虫の息

小原楸荘

第1話

 その日のことは今でも鮮明に思い出すことができる。あれはちょうど山から暖かな吹き下ろしの風が吹いてくる五月の中頃、原稿を下ろす日であったから水曜日だったろう。私は故郷を離れ、東京の大学で教授の助手をしながら、物書きの真似事なんかもやっていた。この教授とは私が大学生の時に大変お世話になった朝山先生で、私が金の融通に困って国に帰ると言ったときに、助手として雇ってくれた恩人だった。


 だがこの日はどうだろう、先生が学会で発表するための論文資料と、自分の拙い哲学評論とを取り違えて大学に持ってきてしまった。前日に先生から「ぜひ君にも目を通してほしい」と言われて、じっくり読みます、と家に持って帰ったのが悪かった。その上、汚れてはいけないからと馴染みの茶封筒に入れたのも悪かったし、朝早く起きられなかったのも悪かった。しかしなにはともあれ、このとき私は教授が電車に乗ってしまう十四時二十一分迄に駅に原稿を持っていく必要があった。私はサビのひどい自転車で懸命に家まで戻った。その必死さと言ったらかのメロスも一目置くような程だったろう。舗装されたアスファルトの道を私は無我夢中で漕いだ。大学から家までは電車が二十七分と自転車で二十分。家から教授のいる駅までは、自転車が二十分と、電車が十二分。定期の値段をケチって、十分で行ける最寄り駅を選ばなかった自分を何度も恨みながら、危うく間に合う、必ず間に合う、そう頭で何度も演算して自転車を走らせた。坂道を降りると、もう長屋が見えてくる。木造二階建ての古い造りの長屋、男の一人暮らしには十分だった。

 さてこの長屋へ入るには今いる高校のある大きな通りから右に曲がる必要があるが、この道、曲がると言うよりはもはやUターンするに近い。つまり、坂道を降りきって曲がると、確実に自分の長屋を通り過ぎる羽目になる。と、まあこういうわけだが、やはり皆思うことは同じなのか、じつは長屋のある道まで密かに通り抜けられる道がある。その道はちょうど用水路沿いに作ってあって、用水路側の金網の柵と住宅側の石塀に挟まれていて薄暗く、その上自転車のハンドルがやっとのことで通れるぐらいの細道なのに、こんもりと茂った蔓植物のつたが進路を阻み、気持ちばかり舗装されているせいで割れた白いコンクリがところどころ盛り上がっているという有り様の道で、一度通ったときにハンドルを塀に引っ掛けて転けそうになってからは、もう二度と通らないと決めていた。

 だがよく考えるとあのときは夏も盛りだった。あんまり大きな蔓植物が道を塞いでいたのでそれに引っかかりそうになって失敗した。だとすれば、今ならきっと通れる。そう、あの道を通れば二十秒は節約になる。なにたかが二十秒だって、ホームに降りた途端に電車が出ていってしまうのを経験したことのある人間は二十秒を馬鹿にしないさ。そう演算をして私はハンドルを切った。道の入口は急な坂道になっていて、ここで意図せず加速してしまうのも失敗の原因の一つだ。ガタンとタイヤが跳ねる、よし、無事に坂道をこえた。あとはこの速さを維持しながら、少しくねった道を針先を操るようにして進んでいくだけだ。人間のいざというときの集中力は凄まじい。おそらくこのときの私なら、四桁の掛け算も数秒で答えを弾き出せただろう。さあ道の終りが見えてくると、黒いアスファルトと白いコンクリの接続部分がまた嫌に盛り上がっている。だがこれは大した問題でもない、私はペダルを踏みこもうと立ち上がった。しかし、ここで出口のあたりになにか葉っぱのようなものが落ちているのに気づいた。これは何のいたずらか、今の状況にぴったりだ。私は落ち葉を踏む音が好きだった。あの乾いた高い音を聞くと爽やかな気持ちになるし、それはいつの日か自分をこの道で悩ませた蔓植物の葉っぱと見えた。ああ、この葉っぱは、過去への精算と、困難を乗り越えた自分への祝福なのか。そう考えをめぐらせながら私は勢いよくペダルを踏み込んだ。だが近くによって既のところで気がついた。なんということか、その葉っぱと思われたものは密かに羽ばたくように動いていたのだ。そう、それは葉でなくて、大きな緑色の蛾であった。だが気づいた頃にはもう遅かった、たとえ必死にブレーキを掛けたとしても間に合わない。そう分かってはいたが、いつの間に私の耳は金切り声のようなゴムの擦れる音を捉えていた。タイヤ越しに、虫の腹の皮からぶつりと何かが飛び出す感覚が伝わった気がして気味が悪かった。だがその虫に見むきもせず、私はすぐに我に返ると、急いでまた自転車のペダルを漕ぎはじめた。生ぬるかったはずの風が妙に冷たく感じて、身震いさえしたような気もするが、そんなこともお構いなしに、私は駆け込むように長屋へ入った。今語ると、この虫についてこんなに鮮明に語ろうとしてしまうが、当時ははじめ言ったとおり、私は教授の論文のために必死で、その小道を出た頃にはすっかり虫のことなど忘れていた。ああ、論文かね。もちろん無事に教授のもとまで届けたさ。確か題名は『近代日本文学作家Tに見る、中国哲学の影響』だったかな。このときの文学学会は作家論が主流でね。でも私は一流の小説とは、作家なんて関係ないもんだと思うがね。まあそれでも先生の論文は前日に夜なべして読んだんだ。少し目を通してくれって、彼の論文は十万字以上あったんだよ。難しい話だと思わないかね。この一連の事件も、先生のせいといえば、先生のせいなのかもしれないよ。


 さあ、私が轢き潰した虫だがね、論文を渡したあと、大学でいくつか資料を整理して家に帰ったんだが、ふと気になってあの小道に入ったんだ。あの虫はどうなったろうと思ってね。すこし肩身の狭い思いをしながら自転車を押していると、道は真っ暗だが、出口の所には申し訳程度の安電球が光っていて、その下に私が昼間轢き潰したであろう虫がベッタリとくっついていた。大きな羽を持つ薄い緑色の虫だった。気になって次の日に大学で調べると、それがオオミズアオという蛾だということが分かった。そのオオミズアオの生きているときの美しさときたら……。私は九州の田舎の村の出身だったが、見たことがなかった。ぜひ生きた姿も見たいものだと、そんな気持ちを抱えていた。だがなに、君たちに例えれば、明日の晩飯は魚でなく肉が出たら良いなあ、この時はそれぐらいの思い入れだった。この時私にはもっと大切なものがあったんでね、昆虫採集旅行に出る場合ではなかったんだよ。

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