第6話 6日目 土曜日
……電話の呼び出し音は、だがいつの間にか止んでいた。
私はベッドの上に横たわり開いたままの眼が天井を見ていた。
そっと自分の首から
何の痕跡もなく肌の表面がそのまま広がっていた。
身を起こして部屋を見回す。
ベッドを降りて部屋の端に置かれているラジオを確かめる。
金曜日に付けられた歪みは土曜日に引き継がれていない。
出荷された時のフォルムのままだ。
バスルームのドアを開けると洗面台の上の鏡が私自身を映している。
傷一つなく世界がありのままに映されている。
これをまた割ることは出来るだろうが、次に目覚めた時に破壊は無かったことになっているだろう。
鏡の私を見ながら喉に手を当てる。
仮に私が自裁を試みようとしても、ここでのその日が終わるだけで、次の日のベッドに目覚めることになるだろう。
ここでは自死すら許されていない。
何という完璧な監獄だろう。
脱出の経路はどこにも存在しないのだろうか。
ここで何も感じなくなるまでただ生き続ける他ないのか。
白い電話機から呼び出し音が響いてそちらを見た。
昨日、昏倒しながら聴いていた呼び出し音と同じだ。
私は受話器を取り耳に当てた。
もしもし と私は呼びかけた。
紙が
もしもし ともう一度。
あなた と妻の声がした。
あなた 戻って来て と妻の声がした。
私は妻の名前を呼びかけた。
間違いない、妻の声であるのは分かる。
あなた 戻って来て と妻の声が再び言った。
家に帰れ、ということか?
もちろん、私だって家に帰りたい。
妻に呼びかける、私はどこか知らないホテルの中に閉じ込められていると。
外に出る方法を探しているんだ、この電話はどうやってかけているんだい?
ここの場所を探知出来ないかい?
私は必死に喋るのだが、妻の声はリフレインされるだけだ。
私の声が届いていないかのように。
戻って来て、という妻の言葉の意味が突然頭の中にひるがえり、私の記憶を呼び起こした。
名前よりも重要な記憶がそこに広げられていた。
作業現場の……作業中の事故だ。
私は噴出したガスを吸い、他の同僚と共に倒れた。
そのまま昏睡状態になり、延命装置に繋がれている。
それが
妻の呼びかけは昏睡している私の耳元へ発しているものだ。
この部屋の電話やラジオを通じて私の頭に届く声だ。
私はベッドに横たわる永遠の眠り男、このホテルでいくら叫んでも、眠り男の唇が動くことはない。
だが。まだ生きているならば、私はやはり目覚めの方法を探さなければ……この繰り返されるループの無限から飛び出す方法を、そうだ、希望を持って。
妻の元に帰るのだ。
だが自死のような行為が効果的とも思えない。
もう試すつもりもないが、実行したら金曜日のバスルームの時のように、そのまま意識が途切れて翌日に何事もなく目覚めるのだろう。
私は再び動けるだけの範囲を観察し、何かの
現実世界に繋がるような、この世界自体を
客室全体を調べ尽くしてから、廊下に出て並んでいる限りのすべてのドアを調べた。
それから廊下を端から端まで確かめてみたが、結局、特別なところは一切無かった。
勢いをつけて動き回ったが収穫は無し。
廊下の壁にもたれてそのまましゃがみこんだ。
望みをかけていただけに徒労感が強くのしかかってきた。
このままではまた睡気に見舞われ、気がつくと翌日のベッドの上で目覚めることになるだろう……。
ふと、これまでは否応なく眠りに落とされてその日を終えてきたことを思い出した。
……夢の中で自分から眠り、夢を見ればどうなるのだろう?と思った。
普通のやり方で脱出は無理だ、だがここで自分から夢の中で夢を見る事で、違う階層に滑り込む事は
気絶するように昏倒し、翌日に飛ばされて来たが、普通に眠りにつくのであれば、何か変化はあるのだろうか。
立ち上がり私の部屋に戻った。
睡気のないままベッドに乗り、エジプトの王の石棺のようにまっすぐ身を伸ばして横たわった。
眠ろうとしても簡単に眠れないのは
考えるのをやめようとしても雑念が浮かび上がる。
……奇妙なことに気がついた。
自分は作業現場の事故に巻き込まれ昏睡状態になった。
私の身体は延命装置に繋がれて生きている。
何故それを知っているのだ?
その状態になった自分が知る筈のない情報じゃないか。
だが知っている。
そしてかろうじて死なないでいる私よりも先に妻が旅立ってしまったことも思い出した。
なぜそれを知っている?
私はどうして昏睡後の情報を……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます