5年習ったギター講師が実は◯◯だった話
堀江圭子
5年習ったギター講師が実は◯◯だった話①
※この物語は、実話を基にしたフィクションです。
2017年9月6日
このミュージックスクールにしたのは、3箇所に送った体験レッスンのメールの返信が1番早かったからだ。レスポンスが早いのは好印象。間違いないと思う。
初めて見るそいつはチャラかった。
「そいつ」と呼ぶのに相応しいくらい、見るからに年下。
高校生で初めて彼氏ができて以降、できる彼氏はみんな年上だった。2歳上、5歳上、15歳上、19歳上。
先生という言葉のイメージは年上だった。
だからそんな年下の男と、スタジオとはいえ2人きりで閉じ込められるなんて。
細すぎる下半身。ジーパンが破けて見える膝小僧に、体毛の類が一切見えないのにうんざりする。
伊坂平太周。25歳。
そいつの名前と年齢。昨日調べておいた。
ツイッターもFacebookもインスタもやってたけど、ほとんど稼働してなかった。
黒歴史のmixiも調べた。本名でパッと出てきたプロフィール画像には、金髪小僧の写真が1枚。
どのSNSも本名で登録するということは、嘘偽りはないんだろうなと、その時は安心した。
けど、本名で登録することで見せたくない裏の顔を隠していることを、後に私は知ることになる。
昨日届いたばかりのギターを担ぎ、なんの予習もせずに飛び込んだ体験レッスン。
一応先生なのだから、生徒に合わせて話してくれるだろうと油断してた。
さっきから訳のわからない専門用語を使い、こっちの理解を無視して話し続けてる。ずっと。
「スケールってなんですか?」
と聞いてみた。
「こういうのです」
と、伊坂は言った。
音を奏でる。
音の連なり。カッコつけてるつもりなのか、首がよく動く。
「へぇ」
と一言言ってやる。だからスケールってなんだよ。
今は分かる。そのとき伊坂が弾いたそれは、ペンタトニックスケール。
音楽理論を全く知らない、昨日ギターが届いたばかりの初心者に、ペンタを弾く男。伊坂平太周。
初心者の私は「スケールってなんですか」と聞いたのだから、普通は「音階のことです。ドレミファソラシド」と答えるのが正解。
まずメジャースケールから教えるのが、音楽の先生の常識だと本で読んだ。
全くもって自分目線でしか考えられない男だった。
スタジオのライトがツルツルの膝小僧を照らす。
金に近い茶髪には、天使の輪っかができてる。
耳にピアス。柄物のシャツ。白いスニーカー。あぁ、これ底上げスニーカーか。身長盛ってるな。
「Cコード鳴らせますか?」
伊坂が言った。
「Cコード、、」
頭にダイアグラムが浮かぶ。Cコードは覚えてきたけど、思うように指が動かない。
薬指、中指、人差し指。順番に押さえて、ピックを持って、ゆっくり上から下に弦を撫でた。
音が途切れ途切れ聞こえる。
「ピック、引っかかりますか?」
伊坂が言う。
「いや」
引っかかるの意味がわからない。
「これ使ってみてください。」
伊坂が今使ってるピックを私に差し出した。
赤くて薄くて、ペラペラなピック。
もう一度Cコードを押さえて、赤いピックで撫でた。
さっきよりスムーズにピックが動き、滑らかな音が響く。
「弾きやすいすか?」
「弾きやすいです」
「じゃあそれあげます」
「え、良いんですか?」
「あ、ちょっと待って!」
ギターケースのポケットから、もう一枚赤いピックを出した伊坂。
「どうせなら新しいのあげます!腐るほどあるんで!」
私の手からピックを取り、新しいピックを差し出す。
「ありがとうございます」
亀が描かれた、赤くて薄いピック。
「自分はもうずっとこれ使ってるんすよー」
伊坂のピック。後に1年くらい、大切に使い続けるピックだ。
「じゃあ、今日のレッスンはこれで終わりです。体験料金は1000円なんですけど、この場で入会するならタダになりますが、、」
「いや、今日は入会しないです。1000円払います」
数ヶ月習ってすぐ辞める予定だけど、あと2箇所の体験レッスンが控えてるし、とりあえず全部見てから決める。
私よりも前髪の分け目が気になる伊坂。
破れたジーパンから見える膝小僧のせいで視点がそこにいき、靴で盛った身長を無意味にする。短足に見える。
ギターをソフトケースに突っ込み、身支度してる私の横で、赤茶色のギターを丁寧に拭いている伊坂。
ギターの穴の横に鳥が描かれている。羽ばたいて、花の蜜を吸っているような。
あの鳥はなんだろう。
お金を払って、さっさと出口に向かう。
スタジオのドアは重かった。
鍵がかかってるのかと思って手こずってたら、背後から伊坂の手が伸びてきてドアを押してくれた。
壁ドン?
男の力と優しさを感じ、急に近くなった距離に若干焦りながらスタジオを後にした。
伊坂平太周。いさか、ひらたしゅう。
どうしてか、手からほんのりタバコの匂いがする。
帰り道、急に近くなったあの距離を思い出すと、耳が赤くなった。
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