ヤマトのクニ

あかな

神日本磐余彦 かんやまといわれびこ

よく知られている名は『神武天皇』

天皇家初代。


話の通りであれば45歳で遠征に繰り出した至極元気なご老体。


日向(現在の宮崎県辺り)から瀬戸内海を通って倭(現在の奈良県辺り)に到着、現地の勢力を滅ぼして新しい都を建設。これが現在も続く皇室の始まりとしている。


それはいい。


引っ掛かるのは年齢。

45歳。

弥生時代の平均寿命は20〜で30に届かないくらいとされている。前後するとしても30歳を越えれば同世代の人数は多くないはず。

諸説があるので確定は出来ないが、

40歳を迎えられるのはごく僅かと予想できる。そんな時代の45歳は立派な『爺』だ。

古墳時代でも条件はほぼ同じ。


話のなか神武天皇に東征を促したのは

『塩土老翁・塩筒老翁(シオツチノオジ)』。

しかし寿命の平均値から考えると神武より上の年齢がいたかどうか疑問。


権力者=年長者であればまず逆らえないが

権力者=若輩者の場合は

権力者<年長者になる事が考えられる。


この点を踏まえると、むしろ東征を促した『シオツチノオジ』が『神武』では?と推測される。 本来の『皇位継承者』がまだ幼く、本当に活躍した『勇者』は王の血筋ではなかった為にこうなったのではないか。


しかし、この影武者はただの影武者とは言えない。その活躍は倭にとって必要なものだ。影武者としてその活躍を歴史から消してしまえば倭の国が国として成立しなくなってしまう。

さあ困った。

解決策として記す立場を逆転した。

『シオツチノオジ』は助言者、知恵者ではあるが高貴な者ではなく『勇者』こそは天皇

–––皇の血統を倭へ根付かせる者–––であると。


 しかしこれが結論ではない。


『本来の『皇位継承者』がまだ幼く』

この前提でもう一つ思いついたのが

『そもそも東征などしていないのでは』


神武が『勇者』として記録される前提は

『戦闘が起こる事』

では戦闘になりようもない状況であったら?

『東を目指した』のが全く別の理由からだったら?


 幼い皇位継承者と年老いた年長者。

極端に偏った年齢の2人しかいない状態で

東征などあり得ない。そもそも宮(居住地)

から離れないだろう。

あえて離れたのなら必然的に異常事態におちいるなにかが起こったという事。


 原因として考えられるのはまず天災。

局地的な災害(例えば台風直撃)により一族が多く犠牲になり、人数が激減した。


次に人災。

敵対勢力との抗争で戦える年代の人間が皆殺しにされた。


最後は両方。

罹災した所に敵が攻め寄せた。

逃げ出せたのは生き残りの中でも特に弱い者達だけだった。


 脱出できた者達は遠縁の者を頼って

話に訊いていただけの見知らぬ地を目指した


なんて事だったかも。



 これを思いついたのは先日の台風。

ずーっと一ヶ所に留まって動かず、消えず。

稀な例(少なくとも憶えている限り)だが、似たような事が過去に起こったのかも?と。


 

 さらに思いついた可能性が。


『裏切り者』により祖父と孫の間の世代が

殺されてしまった。

『間の世代』とは現役。当代と妃。

ある程度成長した子供達も同時に。

辛うじて祖父と幼子だけが逃れたと。


 









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