塵も積もれば担々麺
明(めい)
プロローグ
小学四年生の時、クリスマス会があった。
教室に赤や緑の飾り付けをし、クラスの全員でプレゼントを交換しようというものだ。佐川史子(ふみこ)はお小遣いで男女どちらでも使えるようなブルーのハンカチを買い、お店の人にラッピングをしてもらって楽しみにしながらクリスマス会に臨んだ。
椅子を円状にして担任の女性教師がピアノを弾き、クラスの子たちでプレゼントを回して曲が止まる。
史子が当たったのは、教室に落ちていた紙屑だった。プレゼントを用意してくるのを忘れた男子が、ゴミをプレゼント代わりにしたのだ。ひどく落胆し、絶望し、自分の運の悪さを呪った。素敵なプレゼントを貰ってクリスマスの雰囲気を楽しみたかったのに。
家に帰って母の久江に泣きながらプレゼント交換のことを話すとこう言われた。
「塵も積もれば山となる、という言葉があってね。いい思い出をたくさん積み重ねていけば、いつかは今日の出来事も笑い話となるよ。紙屑のプレゼントはそのことを教えてくれたのかもしれないわね。今日のことも宝物として話ができるように、これから山のようにいい思い出をたくさん作って、年を取ったときに笑える人生にしていきなさい。人生の最後が本当に塵となるか宝物となるかは、史子次第だよ」
小さい史子には言っている意味はなんとなく分かっても納得ができなかった。遠い未来のことよりも、今、当たったプレゼントが紙屑で傷ついていることのほうが大事だった。
拙い言葉で反論すると久江は頭を撫で、言った。
「じゃあ、ママが合言葉をプレゼントとして贈るよ」
「合言葉?」
「ママと、史子だけの合言葉。史子が笑っていないときは『塵も積もれば』と訊くから、担々麺と答えなさい」
「なんで担々麺なの」
「ママの大好物であることは史子も知っているでしょう。ゴロもいいし、『塵も積もれば山となる』ってもとからある言葉じゃつまらないからね」
久江はラーメン屋に行くときも中華料理店へ行くときも、いつでも担々麺を頼んでいた。
飼い犬のゴンが史子と久江の間に割って入り、しっぽをぶんぶんと回転させて史子の涙のついた頬を舐める。くすぐったくて思わず笑うと、久江も笑顔になった。
「やっと笑ったね。史子にはそっちの顔のほうが似合っているよ」
塵も積もれば担々麺。いい思い出を積み重ねていくための合言葉。
けれど、何がいけなかったのか宝物のような思い出はうまく作れなかった。
中学、高校といじめにあい、その間にゴンは病を患い死んだ。深い喪失感と、学校へ行くことの気の重さ。「塵も積もれば?」久江からそう言われるが、史子は「担々麺」と答えられずに泣いてしまった。
父である博も史子の学校生活がよくないものであることを心配していた。
ストレス発散に走ったものは料理だ。毎日作るのがしんどいと、たまに料理を作ることをさぼりたがった久江に、史子は高校生の時に料理を覚えて両親に振る舞い続けた。
何もかも嫌なことを忘れるために、学校から帰ってくると週四ペースで料理を作った。
博の好きなもの。担々麺以外で久江の好きなもの。史子の好物。
受験を終え第一志望の大学に合格すると友達ができ、やっと笑って日々を過ごせるようになった。大学へ入学した時も二十歳になったときも、両親は中華店で史子を祝った。
久江はやっぱり担々麺を頼む。店によって味が違うから、味比べをするのも好きだと言っていた。食べることが大好きな博はいつもコース料理を頼む。
史子は二十歳の時、生まれて初めて担々麺を食べた。
程よい辛さで、上品な味付け。今度家でも作ってみよう。そう思い、久江に言った。
「ねえ、家で担々麺作ってみるよ」
「本当? 私の中に担々麺のレシピはないから」
久江は嬉しそうに笑った。確かに家では作らない。担々麺は外で食べるもの、という思い込みがあるようだ。
その日から、史子は担々麺のレシピが乗っている料理本を探したり、久江が贔屓にしている中華料理店へ行き、店主に作り方を教わったりした。
そうして手順を頭に叩き込み、担々麺を作る日を決めた。
十月二十一日。
その日は大学の講義が長引き、帰るのが遅くなった。
一度家に帰って荷物を置き、迎え出た久江に史子は言った。
「遅くなってごめん。担々麺、作るからね」
「一緒に食べようね」
「じゃあ、材料買ってくるから」
「いっていらっしゃい」
秋も深まり、その日の冷え込みは激しかった。日が落ちるのも早くなり、なんとなく気の急くような季節になっている。史子は自転車に乗って急いでスーパーへ向かった。
冷たい風を切り、青信号になった横断歩道を渡る。
その時、大きなクラクションが鳴った。
右を見ると目の前にまぶしいヘッドライトが間近に見えて――
これが、史子と両親の別れとなった。
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