夏の夢

常夏真冬

第1話

 きっかけは些細なことでした。

 友達の噂話が気になって。

 名前は優斗さんと言うらしいです。

『話してみたい』

 思いが募ります。

 友達に顔を教えてもらいました。優しげな顔つきで、かっこいい人でした。

 この時から私はもう優斗さんに惚れていたのかもしれません。

 私は優斗さんを目で追うようになりました。といっても別のクラスなので体育の時だったり移動教室のときに盗み見するくらいです。

 優斗さんは優しい人でした。友達が騒ぐのも、うなずけます。

 でも私は臆病者で話しかける勇気が出ませんでした。

 それに私はもう―――――から。

 神様。どうか最後に私にチャンスをください。

 彼に告白するために。


§


「……最近さぁ、視線を感じるんだよね」

「おっ遂に優斗にもモテ期か? モテ期!」

 目の前にいる友人に言ったのが間違いだったか。

 昼休みのガヤガヤした教室で俺はそう思う。

「そういうやつじゃないよ。木戸きど。なんか登校中とか家の中とかでずっと見られてる感じがするんだ」

「そうか、つまりそれは……」

 随分ともったいぶる木戸。

「それは?」

「幽霊の仕業だっ!」

 幽霊。あやかし。悪霊。物の怪。現し世の世界から外れた者たち。

「夏だしな。あり得るかもしれないなー」

 俺は最後に残ったナゲットを口に放り投げて言う。

「ぜってー信じてないだろ! 優斗」

「俺は幽霊を信じない主義なんでね」

 まあ、意外とそうなのかもな。


 電車に長いことゆられた後、俺は薄暗い田舎道を歩く。

「ただいま」

 鍵を開けて明かりの灯っていない家に入る。

 俺の声が虚しくリビングに響いた。

 机を見ると『今日も帰れません。ご飯は自分で作って食べてください』と母からの置き手紙。

「またか……」

 俺はリュックを置いて、キッチンにあるインスタントラーメンを手に取った。

 ヤカンに水を入れて沸かす。ヤカンから湯気が上がってくるのを見ながらつぶやく。

「なあ、誰なんだ? 俺のことずっと見てるの」

 当然、答えは無かった。

 ヤカンの気の抜けたピーという音しか俺の耳朶じだを震わせなかった。

「ほんっとになんなんだか」


 深夜。俺は金縛りにあっていた。体が動かない。目も開かない。唯一動くのは口と手だけ。

 そういえば、この前木戸が『金縛りにあったときは、大声でわっ! て言えば良いんだよ』とくだらないことを言っていたな。

 やってみるか。

「わっ!」

「きゃっ!」

 聞こえてきたのはの声。

 俺に夜這い? ストーカー? 通報しなきゃ。

 見ず知らずの女性に俺の童貞をやすやすと奪われてたまるもんか。

 体が動くようになったので起き上がる。

「なぁ、君……誰?」

 眼前に少女がいた。後ろを向いていたため顔は見えなかった。

「すっすいませんでした!」

 その少女は部屋から出ていった。

「マジ、本当に幽霊……? ……寝よ」

 俺はその事実を忘れるべく、眠りについた。


 次の日、俺は昨日起きたことを思い出せなかった。

 頭に霧がかかったような。サラサラとこぼれ落ちる水みたいに記憶から消えていた。

 学校で俺は屋上に呼び出されていた。

「ゆーうーとっ。良かったじゃん。! 男子が憧れるだぞ!」

「どうせ嘘コクだろ。俺にそういうの求めんな」

「わかんないぞー優斗。ほら見せてみ。どれどれ『あなたに大切な話があります。放課後屋上に来てください。待っています』差出人不明の! あこがれるねぇ。もしかしたらママみのある先輩だったり? 可愛い後輩だったり? くぅーっ!夢が広がるねぇ」

