025
どこかへ出かけよう、とアオネはカバンを手に取った。カバンの中から何かがひらりと畳に落ちた。
それは切符だった。海灘駅ゆきと書いてあり、日付は今日だった。この町に住み、周辺の地理は良くなじんでいるつもりだったが、この駅の名前は聞いたことがなかった。せっかく切符もあることだし、行ってみるのもいいかもしれない、とアオネは思った。
日傘をさして外に出る。山道を20分ほどかけて降りるとバス停があった。バスに乗ってこの町で唯一の駅に向かう。
「すみません、海灘駅というところに行きたいんですけど」
アオネは暇そうにテレビを見ている駅員に切符を見せて声をかけた。
「何?ウミナダぁ?ちょっと待ってな」
駅員は分厚い鉄道関連の本をぱらぱらめくった。
「お嬢さん、海灘は20年も前に廃駅になってるよ。なんでそんな切符を持ってるのかは知らんがね、その駅に行きたいならここから
「はあ、ありがとうございます」
アオネと駅員はそろって首を傾げた。今廃駅になっているのなら、どうしてこんな切符が存在しているのだろうか。
とりあえず、新しく切符を買い、駅員にスタンプを押してもらって改札を通る。海灘駅ゆきの切符は、切符回収箱に入れてしまった。
『切符』を使用しました。Fの欄から削除してください。
駅のホームで電車を待った。カトレアが咲いている。10分ほど待って、列車がやって来る。アオネが学生時代に通学で使っていたものだ。車両はがらんとして、客はほぼいなかった。40分ほど電車に揺られると、目当ての九触駅に到着した。電車を降り、バス停でバスを待つ。海が近いのか、風が少しべたついて、潮の匂いがした。バスが来て、乗り込む。
地図アプリなどに頼ることもなかったのに、思ったよりあっさりと海灘駅は見つかった。白いペンキで塗られた廃駅舎は少し崩れている。色あせた立ち入り禁止の札が申し訳程度にぶら下がって風に揺れている。アオネは無人の駅舎に入り、ホームに出た。
海が見えた。真っ青に澄み渡った空の色を映して、海が広がっている。空の青の中で入道雲がまぶしいほど白かった。
視界の端に誰かがいることにアオネは気付いた。無人の駅のホームで、白いパラソルをさし、その下でキャンバスに向かって絵を描いている女性。アオネがそちらを見ると、女性もアオネに気付いたようで、少し微笑んだ。女性の黒のワンピースが風に揺れた。
「ここ、綺麗でしょう」
女性が言った。
「はい、とても」
アオネは答える。女性が手招きするのでアオネは近づいた。女性の描いている絵は、青い朝顔の絵だった。
「私、ここでよく絵を描いているのよ。私と猫以外でこの駅にやってきたのはあなたが初めて」
「素敵な絵ですね」
「ありがとう。ここで描いていると、綺麗な青がそのまま絵の具になってキャンバスに落ちるような気がするの。ふふ、変よね」
女性は小さく笑った。
「いえ、なんとなくわかるような気がします」
「そう。私は頭の中にずっと思い描いている青があるの。空みたいにずっと澄んでいて、海みたいに鮮やか。夏のように透明。何枚描いても気に入らない。だからずっとここで空を描いているの。モチーフは朝顔だけれど、本当は夏空を描いているのよ」
女性はパレットに青の絵の具を絞った。パレットは青系の色でグラデーションを作り、本当に空のようだった。女性はアオネの方を向く。
「そうだ、あなた、何か夏のような色のモチーフを知らないかしら。なんでもいいの。私の思い描く青に何か近づけるかもしれないわ」
「夏の色、ですか」
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②夏の思い出を話す 034へ
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