二十一夜目 イベント帰り

 今年の七月二十一日のことである。

 この日私は、かねてより楽しみにしていた稲川淳二氏の怪談ナイトというイベントに参加するため、浜松市のUホールへ出掛けた。


 午後五時開場ということで、五時過ぎに会場へ到着。グッズを購入し、席へ移動する。

 私の席は右端のエリア二列目の中央席側。会場自体がこじんまりしているのもあり、舞台は目と鼻の先。わずか数メートルのところが壇上となっていた。通路に接した席であったので、前の人の頭など気にならずに舞台が見られる最高の席だった。


 午後六時開演。

 稲川淳二氏が壇上に登場すると、静かだった会場がにわかに熱を帯びる。

 氏が客席に向かって挨拶しながら手を振る姿を目にした途端、私の気持ちも一気にヒートアップした。恥ずかしさもどこへやら。まるでアイドルの追っかけのように大きく手を振り返す。

 舞台中央のベンチ型の腰掛に、氏がゆっくりと腰を下ろした。


 いよいよ始まる――息を飲んで、語りを待つ。


 様々な話が氏の口から語られた。

 聞いていて感動したのは、擬音語の表現がものずごく臨場感があって薄気味悪くて怖かったことだ。

 これは読み物でもそうだが、擬音語が効果的に使われると、受け手はものすごく恐怖を煽られる。

 音になるとなおさらだ。ペタペタと床を歩く音など、本当にぞくりとさせられた。


 二時間はあっという間だった。

 ずっと楽しかった。

 途中、いびきが聞こえてきたり、着信音が響いたりで、マナー違反にイラっとしたのもあったけれど、充実した時間が過ごせた。


 名残惜しい気持ちに後ろ髪を引かれつつ、来場アンケートに答えると、会場を後にした。

 ホールから歩いて五分くらいの場所にある指定の駐車場へ向かう。住宅街の細道を、イベントの感想を話し合いながら歩いていく。


 そうして駐車場が近くなったころ、異変に気付く。

 駐車場の入り口に人だかりができており、黒い塊になっているのだ。


 私が停めた駐車場は坂の途中にあるのだが、そこへは車一台分が通れるくらいの細道を下って行かねばならない。その入口、つまり道路との合流点であり、下り坂に入るところに人だかり。その先には車のヘッドライトの灯りも見える。

 遠目から見ると、人の群れが道をふさいでしまい、車が通行できずに困っているようなのだ。


「道の片方に寄ってあげればいいのにねえ」


 なんて話しながら近づいてみると、状況は思っているものとかなり違っていた。

 歩行者が車を妨害しているのではなかった。

 車が脱輪してしまって動けなくなっているのを、どうしようかと見守っている状況だったのだ。


「男の人は手伝って! ねえ!」


 肩甲骨あたりまである茶色の髪をソバージュにした年配の派手な化粧の女性がやってくるイベント帰りの人たちを捕まえては叫んでいる。

 男性二人が脱輪した側に回って車を持ち上げているが、車はビクともしない。年配の女性の声掛けに男性が次々と車に集まっていく。


 必死に訴える女性は車に乗っている男性の身内なのか。車の状態を覗くために車の前に出て、車を持ち上げようとしている男性陣に「危ないから下がって」と逆に叱られる始末。周りにいた若い女性が年配の女性を抱きかかえるようにして、ようやく男性陣たちの脱輪から救出作戦が決行される。


「せえの!」

「アクセル踏んで!」


 ブウンッ!


 エンジン音が響き、車が道の上に戻った。ぐんっと一メートルほど前に進み出る。

 車の正面あたりにいた私を、隣にいた見ず知らずの女性が庇うように歩道側へ抱き寄せた。


「よおっし!」

「よかったねえ」


 そんな祝福の声があがり、運転手の若い男性が「ありがとうございます」と頭を下げた。

 彼はもう一度車に乗り込むと、慎重に車を走らせた。


「あれ?」


 どういうことだろう。

 男性はひとりで帰っていった。


 では、あの女性はなんだったのか。


 前方をソバージュの女性が駆けていく。


「もうちょっとでみんな帰れんところだったわ」


 と、そんなふうに笑いながら、自分の車に向かっていく女性の後姿を見つめながら、私は呆然とした。

 

 若い男性の母親だったと思っていたのは私の勘違いで、ただ早く帰りたいまったくの他人だったのだ。

 彼女の乗りこんだ車は名古屋ナンバーだった。


 たしかに彼女からすれば、必死にならざるをえなかったろう。

 最初の車が抜けないかぎり、どうやっても自分の車は出せない。

 一時間半の道のりをこれから帰らねばならないのだから、できるだけ早く問題を解決したかったはずだ。


「怪談イベントで、これが一番の怪異だわ」

「本当ですね」


 私を危険から守ろうとしてくれた女性と笑い合った。

 まさかのハプニングまでもセットだったのか――そんなふうに思わせるイベントにまた参加したいと強く思ったのは言うまでもない。


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