四十五夜目 仙人
去勢手術も経て、大きく成長したちーたくん。小さい頃のあばらが見えるくらいガリガリだった体型が嘘だったようにスクスクと成長し、もう怖いものはない立派なオス猫となった――六年ほど前のそんなある日のことだった。
久しぶりにちーたくんとご対面した前夫は、神妙な面持ちでこんなことを言ったのだ。
「なんかさ、あいつの背中におっさんが乗っているんだよ」
「は?」
なにをとち狂ったことを言っているのか。
いつものことだと思いつつも、霊感が強い人と信じていた私は首を傾げながらも話を聞いてみることにした。
「今回はいつものちっさいおっさんじゃない」
と前夫は言った。
ちっさいおっさんとはうちにいるおじさんのことである。
身長が小さいおじさんなのだが、『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパを想像してもらったらいいかもしれない。
そういう存在が今住んでいるところにいて、私と前夫がケンカすることを煽っているのだが、今回はそれとは別のおじさんなのだと彼は言った、
「ちっさいおっさんじゃなきゃ、なんなの?」
前夫の表情は実にしぶいまんま、言葉を選んでいる。なんと表現していいのかわからないらしい。そのおっさんをきちんと形容する言葉が思い浮かばない中、彼が選んだ表現は次のようなものになった。
「仙人みたいなんだよな」
――仙人とは? 長いヒゲに、眉毛がびろーんと伸びたあれですか?
こんなイメージに至るのは、おそらく私だけではあるまい。
仙人と言えば中国。
仙人と言えばかすみを食う。
仙人と言えばおじいさん。
仙人と言えば隠居。
とにかく、川に釣竿を垂らして座っているイメージしか、私の中にはなかった。そんな人が(人と形容していいのだろうか)ちーたくんの上に乗っているなんて、想像が追いつかない。
私は首をひねりまくった。
「とにかく仙人みたいなんだよ」
そんな疑心に満ちた私に、前夫は繰り返した。
しかし、まったく伝わってこない。
――仙人ならいいじゃないか!
とても高尚なイメージがある。人でありながら、人を超越した存在。そんなおっさんが我が家の猫にライドオンされているとは、さすがである!
なんて思ったほどだ。
がしかし、前夫はいい顔をしなかった。
「あいつさ。なんか性格荒っぽくなったと思わない? 闇をまとっているというか」
「死神化してきているって言ってなかった?」
「うーん。もしかしたらさ、上に乗っている仙人のせいかもしれない。操られている可能性がある」
ちーたくんが仙人に操られて狂暴化とは、素っ頓狂な考えすぎやしないだろうか?
いや、そもそも彼の発言はいつだって普通じゃない。
けれども彼の顔や声からは冗談を言っているようには思えなかった。まじめに答えている。
しかも心の底からだ。微塵も私のことをからかおうなんて思っていない様子だった。
「よくないことなの?」
「わからん」
彼は眉を寄せて首をひねった。
いいヤツなのか、悪いヤツなのかの判別はつかないらしい。
しかし、どうにも納得できないようだった。
小さいころのかわいらしさがないのは仕方ない。ツンツンしていて、人間にいっさい媚びないのも、大人になったがゆえではないだろうか。
それより気になるのは、彼が完全に前夫を敵視していることである。これは前夫の対応が悪いのも起因しているのだが、彼はそこには気づいていないらしかった。
「まあ、害がないならいいじゃない」
実害が特にない以上、仙人だろうが、おっさんだろうが関係なかった。
「様子見だな」
そう言って、この話は終了する。数か月後に仙人がいまだにいるかを不意に思い出して訊いてみたが、その頃にはもういなくなっていた。
――いったいなんだったんだろう?
なんのためにねこさまの背中に乗っていたのかわからない小さな仙人風のおっさん。
今日ものんびり部屋の真ん中で寝そべる彼を見るかぎり、仮にそんな存在がいたとしても、解放されたから安心だなと、ほっと胸をなでおろすばかりであった。
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