1コマ目 オタクとヒロイン。
桜の花びらが舞う季節。俺はある光に照らされていた。そう、期待と希望の光だ。その光をわざとらしく右手で覆い、掴んでみせた。
俺の名前は
今日は高校入学式。そう、俺は、俺は! ついに、あの夢だった
「ちょっと、なに一人でニヤニヤしてんのよ、キモイわよ?」
コイツは
「ふふふ、なんせ俺は夢だった桜坂に!」
「何を言ってんのよ? まーた妄想ね。流石にもう現実を見なさいよ、
そうだ。俺は桜坂高校の受験に落ちたんだ。
どうやら先ほど俺が掴んだはずの光は雲に隠れてしまったようだ。
「なんとでも言うがいい。俺は夢を叶えてみせる」
……いや自分で言ったが分かっている。本来の俺の夢は日本一、いや世界一と言っても過言ではない、あの桜坂アニメ研究部に入る事が夢だったんだ。それが叶わない今、俺の夢は完全に消えてしまったと言えるだろう。
「ちょ、なにいきなり死んだ顔してんのよ?
「
桜坂アニメ研究部では毎年夏に行われている全国規模の大会『
世の中のオタクは最終的に制作側に周る事が多々ある。桜坂アニメ研究部に入る事が出来れば、名のあるアニメ制作会社に入るための切符は切られたと言ってもいいだろう。
ん? あの懐かしい姿は……。
「先輩! お久しぶりです!」
「入学初日から騒々しいわね。後輩くん、鈴宮さん」
この人は
そんな事よりなんで俺は抱き付かれているんだ?
「ちょっとギサキ、近いわよ。なに出会い頭にその
「せっ、先輩、近いです……」
中学の頃もこんな感じで胸を押し付けられていたから慣れてはいる。だが心臓に悪い。
「別にいいじゃない。それとも興味のない三次元の女子に魅力を感じているのかしら?」
誰だってこの状況でドキドキしない男はいない。この話の流れになると毎回言い負けていた。しょうがない、話を変えよう。
「ところで先輩、時ヶ丘のアニ研はどうなってますか?」
俺はこの腕に押し付けられている胸の事よりもアニ研の事が気になっていた。。
「ないわよそんなもの。あと、図星だから話を変えたのね」
そう、図星だ。いや待てよ、そんな事を言い当てられたよりも……。
「え、今、なんて言いました……?」
もちろん聞こえなかった訳ではない。その現実を受け入れたくなかったんだ。
「だから、時ヶ丘にアニ研はないわよ」
……いや嘘だろ?
「それじゃ、先輩は美術部に……?」
あの絵を描くのが大好きだった先輩の事だ。きっと美術部の人に頼まれたからそっちに入ったに違いない。
「いいえ、もう絵すら描いていないわよ。私はオタクを卒業したの。だから絵を描くのも辞めたのよ」
先輩は前から俺たちに絵を描いて見せてくれていた。その絵はどれもアニメ、漫画やゲームのキャラだけだった。
確かにオタクを辞めてしまった〝
「俺、入学式が終わったら先生に
もちろんそれが簡単じゃない事は百も承知だ。
俺が深刻な表情をしていると
「ギサキ⁉︎ さっきも言ったけどいつまでその
「あら、居たのかしら。全然会話に入ってこないからあなたの存在を忘れていたわ。ごめんなさいね。あと、胸を擦り付けるなんてしていないわ。押し付けてしかいないわよ。全くもう」
「あー! もう!」
会話に入れない俺となぜか呆れている先輩を
「何をするのよ
顔を赤らめて自分の胸元を見る
「ギサキ、アンタ……分かってて言ってるわよね? このーっ!」
先輩の胸元をペチペチと
この二人は中学校の時から変わらないな……。
「二人とも、いつまで喧嘩してるんだ? もうすぐ学校着くぞ?」
悩んでても仕方ない。とにかく前に進む以外に手段はない。
「……そうね、今は後輩くんの顔に免じて許してあげるわよ」
俺の顔になにがあるんだよ
「フンッ、私は許してないんだからね」
結局、二人の喧嘩が収まらないまま
三階建ての校舎に向かって生徒達が群をなしている。
「じゃ、二人とも私はここで失礼するわね」
満足のいかない顔をする
「ちょ、ギサキ! 勝ち逃げする気か!」
なんで自分から負けを認めているんだ?
