二十七夜目 同い年だったはずなのに
私の人生の節目には必ずと言っていいほど『死』というものがついて回っている。
その規模は大きかったり、小さかったり、間接的だったり、身近であったり。
娘を身ごもった年、弟夫婦にも子供ができた。
弟にとっては初めての子であり、男の子ということで、誕生を心待ちにしていた。
同じ年の子供。
かつ、生まれる日にちも近かった。
そんな弟の待望の息子はたった三日間しか生きられなかった。
十か月間お腹にいたが、産まれた時点ですでに500グラムしかない超未熟児だった彼は、懸命に生きようとしていた。
我が子に初めてミルクを与えた弟は、その感動を満面の笑顔で語っていた。
一時は盛り返すかとも思える赤ちゃんはしかし、自力での排泄ができず、山場を越えることができなかった。アンモニア中毒だった。
三十センチほどの幅の棺に納められた赤ちゃんと対面したとき、そのあまりの小ささに私自身怖くなった。
手のひらサイズと言っても過言ではない大きさ。
頭は握りこぶし程度。
こけた頬。
赤ちゃんと呼ぶにはあまりにも、本当にあまりにも小さな体。
娘を出産したあととはいえ、もしかしたら娘も同じ運命を辿る可能性もあったことを考えると、とても他人事とは思えなかった。
娘は生まれた直後に産声をあげず、ぐったりとした状態で生まれて来たのだから。
その後保育器にも一日だが入っていたし、退院時は出産時よりも体重が少なく、なかなか増えなかった。
なんとかうまくいって命は繋げたけれど、一歩間違えたらどうなったかはわからない。
弟の悲しげな顔。
うらやまし気な目。
それを目の当たりにすると、自分がどれほど幸せ者なのかを痛感しないではいられなかった。
同い年だったはずなのに明暗が分かれてしまった原因はなんだったのだろう。
弟の奥さんが臨月でもたばこがやめられなかったことだったのか。
それが原因で二本ある臍帯のうちのひとつが機能しなくなってしまったからなのか。
元々偏食で、食も細かったからなのか。
今となってはどれが原因だったのか、どれもが原因だったのか。それは確認のしようもないのだけれど、ただ、もしも時間を巻き戻せるのなら、大きなお世話と言われようとも、嫌な顔をされようとも彼女にたばこをやめるよう助言をしたいし、できるなら栄養のあるものをたくさん取ってもらいたかった。
そうしたら、みんな笑っていられただろうに――
そんな無念の思いだったのか。
火葬場で順番を待っているときに、私の母、つまり赤ちゃんからすれば祖母になる人の手の中に収まった棺がガタリッと音を立てて動いた。
棺を開けてみるも、動いた様子はない。
ドライアイスを入れられ、冷たく固くなった赤ちゃんが目を閉じて眠っている。
それを確認すると、そっと棺の蓋を閉じて、母は大事そうに抱え込んだ。
「最後の別れの挨拶だったかねえ」
そう母が泣きながらつぶやいたことは今も忘れえぬ記憶として私の頭の片隅に残っているのだが、人生の節目のタイミングでいつも生と死について考えさせられる出来事に遭遇している身の上としては、次、なにか大きな変化が起きたとき、いったい今度はどんな生と死が待っているのか――戦々恐々とした思いに見舞われるのだった。
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