めた。


 どうせできない。

 何も変えられやしない。

 自分は特別じゃないんだ。


 そうやって自分を卑下して諦めるのは、もうやめたはずじゃなかったのか?


 あの少年は、今もあそこに立っている。

 力がなくても、勝てる見込みがなくても、恐怖に抗い続けているんだぞ?


 なのに、お前は逃げるのか?

 何もできないからって、彼を見捨てるのか?

 またそうやって目を背けるのか?

 なあ、どうなんだよ?


「……わかってる、わかってるけど、だからってこんなの、どうすればいいんだよ……っ!」


 頭の中でガンガン響く声を掻き消すように呟き、僕は血だらけのエナを両腕に抱える。

 だが、その重さに身体はよろけ、右脚に激痛が走った。


「ぅぐっ……! く、そ……はあ、はあっ…………」


 腫れ上がった足に体重をかけ、歯を食い縛ってなんとか耐える。

 傷だらけの彼女の顔にポタポタと水滴を落としながら、僕はソーマに背を向けていた。


 仕方がない、しょうがないんだ。

 僕なんかが残っても、ソーマの足を引っ張るだけ。

 僕にできることは、これしかないんだから。


 そんな風に自分で自分を納得させながら、鉛のように重くなった足を無理矢理動かした。

 歩を進める度に、心臓が握り潰される感覚に陥る。

 酷い眩暈がして、視界だって定まらない。

 何度も立ち止まってしまいそうになる。


 だが、それでも僕は歩むことをやめなかった。

 大きく全身を震えさせながら、前へ、前へと進み続けた。

 振り返ることは、ただの1度もしなかった。



「……ふう、やっと行ったか」


 すっかり小さくなった幼馴染の後ろ姿を視認し、俺はため息を溢した。


 避難所で目を覚ましたとき、俺は何よりも先に生きていることに感謝した。

 魔物が目の前にいなくて、すげえ安心した。

 でも同時に、死の恐怖を思い出して体が言うことを聞いてくれなくなったんだ。


 そんなときだった、お前の声が聴こえたのは。


 正直、驚いたぜ。驚かされっぱなしだった。

 だってお前、エナを助けに外に出ようとしてんだからよ。

 正気の沙汰じゃないって、イかれてんじゃねえのかって、そう思った。

 けど、お前は本気だった。

 本気で、正気で、全力で。

 全部お前の意志で、エナを救おうとしていた。

 何もしようとしてこなかったはずのあのお前が、馬鹿みたいに必死になって。

 何もできねえくせに、エナを助けるためなら命も惜しまないって、そんな気迫すら感じられた。

 そういうお前を見て、俺は自分が心底情けなくなったんだ。

 本気にならないお前に散々言ってたのは俺だったはずなのに……。

 いざってときにビビって何もできないんじゃ、世話ないよな。

 クソダセェわ、マジで。

 ほんとにしょーもねえ……。


 ……けど、だからこそ、俺はここに立てている。

 自分がどうしようもなくちっぽけな存在だって、お前が気づかせてくれたから。

 だから俺は、ここまで来れたんだぜ?

 なあアクタ、わかってるか?


「グルルルル……」

「……はあ、うるせえな」

 

 腹に嫌に響く、低くて太い唸り声。

 それは容赦なく恐怖を煽り、思考を土足で踏み荒らしてくる。


「ったく、イライラするわ。お前の声を聴いたら勝手に膝が笑いやがる。どんだけビビリなんだって話だよな」

「グルルルル……」

「けどな……覚悟しろよ、化け物。

 俺もすぐやられるわけにはいかねえんだ。

 だからあいつに倣って、本気でいかせてもらうぞ……!」


 微かに震えた声で啖呵を切ったその少年。

 命を燃やし、心を燃やし。

 恐怖へと勇猛果敢に立ち向かう。

 それは誰もが憧れ、縋り、崇め奉る対象。

 この瞬間、彼──ソーマ=ブライトは紛れもなく勇者たり得たのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る