「はい、ではまた放課後。アニ研の事も考えておいてくださいねー!」
先輩は立ち止まり少し間が空いた後、長い髪を
「アニ研を作る事に何も否定はしないわ。でもなんと言われようとも私は入らないわよ」
そう言うと
俺たちと先輩を断ち切るかの様に桜の花びらが風に舞い、前を横切った。
この時の沙貴の紫がかった髪が桜と共に舞う姿は綺麗という言葉以外に表すものがなかったのだが
その時
ほんとに先輩はオタクを、絵を描くのを辞めてしまったのか? そんなはずない。そうあって欲しくないんだ。
「
なんだコイツは。さっきまでの怒りはどこにいった。俺みたいな恋愛経験ゼロの男にいきなり
「あぁ、だな。見に行くか。あとそんなに引っ張るな?」
そう言われると
「私は
前言撤回だ。やはりこいつに乙女っぽい状況は向いていない。
「俺だって別になんだって良いさ」
頬を膨らませながらも
そうして俺たちも下駄箱へと行きクラス表を見た。
「私、二組。そっちは?」
「おぉ、俺も二組だ」
少し下を向いたあと小さくガッツポーズをした
「ふっ、アンタさっきなんでも良いって言ってたわよね? やっぱり私と同じクラスなのが嬉しいのねっ」
うっ、お前だって嬉しそうにしているじゃないか。
「知ってる人が居るのと居ないのとでは居たほうが楽だからな」
そういや中学入学の日にも同じような会話をしていたのを思い出したが、これはまた別の話だ。
三階にある一年二組の教室へと行った二人。
まだ入学初日というのもあって、教室は物静かなものであった。
ドアに貼られている座席表を見てみると、どうやら俺の席は窓側から二列目の一番後ろ。
「私は一番前の席だったわ」
「俺は一番後ろの窓側から二番目の席だ」
俺は後ろ、
席につくと即座に
おっと? これは隣の席に超絶可愛い女子が来るんじゃないのか? うんうん。そんな予感がするな。
俺の妄想はすぐに的中した。茶髪ショート、綺麗な目鼻立ち、胸は少し控えめだが凄くいい。
「ハァー」
そう疲れたような声を出して席に座ると、いきなり机にうつ伏せになった途端、寝息が聞こえてきた。
え、コイツもう寝たのか? 今日は入学初日。そしてこれからが入学式だ。まだ疲れるところなんて無いはずだそ?
「お、オハヨウ」
……おいおい、俺史上最大の棒読み挨拶を無視するとは良い度胸じゃないか。二次元にしか興味のない俺とはいえ無視は辛いぞ。
「あのー、おはよう……」
……。
あーダメだ。この隣のやつの脳内辞書には『睡眠睡眠睡眠』と、おそらく睡眠以外の言葉がないのだろう。ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
それから俺は先生が来るまでスマホでアニメや漫画の新作情報、絵師のイラストなどをいつものように漁っていた。
一方その頃、
あー!
一番前の席の
そこから十分としないうちに先生は教室に来た。
ガラガラ。扉を開け教卓の前に立った。
「おはようございます。皆さん、入学おめでとうございます。私がこのクラスの担任をさせて頂きます、
ほうほう、まだ二年目の教師か……。俺はこれからこの人に部活創立の申し込みをしに行くのだ。ここで大切なのは第一印象。第一印象が良ければこちらの話もスムーズに行きそうだからな。
「……
「はっ、はい。すみません……」
あれ、呼ばれていたのか……? どうやら出席確認をしていたようだ。第一印象は名前が呼ばれても反応しない男子生徒。終わったな。『第一印象で話スムーズ大作戦』という安易な名前の作戦はこれにて終了だ。
しかも、この隣の失礼な女の名前を聞くのを忘れた。こっちも大きな失態だ。ん? なんだ、隣から凄い視線が……。
ピシッ。指を立てて言った。
「
それお前が言うか? 俺、さっき結構勇気振り絞ったんだけどな。その二回の勇気を聞いていなかった君にだけは言われたくない。
「あ、あぁ。そうだな……」
コイツの事は一旦忘れよう。
「はーい。皆さん居ますね。入学式は九時半からあるので……一旦隣同士で自己紹介でもしますかね!」
先生、嫌です。隣の名前の知らないコイツのことを忘れようって思ったところなんですけどー。
そうだ、
「
「ねね!
