001

青音アオネは小説を閉じた。

開け放した窓からは絶え間なく蝉の声が聞こえている。縁側に落ちた木陰が湿気を含んだ生ぬるい風で微かに揺れた。豚の形の蚊取り線香からゆっくりと煙が立ち上っている。グリーンカーテンとして茂った朝顔の葉は、暑さで元気なくしなだれている。

田舎の山の中腹に位置するこの古民家はアオネの夏の間の別荘であった。祖父から受け継いだもので、築100年ほどになるだろうか。窓の外からは町を見下ろすことができる。青々とした田んぼの稲と調和するような町はアオネの故郷でもあった。ゴルフ場と米作りで細々とやってるような過疎な町だが、都会の喧騒を逃れてひと夏を過ごすにはちょうどいい場所でもある。

アオネは立ち上がって台所の冷蔵庫を開け、冷たい麦茶をグラスに注いだ。じっとしているときはまだいいが、少しでも動こうとすれば思い出したように全身から汗がにじんでくる。着ているワンピースが肌に張り付き、アオネはぱたぱたと胸元を扇いだ。麦茶に氷を浮かべる。グラスに氷が当たってカランと涼し気な音がする。

部屋に戻ってきて麦茶を喉を鳴らしながら飲むと、畳にまた胡坐をかいた。アオネがこの別荘に来てすでに三日が経っていた。アオネは普段、都会でフリーの物書きをしていた。雑誌のコラム記事を書いたり、ウェブの記事を書いたりしている。都会の方が活動に何かと便利なので都会に住居を構えてはいるが、夏の間は毎年どこか田舎に避暑をしてゆっくりと過ごすことにしていた。ちょうど祖父が死んで十年であり、両親や家族に顔を見せようと思って連絡を取ると、墓参りだけでなく、祖父の所有していた古民家を夏の間使ったらどうか、と提案され、ひと夏の間この家で生活をすることにした。

古民家は十年間ほったらかされて空き家の様相を呈しているのかと半ば覚悟しながら向かったが、レンタル古民家などというサービスに登録していたらしく、毎年、ひと夏の間だけ希望者を住まわせていたらしく、かなり状態はきれいだった。田舎の古民家に短期間だけ移住のようなことを体験してみたいという都会の人の需要は大きいのだろう。山の下の町は別だが、この山にはWi-Fiがなく、強制的なデジタルデトックスにもなる。

「古民家もいいけど、せめてこの時代、エアコンはいると思うんだけどね……」

アオネは年期の入った扇風機のスイッチを入れた。ぎこちなく首を振りながら室内に生ぬるい風が回り出す。標高の高い山間の田舎とは言っても、近頃は地球温暖化のせいか、都会とそう変わらないほど暑い。こんな昼は外に出る気も失せ、ただ、だらだらと時間を過ごしてしまう。この町を久しぶりに見てみたいという気持ちはあるのだが、照り付ける底抜けに明るい太陽と暑さのおかげで家から出るのがどうも億劫なのであった。

再び小説を読もうとしたところで、電話が鳴った。廊下の小さな机に備え付けてある、いわゆる家電いえでんというやつだった。

アオネは緩慢な動きで立ち上がって電話を取った。

「はい、もしもし」

『聞こえる?よく聞いて。信じてもらえないかもしれないけど、これは本当なの』

ノイズ混じりの声が聞こえた。聞き覚えのある声だと思った。

「あの、どちら様ですか?」

電話の向こうの誰かは、息を切らしているようだった。

『私は未来のあなた。今、あなたの身に危険が迫っている。今すぐその場から離れて』

「は?」

電話の向こうの女はアオネの困惑を無視して続ける。

『あなたは今日、死ぬことになる。外に出て。何かをして。夏を探して』

「ちょ、ちょっと、何を言ってるのか。悪戯電話だとしたら迷惑です」

『信じられないことはわかってる。でも、家から出て。繰り返すよ、な』

そこで小さく悲鳴が聞こえて電話は切れた。

「一体何……?」

電話を見つめるが、ツーツーと音がするだけだった。

「外に出て?」

アオネは縁側の方を見る。穏やかな夏の景色が何も変わらずにそこにあった。蝉の声がしている。


①コンビニに行く 043へ

②友人に電話する 011へ

③神社に行く 024へ

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