婚約破棄された令嬢は知り合いの娼館に匿われていました

落花生

第1話王家のゴシップ

 今夜のパーティー会場は、殊更に美しかった。


 薔薇で有名な庭園はランプの炎で趣深く照らされて、なんとも幻想的な雰囲気だ。夜の闇は暗くてじっとりとした怪しげな雰囲気を想像させるが、今この瞬間の庭は絵本から抜き出したかのような華やかさだった。


 その華やかさをさらに盛り立てるのが、年頃の令嬢たちのドレスである。どの令嬢のドレスも豪奢で手が込んでおり、どれもが芸術品のような美しさがあった。レイハード第一王子の記念すべき二十歳の誕生日パーティーの前夜祭だけあって、令嬢たちは各々で好きなように着飾っている。


 本来ならば、誕生日パーティーの前夜祭など行われない。しかし、当の第一王子が王城で行われる正式なパーティーだけではつまらないと言って、身近な知人たちを集めて母の実家――つまりは祖父の家で内々のパーティーを開催したのである。


 令嬢たちはレイハードの個人的な知り合いもいれば、死ぬもの狂いで伝手をたよって今日のパーティーの参加権を手に入れた者もいる。つまりは、レイハードの周囲に侍る将来有望な男性たちを射止めたい華やかな狩人たちなのだ。その証拠に、彼女たちはアクセサリーを一つも身に着けていない。


 アクセサリーの類は愛の証であり、恋人や婚約者または伴侶から贈られるのだ。それを身に着けていないということは、愛しく思う人はいないという女性たちのアピールになる。


 正式なパーティーではないということも手伝って、令嬢たちのドレスには伝統的な堅苦しさはなかった。いくら年頃の令嬢と言っても、王族が開催するパーティーでは伝統的なドレスを身に着けることが義務付けられている。


 それらも当然美しいが肌の露出を控えているために堅苦しさがあり、今回のパーティーで身につけられているような軽やかさはない。今期の流行はデコルテを露出させるデザインなので、王族が主催するようなパーティーではとても着られないデザインだ。


 肌を露出することを嫌がる親世代は顔をしかめる流行かもしれないが、ドレスから見える白い肌は男性として注目してしまうものがある。令息たちの視線は、夜の闇の中でも白い女性の首に自然と流れていく。


 それは、若い使用人も同じだ。令嬢の世話に慣れていないらしい男性の使用人のなかには視線で彼女たちを追ってしまう者もいて、高貴な人間の世話人としては未熟としか言えない。それでも、気安いパーティーに堅苦しい年上の使用人を連れてくる人間は少なかった。もしかしたら、彼らが口煩い親を想起させるからなのかもしれない。


「しっかし、おじいちゃんっていうのは、どこの家でも孫に甘いもんだね」


 噂話を楽しむためのひそひそ声が聞こえた。


 アリアは、その声の持ち主に覚えがあった。アリアの隣には、いつの間にか同業者のユーアがいたのだ。ユーアは茶色の短髪と同色の瞳の使用人で、いかにも主人に好かれやすい地味さを持っていた。


 容姿が派手な者は、使用人としては嫌われる傾向があった。自分よりも見目の良い使用人を連れて歩きたがる男主人が少ないからだ。年頃の息子がいる家ほど使用人は地味な容姿の者を選んで、婚約者となった令嬢たちの心が使用人に奪われないようにしているという話すらある。


 だからといって、あまりにも醜い者が使用人として働いていれば家の評判に関わる。だからこそ、使用人は地味な容姿が好かれるのだ。


 アリアもご多分に漏れず地味な容姿をした使用人である。赤毛と茶色の瞳。さらには顔立ちも平均的なものなので、仕える主人たちの輝かしさを全く邪魔しない。脇役の人生を送るのに、相応しい容貌だ。


「あんまり、恐れ多いことは言わない方がいいぞ。第一王子のおじい様ということは、未来の王の祖父ということだからな。未来の権力者になったらどうする」


 アリアの視線は、本日の中心人物を追っていた。第一王子のレイハードだ。アリアやユーアが庭の芝生だとしたら、王子は大輪の薔薇である。


 そんな例えがふわさしいほどに、今日のレイハードは庭の薔薇に負けぬほどの華やかさを持っていた。


 金細工のような髪に神秘的な緑色の瞳。白い肌は大理石のようとすら称えられており、王族なかでは間違いなく当代随一の美形である。その美しすぎる容姿は、貴族の若い女性の憧れの的となっていた。


 そんなレイハードが身にまとうのは、落ち着いた紅色のジャケットだ。日中だったら派手すぎる服も、夜の暗闇ではちょうど良いぐらの色合いである。


 洒落た物や派手なことが好きなレイハードだから、布地からして珍しいものを使っているのかもしれない。レイハードの我儘で、他国から様々なものが輸入されているというのは有名な話だった。


 美形のレイハードの隣には、彼の瞳と同色のドレスをまとった令嬢が付き添っている。


 見慣れない令嬢だなとアリアは思った。いつもならば第一王子の婚約者であるティアという令嬢が隣に立っているはずなのに、今日に限って彼女は壁の花になっている。


 なお、レイハードの隣の令嬢は周囲の注目を集めるほどに大きなエメラレドの首飾りを着けている。愛情の大小がアクセサリーの質や値段に比例するとはアリアは思っていないが、王族の隣を歩くとなると話も違ってくる。


 婚約者であるティアが、今までアクセサリーを身に着けていないことを思い出せば尚更だ。


 レイハード王子の周辺で何かがあったのか一目瞭然で、とてもではないが関わりたくはない。もっとも、何かがあっても使用人のアリアにとっては雲の上の話だ。気にすることはないだろう。


「あー……。ご愁傷様」


 ユーアは、アリアの肩を叩いた。


 二人の視線の向こうでは、王子の婚約者のティアに男性が話しかけている。銀色の髪が夜の月を思わせる男性は、和やかな笑みを浮かべながらティアに話かけていた。桃色のカクテルまで彼女に進めており、実にスマートな物腰だ。一般的に想像しうる紳士のお手本とでもいうべき姿だが、それが全く嫌みになっていない。


「サーリス様……。厄介ごとには、どうか首を突っ込まないでくださいよ」


 アリアは、神に祈りたくなった。


 サーリスはアリアが仕える家の令息であり、このパーティーにアリアがいる理由でもある。サーリスの付き添いが、今日のアリアの仕事であった。


「サーリス様とティア様は面識があるのか?今までは、そんなに親しそうには見えなかったけど」


 興味津々といった様子でユーアが尋ねてくる。思い出してみれば、ムーアはゴシップが好きだった。第一王子と婚約者の不和と公爵家のサーリスの横恋慕を想像しているのかもしれない。他人事だったならば、さぞかし楽しいゴシップであったであろう。


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