「木戸、そろそろうるさい」

 実際俺も男子なのでラブレターをもらったら喜ぶものだ。その先にあるものが嘘コクでもな。

 俺はいそいそと教室から出る

「健闘を祈るっ!」

 敬礼をして見送る木戸が妙に頼もしく見えたのは気のせいだろう。


 屋上の錆びついた扉はギィと気持ち悪い音を鳴らした。

 屋上には一人の少女がいた。その少女はわが校の制服を着ていた。

 少女はフェンスに座って足を揺らしていた。

「おい、そんなとこにいたら危ないぞ」

「あ、来てくれた。よかったぁ」

 安堵した表情を見せる少女。その少女はとても可愛らしかった。

「優斗さん。初めまして。私、夏野ゆめって言います。ラブレターを書いた人です」

「そうか。嘘コクだったら今すぐ帰るんだが」

 見たことのない少女だったから下級生の悪戯だろう。田舎の学校なんて上下関係とかほとんど皆無だし。

「いいえ、違いますよ。お誘いです」

 フェンスから降りた夏野は上目遣いで言ってきた。

「今度の夏祭り、私と一緒に行ってくれませんか?」

 嘘コクではなかった衝撃とその可愛さで頭がぽーっとして、俺は「いいよ」と答えてしまった。

「やったぁ。じゃあお祭りの日の十七時、商店街で待ってます」

 夏野はまたフェンスに座った。

「あっ、お友達が来たみたいですよ。ほら」

 夏野が扉を指差す。

「おーい優斗! どうだった?」

「どうだった、ってごめん夏野さん……あれ?」

「優斗、どうしたんだ? も、し、か、し、て愉悦に浸っちゃってた感じー? それとも黄昏ちゃった感じー?」

 いない。

 夏野は消えていた。

「木戸。さっきまでここに人いなかったか?」

「え? 誰もいなかったぞ?」

「そうか」

 なんだか不思議な人だったな。


 お祭りで浮足立っている群衆を見送りながら俺は夏野を待っていた。

 男子高校生とは単純なものでたった一度の会話で惚れてしまうのだ。

 俺はこれから起こる出来事に心は踊っていた。

「優斗さん。お待たせしました」

 鈴を転がしたような声がした方を振り返ると、綺麗に浴衣を着飾った夏野がいた。

 目を奪われた。

 薄っすらと唇にのった口紅。可憐に結われた髪。ふわりと微笑む夏野は緻密に描かれた絵画のようで、美しかった。

「綺麗だな」

 そう、自然と漏れるほどに。

「へっ! あっありがとう」

 頬に手をあてて恥ずかしがる夏野は可愛かった。

「じゃあ行くか」

「あっ、ちょっと待ってください」

「ん?」

「人が多くなりますし……手、繋ぎませんか?」

 女性と手を繋ぐ。今までしたこと無い経験だ。尻込みする俺に夏野は追い打ちをかける。

「だめ……ですか?」

 上目遣いというのはなんという凶器だろうか。男の心を撃ち抜く究極の兵器なのではないか。

 俺は夏野の手を優しく繋ぐ。

 彼女の手は夏なのに冬の雪みたいに


「楽しかったですね」

 屋台を周り終えた俺たちは夏野の案内によって人気のない、静かな神社に来ていた。

 遠くの商店街から夏祭りの喧騒が聞こえてきた。

「ああ。そうだな」

 夏野は。聞けば少食でお腹が空いていないそうだ。

「ここ、穴場なんですって。お祖父ちゃんが言ってました」

「そうなのか」

「ええ、よく花火が見えるそうです」

 ドンっ!

「あ、始まりましたね」

 見上げた空は無数の星と花火が煌めいていた。

 星は何億年と生きるのに空に浮かんだ火の星は、夏に咲くムクゲの花のように花弁を落としてしまう。それがなぜか儚くて、俺は夏野を見た。

 夏野も俺を見ていた。

「優斗さん。私伝えたいことがあります」

 一尺玉が大きな音を立てて空に昇った。


 ――あなたのことが好き


 夏野が肩を震わせる。頬には涙がつたっていた。花火の光を反射していて水晶のようだった。

 嗚咽を漏らす夏野を俺は無言で、ゆっくりと抱きしめる。

 夏野の体は細く、滑らかだった。そしてやっぱり冷たかった。

「でも、お別れです」


 大きな夏の花弁が夜空に落ちる頃、俺は誰かのことを忘れた。

 暑い夜に見る、すぐ忘れてしまうのように。

 でも俺は誰かに恋をした、それだけはぼんやりと感じていた。

 俺は腕の中から消えた誰かを思ってつぶやく。


 ――好きだよ。

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夏の夢 常夏真冬 @mahuyu63

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