「うん! 私もみんなのこと名前で呼んでいいかなっ?」
そうだ、
このままじゃダメだ。俺もこの隣のヤツに話しかけるんだ。
え…………コイツ、あんな事言っておいてまた寝てんのかよ!
「なぁ、おい。起きろよ。えっと名前は……なんだっけ……?」
「ンー、ごめんごめん」
今すぐにでも寝てしまうんじゃないのか? そう思わせる声であった。
「だって、
コイツ、勘違いも
「アイツは
「そうなんだ。
相変わらず眠そうな声だな。てか俺、さっき名前聞いたよな? まずはそっちを答えてくれよ。
「えっと、名前なんて言うんだ?」
「
コイツ、自己紹介の時は少し声を低くしてハッキリと喋ったぞ。やれば出来るじゃないか。あとそこまで詳しい事は聞いていない。俺まで言わないといけなくなるだろ。
「じゃ、改めて。俺の名前は
俺は生まれてこの方、初見で〝ほたる〟と読んでもらったことがない。おそらくコイツもそうなんだろう。
「でしょー。でも案外この名前、みんな読めちゃうんだよねー」
また先ほどのフワついた声に戻った。
「確かに竹に姫だとかぐや姫のイメージあるな」
「ねー。でもそんな大層な名前付けられちゃったら困っちゃうよねーほんと」
ほんとに思っているのか……? ほんと眠そうな話し方だな。
あとなんだ、さっきから眠そうな話し方って。
「
よくぞ聞いてくれた。
「ふふん。教えてやろう。俺の趣味はアニメ鑑賞、漫画の読書。そしてコイツが俺の一番の嫁のセシリアたんだ!」
そのセシリアの描かれているスマホケースを見せつける。
「あ、オタクなのね。あと漫画の読書って日本語おかしくない?」
鋭いな。あと今のハッキリした声のままで話してくれると良いんだが。
「
ヤバい。俺の話をしすぎた。長すぎたか?
「やっぱりオタクじゃんッ」
……さっきまでこんな明るい声だったか?
「確かにそうだけどな……」
「あ、認めちゃうのねー」
別にオタクだという事を認めたくないわけでも、自ら否定してるわけじゃないからいいんだけどな。
それにしても、変わったやつだがあんなに長々と話した俺に対して嫌な顔一つせずに反応してくれている。最初は嫌なやつだと思っていたがいいやつらしい。
でもやっぱり引っかかる事がある。本質的な喋り方は変わらないものの、声質が変化している。感情を声質で表現してるって言う感じなのか?
「でもやっぱりオタクの人って『俺の嫁!』っていうのが複数いる感じなの?」
「良くぞ聞いてくれたな、和泉。特別に俺の〝
俺が〝
「はーい、皆さん、もうそろそろ入学式も始まるので一旦話を辞めてください」
時計を見るともう20分経っていた。
え、もうそんなに時間が経っていたのか?
