毒吐く、

森野 梅

日常

 二十一歳、童貞。彼女は歴代で二人、そのどちらともに「なんか違う」と何とも言えない振られ方をした。好みのタイプは巨乳で目元に黒子のある色っぽい女性。自慢できることといえば冴えない容姿で現代っ子風に言うと陰キャに分類される俺が、高校三年間はバレー部で主将として活躍していたことくらい(それも名ばかりだけど、何も知らない人間に言えばそれなりに凄いと言われるからいい気になっているだけである)。指定校推薦でなんとなく決めた東京都内某大学に入学し、今年で三年生。サークルにも入ることなく毎日大学とバイト先、そして家とをぐるぐる行き来するそんな面白味のない毎日を送っている割と何処にでもいる至極普通の大学生。それが俺である。因みに直近の夢は無事に大学を卒業できることである。指定校推薦で入学したことでの驕りが出ているのだ、自業自得と言われればそれまでだが。

 今日も今日とて大学へと通う。一限目から講義があるから、丁度通勤・通学ラッシュと当たるその時間に駅へ向かうこととなる。ボロアパートの三階、住めば都というのは確かで越してきた当時は早く金を貯めてこんな家出ていってやると意気込んでいたが一人暮らし・彼女ナシ・友人ナシの三拍子揃った男にはこの家で十分だ。入学祝だとかでじいちゃんが買ってくれた黒のマウンテンバイク、盗難防止に二個の鍵を掛けてあるそれを慣れた手つきで外し、跨る。我が家から家までは自転車で二十分、運動を辞めてからすっかり衰えた体ではそれ以上の時間が掛かっている気がしなくもない。よく大人が二十代と三十代では体力が全然違うと言うがそれは十代と二十代でも大差ないと思う。やはり小中高校での体育の授業や部活動は大事なのだ。いくら運動が嫌いでもあれはちゃんとやっておくべきだと思う。自転車を漕ぎながら、もうすっかり見慣れてしまった街並みになんとなく目を向けた。角のパン屋の店主は今日も裏口から漏れて聞こえるほどの音量でラジオを流しているし、お隣の家の犬はその音に反応するように吠えている。少し先を進んだグレーの外壁が特徴的なマンション、五階の角部屋には今日も邪な考えを持つ俺のような人間なんて知らないとでも言うように下着が惜しげもなく干されていた。今日は黒らしい、因みに昨日は赤だった。どんな人が住んでいるかなんて知らないし、興味もないがそれなりに積極的な人と見た。あくまで童貞の憶測だけれど。ああ、本当悲しくなってくる。近くの高校からは野球部の野太い声がグラウンドから響いた。朝練経験者として朝からあの声量が出ることは本当に尊敬する。俺には無理。野球部員は低血圧という言葉をご存じないのだろうか。ぜひともアンケートを取りたい、低血圧について。結果は何も生まないけれど。俺の些細な疑問が解消されるくらいである。そして駅が近づくにつれてちらほらと見え始める学生やサラリーマン、OLの姿。俺は常々疑問に感じているのだが、どうして女子高校生というものはあんなにスカートが短いのだろうか。寒さを知らないのか。季節は一月、冬の冷気が体を芯から冷やしてくる魔の季節。俺は冬生まれだが冬が一番嫌いだ。雪ではしゃいでいたあの頃は若かった。もう今は雪だなんて有り得ない、寒いし自転車は漕げないし、滑るし怖いしデメリットしか感じられない。しかしすれ違う女子高生たちは皆膝上丈、生足。見ているだけで寒い。余談ではあるが、俺はこの世を生きる人間の中で女子高生が一番強いと思っている。というかもう書士高校生たちが自分を強いと思っているだろう。大丈夫異論はないから、お前らがナンバーワンだ。だからどうか電車で隣に座る俺と極端に距離を開けないでくれ、あれ地味に傷つくから。いくら他人とはいえどあからさまな態度には俺の柔い心は耐えられないのである。家から駅まで、いくつかある信号のうち待ち時間が一番長い(ような気がしている)信号に停まる。片足を地面に降ろして、横目で隣に並んだサラリーマンを見た。ぐれーの少し草臥れたスーツに身を包んだ男性、まだ朝だというのにスマートフォンを耳に当て何度も何度も謝罪の言葉を口にしている。朝早くから本当に大変だと、他人事のように思うがあと数年すればきっと俺も同じような立場になっているのだろう。そう考えるとぞっとする。俺は、というか学生は学校という一つの大きな壁で守られている感じはある。しかし社会に出れば自分の身を守るのは自分、装備は全部己の手で揃えなければいけない。ゲームと同じだ、初期装備だけでは限界がやって来る。だからこそ人は学び、それを自分の物にしていく。知識や技術はやがて自分を守る防具となるのだから。まあ、こんなに偉そうなことを言ってはいるが現状まず卒業できるかどうかの瀬戸際にいるのだけど。こんな俺が言えた台詞じゃないな。自嘲じみた笑いがふっと零れ、隣に並んでいたサラリーマンは訝しげにこちらを覗いたが上手い具合に変わった信号で誤魔化すようにペダルに足を置き、漕ぎ始めた。駅はと鼻の先にある。駐輪場、一体いつから置いてあるのだろうかと思うほど見慣れた埃のかぶった赤の自転車の横に駐車し、二つの鍵を掛ける。少なくとも今年に入ってからはずっとここにおいてある。動いた形跡も見えない。持ち主は一体どうなったのだろうか。何か事件に巻き込まれたとか、もしくは別れた恋人と運命的な再開を果たしまだまだ現役の自転車の存在を忘れるほどまでに熱く燃え上がるような恋愛に発展したとか。まあ、大方壊れた自転車をそのまま放置しているだけだろうけど。

 背負っていたリュックからいつもの定期券を取り出し、イヤホンを耳にはめた。じゃかじゃかと流れだす音楽、高校生のときから何となくずっと聞いているバンドの曲。数年前に解散し、もう新曲を出すことはないがそれでも俺の中では確かに名曲として今も色濃く残っている。改札をくぐり、向かう三番線ホーム。音楽の向こう側でうっすらと聞こえてくるアナウンスを気にしながら、俺はいつものようにベンチの左端に腰掛けた。

 ああ、今日も一日が始まる。


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