テント
再び雨の日。
河川敷を訪れるとやはりお姉さんがいた。
遠い位置で僕を見つけると珍しく大きな声を出した。
「あ! おーい! おーい! 来て来てー」
「ごめんなさい。もしかして今日は普通にお散歩だったりした?」
「あれ。じゃあ、もしかして私に会いにきてくれたの?」
「ふふ。目が泳いでいるよ。雨の魚だね」
「……実はね。今日は、私もキミに会いたいと思っていたの」
「キミに是非見せたいものがあって」
お姉さんがわざとらしい声で言う。
「何だと思う?」
「ん? あはは。分からない?」
「しょうがないなあ。教えてあげる。キミに見せたいものは……」
「なんと、こちらのテント!」
言いながら横にさっと退き、まったく隠す気のなかったテントを「じゃじゃーん」と紹介する。
「『えー!』って、ずっと見えてたでしょ。もう……どうしたらいいかよく分かんなかったよ。私、合ってた?」
照れながらお姉さんが言った。
「はい。とにかく、テントね。シェルターテントっていうんだけど、これはまさに雨音を聞くために作られたテントと言っても過言じゃなくて」
「とりあえず、まずは入ってみて。ほらほら」
促されて、自分の傘をたたみ、中にお邪魔する。
「ね。いいでしょ。傘とはまた違う雨の音がする。傘はひとり分切り取った世界の音だけど、テントは雨って降り注いでいるんだなーって実感する音なの」
「準備が大変だからいつもはやらないんだけど、こういう過ごし方も私は好き」
「気に入ってくれた? ふふ、雨にはいろんな楽しみ方があるんだよ」
「うん、他にもあるわ。たとえば傘だってひとつじゃなくって。特別な傘があるんだ。とっておきの時にはそれを差す」
「ふふ、どんな時だろうね。いつかキミにも見せるときがあるかな」
お姉さんが折り畳み椅子を持ってきてくれた。
「さーさー、ここに座って。なんちゃってキャンプ……しよ?」
「さあさあ」
ニコニコするお姉さんに見守られ、腰を下ろす。
お姉さんは自分の椅子を「よいしょ、よいしょ」と言いながら運んできて、隣に置いた。
「ちょっと待っててね」
さらに何かを取ってこようとする。手伝おうと腰をあげると
「あ、大丈夫よ。これで終わりだから、キミは座ってて」
と断られてしまった。
お姉さんはさらに奥の荷物から簡易テーブルなどを持ってきて、椅子のすぐそばに設置する。
「コーヒーなら、飲み放題よ。インスタントだけどね」
嬉しそうに紙コップを見せながら言った。
「キミはコーヒー飲める? 砂糖はあるわ。ダメだったら緑茶も一応持ってきているけれど」
「へえ。ブラックが好きなんだ。大人だね」
「実は私もブラックが一番好きなの。キミと一緒」
お姉さんは椅子に浅く腰掛け、慣れた手つきでインスタントコーヒーを作り始めた。
粉を入れて、お湯を注ぐ。
「うん……
「はい、どうぞ。お待たせしました」
礼を言って受け取る。
お姉さんがこちらの反応を気にしていたので、一口飲み感想を伝えた。
「良かった。まあインスタントなんだけど」
言葉とは裏腹に嬉しそうに言って、お姉さんは自分の分のコーヒーを作りはじめた。
「じゃあ私のも……うん……馥郁、馥郁」
そして雨音を聞きながら、ふたりでコーヒーを飲んだ。
お姉さんがふと喋り出す。今日は少し饒舌だと思った。
「雨の日って、なんか匂いがはっきりというか、強くなるよね。あれ、どうしてなのかな」
「地面の匂いが、こうむわっ……として」
「でも、コーヒーがいつもよりもいい香りかというと、それはよく分からないんだよね……」
「ちゃんと分かる人には、分かるのかな……」
「私はコーヒーでも料理でも雰囲気で楽しんでるから、全然分からないの」
お姉さんはそう言うと。くすりと笑った。
「すごく得な性格でしょう?」
「今もさ、私。キミと一緒だから、すごく楽しいし、コーヒーもすごく美味しいの」
「でもコーヒーの味が分かっちゃう人だったら、このコーヒーは味としては世界で一番美味しいコーヒーじゃないって思っちゃうのかな」
お姉さんはそこでコーヒーを一口飲んだ。幸せそうにほっと息を吐きだした。
「今こうしてキミと飲んでるコーヒーが世界で一番美味しいよ、やっぱり」
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