ほんの少しざわつきが残っていたため、俺も口を開いた。
「なぁ
……おいおい。俺が話し出した瞬間、ちょうど静かになるのはなんでだ。
「
入学式は体育館で、長い校長の話と聞こえてくる沢山の寝息によって無事終了した。
もちろん俺も寝てしまっていたから沢山の寝息というのは俺の願望だ。
既に帰り始めてる生徒もいる中、俺は和泉の方を向き驚いた。
「
コイツはまた寝てるのか……。
だが
「帰るぞ? おい」
「えっと、話があるんじゃ無かったっけ」
「あぁ、そうだとも。俺の家でアニメを見てもらう」
「え、
「もちろんだ。なんせ今日は両親共に家に居ないからな! 思う存分アニメを見せることが出来るぞ」
今にも帰りたさそうにする
「えぇ、それって全然大丈夫じゃ無いじゃん」
「あ、あぁもちろん、親が居ないって言うのは夕方までだ。仕事から帰って来るまでの話だぞ……」
「もー、紛らわしい事は言わないっ。夕方までアニメを見るだけなんだよね。なら行っても大丈夫だよー」
え、いやいや
「お、おう。じゃ帰るぞ」
教室を出ようとする俺と
「ちょっ、
あー、マズイ、忘れてた。
『はぁー? 何言ってんのよ。同級生の、しかも出会ったばかりの女子を家に連れ込むなんて、。ほんと頭どうかしてんじゃないの? キモい、死んで!』
大体想像は出来ている。
「す、すまんっ!」
「え、ちょっ」
別に家に女子を連れ込んでなにか如何わしい事をしようという訳ではない。なに申し訳なくなってるんだ自分よ。
「ねぇねぇ
「だ、大丈夫だよ。
また首を傾げる
「うーん。
俺たちは
「あら、後輩くん。入学初日からいきなり彼女かしら? もう昔の女のことなんてどうでも良いのね」
あ、完全に忘れてた。そういや俺『また放課後』って言っちゃったよな? やべ……。
「先輩、すみません急用が出来てしまって。あと彼女じゃありませんよ。今日は和泉にアニメをとことん見せるんです」
「えっ
ほらね。先輩が紛らわしい事言うから、鋭い
「先輩の冗談だよ。先輩、ホントにすみません。明日でお願いします」
そう言って
「何がアニ研を作るよ……」
本当に昔の男を見るかのような目をする
「もうギサキ! なんで逃しちゃうのよ!」
「あら、
「何よっ! 振られたって!」
「ホントにお邪魔しちゃって大丈夫なのかな?」
「普段から
「
まさか、俺と
「違う違う。
「へー、そうなんだね」
自分から聞いておいて本当に感情がこもってないな。
家のドアを開け、靴を脱ぎ捨て、それを和泉が綺麗に並べてくれた。
「靴はちゃんと並べようよ?」
「あ、すまん……」
二階に行き、一番奥の部屋のドアノブに手を掛けた。
「そしてここが俺の部屋だ」
扉を開けるとそこには沢山の漫画、ゲーム機、そして棚いっぱいに置かれている夜輝の〝
「……」
「どうした、
「いやね、オタクの人の部屋ってある程度想像は出来ていたんだけど、その想像の遥か上を行っててねー?」
その割には全然驚いた喋り方じゃ無いな。まぁいい。
「好きなとこに座っててくれ。俺は飲み物を取ってくる。飲めないジュースとかあるか?」
「ないよー、
「暑かったか?」
「いやー、全然大丈夫だよ?」
男子の部屋に初めて入った
普段から
「なぁ
「うーん、私良くわかんないから
オススメなんてたくさんあり過ぎて選べるわけないだろ。とりあえず初心者でも見やすいアニメを見せるか。
タブレットでアニメを漁り、あるアニメをテレビに映した。
「おい
「え……?」
ポカンとする
「ん? 靴下を脱いだ方がゆっくり出来るかなって」
「あ、うんうんそうだよね。ごめんごめん」
何を勘違いしていたのだろうか。自分で言った
「うっ、」
……JKの生足は俺には眩し過ぎる。
「どうしたの、
「別になんでもない……」
全十二話のアニメを
「どうだった⁉︎」
目を輝かせて聞く
「うーん。すごく感動したよ。
「…………すまん」
「それじゃ
「おう。それじゃまた明日。今日はありがとな。どっかまで送って行かなくて大丈夫か?」
「えー、全然大丈夫だよ、うんうんホントに」
取り敢えず玄関の外までは見送った。
今日は充実した一日だった。とは言えないだろうな。
……あれ、なんかもう一つ忘れてないか。
…………アニ研だ。すっかり忘れていた。一番の目的であったものを忘れてしまうのは
まだ今日は高校初日だ。そんなに急ぐことはない。明日こそは部活を創立する、そして先輩も説得する。やるべき事はまだまだ沢山ある。
明日こそは部活創立の申し込みをしに行くぞ、よし。
『
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