Hotel Limbo

palomino4th

第1話 8日目あるいは1日目 月曜日

……天井が見えた。

たった今目を覚まして自分がベッドの上にいるのを確かめた。

私を起こしたのはラジオから流れる音楽だ。

名前の知らないアーティストによる、放送番組のために制作されただろうライブラリー・ミュージック。

これは聴き覚えがある。

私が出勤する時に運転する車の中でかけている朝のラジオ番組のテーマ音楽だ。

その時間帯で曜日ごとにディスクジョッキーが変わり、幕開けの音楽もそれぞれに違っている。

この曲はいつも月曜日の朝に車を走らせながら聴いていたプログラムだ。

今は月曜日なのか……。

だが電波の状態が変わったのか、音量が次第に弱っていき、フェードアウトをしてついにラジオの音が途切れた。

私はふと重大な失策をしたのに気がついた。

ラジオの音声に起こされて、そちらに気をとられたために、起きる前に考えていた重大な事を忘れかけていた。

絶対に覚えておかなければいけなかったことなのに、音楽の不意打ちに、その記憶が頭の中をすり抜け、引き出せない隙間すきまに入り込んでしまった。

起きる前に、とても大切なことを……重要な秘密を私は知っていた筈なのだ……だが何の秘密なのだろう。

ここはどこだ?

私は身を起こして周りを見た。

家ではない、ホテルの一室のようだ。

窓の向こうはほの明るい闇で、深い霧が立ち込めているように見える。

ここで一泊をしたようなのだが、投宿した前夜の記憶がない。

しばらく考えて、突然の恐怖に見舞われた。

前夜の記憶どころではない、自分自身の名前すら思い出せないのだ。

こんなことは……思い出せないままでもわかる……初めてじゃないのか?

唐突なラジオの目覚ましのために全ての記憶が吹き飛ばされたかのようだ。

これは、落ち着けば記憶がもどるのだろうか……

身体が十分に覚醒しないために一時的な健忘症にでもなったんじゃないのか。

そうだ、まず顔を洗おう、私はベッドを降りてバスルームに向かった。

扉を開けるとすぐに洗面台と大きな鏡があり、その中から一人の男が……私が見つめ返していた。

少なからずショックがあった。

銀色の短髪で四十代の白人男性がいる。

上半身は労働者らしい硬そうな腕や胸が目につく。

顔は……「これがお前の顔だ」と言われたのならばそうか、と答えるしかない。

覚えが無いとしても、自分の動きに合わせて動く鏡の中を見れば、自分の肉体だと分かる。

冷水で顔を洗い、備え付けのタオルで拭うといくらかさっぱりとした。

部屋に戻り周囲を見回して自分の所持物を確かめようとした。

自分の名前の入ったライセンスカードなどがどこかにあるだろうと探ったが、私の手荷物自体が見当たらない。

クローゼットを開けても空で、サイドチェストの引き出しを開けても何も無い。

眠っている間に盗難されてしまったかのように私のものが見当たらない。

これはどういうわけだ……私は薬品により意識を失わされて拉致をされ、自分の意思ではなくこの部屋に連れてこられたか。

だとすれば軟禁状態にあるのだろうか。

部屋の中を見ると白い電話機がある。

フロントに繋げて今の状況を説明すれば何らかの解決になるのではと、受話器を取って耳に当てたが何の音もなく、数字の記されていない真っ白なナンバーキーをでたらめに押したが、モックアップであるかのようにボタンの反応もない。

ああ、これはどうしてもおかしい。

自分は目覚めたと思っていたのだが、それは勘違いで、実はまだ夢の中にいるのだろう。

窓際に立って外を確かめる。

まるで雲の中に頭を突っ込んでいるように、白く閉ざされていて見えるものが無い。

高層階の客室らしく窓ははめ殺しだ。

どうやら慌てる必要はなかった。

きっと現世の自分が目覚めれば、そこは自分の家で名前も普通に思い出せるようになる筈だ。

ふと意識が朦朧もうろうとしてくる。睡気が頭にかすみをかけている。

とにかく次に目覚めたら自分の日常が戻るのだ、さぁ……

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