罪人の王

故水小辰

第一話

 墨島ぼくとうは、玄武げんぶ国のえつ王朝が定めた流刑地という空間でありながら、長らく一人の男によって支配されている。その支配者たる藏真ぞうしんは、騒ぎが起きた夜も面倒事は御免だと言わんばかりに平たい岩に獣皮を敷いた床に大柄な身体を投げ出した。

「馬鹿な若造はいつの時代にもいる。適当にあしらって転がしておけ」

 藏真はぶっきらぼうに告げると、居並ぶ手下にごろりと背を向けた。手下たち——皆絵に描いたような荒くれ者だ——はすぐに威勢の良い返事をし、程なくして人の気配が岩屋から消える。

 この島で生き延びる方法は二つある。ひとつは誰もが立ち入らない西側の森に住み着いて世捨て人同然の暮らしを送ること、もうひとつは藏真に従属を誓うことだった。しかし流刑になるような輩が集う島のこと、森で粛々と暮らす者ははっきり言って変人だ。ほとんどは藏真に従属を誓い、彼に逆らわないという掟のもとで生活している。時折掟を破って騒ぎを起こす者もあるが、決まって藏真の腹心によって人型の肉塊にされるのがおちだ。彼らは皆、凶悪さによって全てを封じ込めてきた手合いだった――とはいえそれを束ねる藏真もまた、山賊の王のような外見にたがわぬ凶悪な手合いだったのだ。

 藏真は目を閉じて深く息を吐いた。眠りに落ちるこの瞬間こそが最も空虚で無意味だと思うようになったのはいつからだろうか。伸び放題の髭と髪を巻き込まないように寝返りを打ち、虚空と懇ろになる準備をしていた藏真だったが、ふいに手下の断末魔が聞こえて両目を見開いた。

 耳を澄ませば、争いの音は思ったより近くから響いていた——怒号が反響しているということは、今夜の馬鹿は荒くれ者を一人は倒し、岩屋の入り口を突破して中に入ってきたということだ。骨のある奴もいたものだと口の中で呟くと、今度は晴天に突き抜けるような澄んだ声が岩屋じゅうに響き渡った。

「通せ! 藏真に会わせろ!」

 まだ若い、垢抜けない声だったが、誰よりも朗々と響いているあたり武功の心得があるらしい。しかし、その根性とは裏腹に暴力に染まりきれず恐怖を押し殺しているようなきらいもある。殴打の音、怒声に罵声、それらが一緒くたになって藏真の床に迫り来る中、藏真は今や何年ぶりかの興奮さえ覚えて彼らがなだれ込んで来るのを待っていた。ここまでして彼に会いたがっているとは一体どんな傑物か——完全に起き上がって獣皮にあぐらをかいている藏真の目の前で扉が吹き飛び、放り込まれた血塗れの肉塊を追うように小柄な影が地面に落ちる。血の混じった唾を吐き、咳き込みながら立ち上がったのは、背丈のわりに痩身の年若い青年だった。

 藏真ははっと目を見開いた。青年の方も思うところがあるのか、何か言おうと口を開けたまま声を出せずにいる。青年は逡巡の末に息を吸い、いよいよ言葉を発そうとした——

 そのとき、彼を追って手下たちが押し寄せてきた。青年はすぐに彼らに注意を戻し、片足を引いて構えを取ったが、力頼みの悪漢どもの前では狼に囲まれた子兎のように非力で頼りない。

老大親分、やっちまいますか」

 手下の一人が藏真を窺う。藏真が重々しく頷くと、彼らは一斉に青年に襲いかかった。

 青年は歯を食い縛り、ぐっと姿勢を低くして暴漢たちをいなしていく。多少の疲れは見えるものの、流れるような動きはちゃんとした訓練を受けた者のそれだった。彼の前では我流で棍棒を振り回すしか能のない墨島の悪人たちなど粗暴極まりない。

 だが——藏真は無言のまま立ち上がり、もつれ合う手下の中にずかずかと歩いていった。赤子の腕でもひねるように片手で巨漢どもを打ち倒すと、藏真は最後に青年の手首を掴んで地面に投げ倒した。

 ウッ、と青年が息を詰まらせる。一方の藏真は青年の襟首を掴んで立たせると、壁際の松明まで引きずっていって無理やりあごを掴んだ。

「放して……っ、放して、ください、」

 息を詰まらせながら青年が訴える。藏真はそれを無視して、その白い顔をあらゆる角度から松明の明かりに照らした。落ち着きの中に純朴さと幼さの残る顔立ちだったが、藏真に忌まわしい過去を呼び起こさせるには十分だ。

「……貴様、墨島に何をしに来た!」

 途端に爆ぜた怒りに任せて青年を地面に放り投げる。それでも青年はよろよろと起き上がり、あろうことか藏真にこう呼びかけたのだ。

「伯父上!」

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