二十夜目 怖い話をすると……
怖い話をすると霊が寄って来る。
だから、むやみやたらに話をするものではないし、遊び半分で口にするのもよろしくない。また実話なんてとんでもない。
そんな話を一度は耳にしたことがある人が多いのではないだろうか。
とはいえ、怪談師なる人たちもいて、自身や体験者たちの話を聞かせて歩いているのもたしかである。
ただ、私の経験から言うと、これは話をする、聞くということにかぎったことではない。
好んで話を集める、見る、読むといった行為でも幽霊というのか、怪異を呼ぶのである。
それは『怪異を呼ぶ本』でも述べたとおり勘違いかもしれないし、怖い怖いと思い込んでいるからこそ引き起こされることなのかもしれない。
されど、勘違いと呼ぶにはあまりにも不可思議な出来事も起こりうるのだ。
今回はそこで怪異を呼ぶ本の続きを話したいと思う。
今年の六月ごろのこと。
五月くらいから八月の稲川淳二氏の怪談ナイトイベントに向け、気分を盛り上げていこうと、ホラーや実録怪談の本ばかりを読み続けていた。
計九冊。
『なまなりさん』など、どの本も選りすぐりの恐怖本である。
そのうちの半分以上が郷内心瞳先生の『拝み屋怪談』シリーズである。二冊目となる花嫁の家の続きからシリーズ最終となる幽魂の蔵まで七冊を途切れることなく読み続けていた。
その最中である。
まず、水たまり事件が起きた。
その事件からほどなくのある夜のこと。
所用があって出掛けた先の駐車場に車を停めていたとき、ふいに念仏が聞こえて来た。
低い男の声。
さらに言えば、複数人の声が重なっている。
近くではないけれど、ものすごい遠いわけでもない。
暗くはあるが、街灯がないわけではないから外の様子はわかる。
駐車場を確認するも車はまばらであるし、外に誰かがいる気配もない。
きっと幻聴だ――と思って、車を出そうとしたときだった。
ドンッ!
助手席の窓を強く叩く音が響いた。
思わず悲鳴が喉から飛び出た。
内側ではなく、外側で音がした。
窓の外に広がるのは闇。
人の姿はないし、気配もない。
何かがぶつかったのか。
その痕跡もない。
得も言われぬ気持の悪さと恐怖から、すぐにその場を後にした。
その駐車場は時々利用しているが、そんな物音がしたのは後にも先にもこのときだけだった。
水たまりの件もあったし、念仏が聞こえたこともある。
そして殴打音。
あまりにも続きすぎている。
そしてこの出来事の直近に普段なら決して出くわさないような動物が出現する現象まで起こり――という具合だった。
おそらく、興味を持って、そういう世界の話に触れていくことで、あちらの世界のチャンネルに自分のチャンネルが合いやすくなってしまっているのではないだろうか。
興味を持っても、恐ろしい怪異に出会う前にのめりこまないのが一番である。
それでもどうしても楽しみたいと思うなら、チャンネルを意図的にオフにするように心がけることが必要ではなかろうか。
今回の経験は私にそう思わせるくらいには、薄気味の悪い出来事の連鎖だった。
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