失くした君に、出逢うとき

第一話


 芸能界は水物だ。人気のある俳優やタレントが、何かの拍子に人気を急落させることはざらにある。

そんな世界で、佐野恭也はアイドルという仕事を三年経験してきた。

 もともと注目を浴びることは好きじゃない。恭也の素を知っている数少ない人間が聞けば、あの恭也がアイドルなんて、と失笑か爆笑されるほど意外な仕事をしている自覚もある。

(でも、嫌いでもない)

 ファンからは黒王子と呼ばれることの多い恭也だが、それは単に髪色にちなんだ愛称で、特にクールキャラや俺様キャラで売り出したわけではない。

 だから今日も今日とて、観客席に向かって惜しみのない笑顔を振りまく。

 最初はぎこちなかったファンサービスも、だんだんと慣れてきた。

「恭也ー!」

 照明が熱い。歓声に震える。何度か経験したことだけれど、いまだにこの熱気には圧倒されることが多い。

春樹はるきー!」

 今日は、恭也がユニットを組んでいる二人組アイドル――RAINレインのコンサートだった。

 相方の岡田春樹は、ファンから白王子と呼ばれる優しいお兄さん系イケメンである。

 恭也も春樹も、訳あってこの業界に足を踏み入れた人間だが、今やそれなりに人気を誇るグループにまで成長していた。

 おかげでコンサート最終日オーラスである今日、販売したチケットは全て売れたと聞いている。

「いやー、そろそろ終わりの時間がやってきちゃったねぇ。楽しい時間はあっという間ってことかな」

 パーマがかかった亜麻色の髪を掻き上げて、色気たっぷりに春樹が微笑む。

「何言ってんの、春樹。まだ終わってないよ。ほら、ファンのみんなも勝手に終わらせるなって言ってる」

 確認するように視線を観客席に向けた恭也に、集まったファンが言葉だけでなくペンライトを振って返事をした。

「はは、確かに恭也の言うとおりみたいだね」

「じゃあ次の曲で、『君と僕の始まり』」

 歓喜の声が響き渡る。曲が始まった。カラフルな照明が踊るように会場を巡る中、最後の一曲を熱唱する。別れが寂しいものにならないよう、次への期待を感じてもらえるよう、最後にはミディアムテンポのグループ代表曲を選んでいた。

 それが終わると、本当の終演を知らせるようにエンディングテーマが流れ出す。

「みんなー! 今日は本当に来てくれてありがとう! みんなに会えて嬉しかったよ」

「また会える日を楽しみにしてるから、これからも応援よろしくお願いします!」

 会場中から二人を惜しむ声が上がる。このときが、恭也にとっては一番緊張から解放され、しっかりと観客席を見回せる時間だった。

 舞台袖に捌けるまで、ファンに向かって手を振る。

 そうして今日も、熱と、高揚と、そして空虚な何かを残して、RAINのコンサートは幕を閉じた。


 全国ツアーを乗り切った恭也と春樹は、本来なら即帰宅しているところを、今日は所属する芸能事務所に寄り道していた。

 なんでも春樹が出演しているドラマに関する用事が残っているとかで、恭也がそれに付き合った結果である。そこまで長い用事ではないらしく、マネージャーに別々に送ってもらうのも気が引けたため、一緒に事務所に戻ってきたというわけだ。

 けれど、「二人とも呼ぶまでここで待ってて」と言われて押し込められた一室で、もうかれこれ三十分以上は待っていた。疲労が限界に達した恭也は、諦めて二人掛けのソファに寝転がる。足がソファに収まりきっていないが、そんなことはどうでもいいくらい疲れていた。

「ごめんね、恭也。俺のせいで。眠い?」

「んー、おまえのせいじゃないから別にいい。でも刈り上げは触んな」

「だって暇なんだもん」

「だからって人のツーブロで遊ぶな」

 鬱陶しくなって春樹の手を叩き落とすと、諦めた春樹がため息と共に立ち上がった。

「仕方ない。ちょっと様子見てこようかな」

「行くのか?」

「うん。恭也は寝てていいよ。そもそも俺の用事に付き合わせてるだけだし。それに……寝れてないんでしょ?」

 瞼は閉じていたが、見なくても春樹の眉尻が心配そうに垂れ下がったのがわかる。恭也はあえて何も返さなかった。

 けれど勘のいい春樹は、それだけでこちらの状態を把握したらしい。

「終わったら起こすよ」

 それだけ言って、部屋を出て行く。

 一人になった部屋でため息をついた。

(気を遣わせるほど酷い顔してんのか、俺)

 春樹には、最近見るようになった悪夢のことは話している。というより、強制的に打ち明けさせられた。そのときも酷い顔色だったらしく、心配した春樹が話すまで許してくれなかったのだ。

(枕を変えてもだめ。睡眠薬も効かない。そもそも細かい内容を覚えてないのに、同じ夢ってなんでわかるんだ? おかしいだろ)

 自分でそう思うのに、どうしてか違う夢だとは思えなかった。起きたときに、いつも同じ恐怖心が胸の底に凝っているからだろうか。

(まあ、さすがに仮眠程度では見ないだろうし、今のうちに寝ておくか)

 目を閉じる。すぐに眠れる自信はあった。春樹が起こしてくれると言ったから、ここで寝過ごす心配もない。

 とにかく今は、五分でも十分でもいいから、気絶したように眠りたかった。



 ――オマ……ヲ、……レニ……コセェ。

 知らない。

 ――……ヲ、……レニ……!

 聞こえない。

 聞きたくない。

 また始まった、と夢の中の自分が思う。

 いったい誰なんだ。毎日毎日しつこい。それにうるさい。いい加減にしてくれと怒鳴った。いや、怒鳴ったつもりだった。

 けれどそれが音になることはなく、ずっと気味の悪い声だけが響いている。

 ――オマエノ……クヲ、ヨコセェ!

 誰がおまえなんかに渡すか。

 何を欲しがっているのか知らないのに、恭也は反射的にそう思った。

(ふざけんな)

 早く目を覚ませと、夢の中の自分が強く念じる。

 この悪夢から脱するために、早く目を覚ませと。

(起きろ。起きろ。起きろ、俺――!)



 ばちっと目を覚ますと、明るい蛍光灯の光が目に染みた。けれど〝光〟があることに無意識にほっとする。

 何度か浅い呼吸を繰り返して、ようやく夢から抜け出せたことを実感した。

(最悪だ……仮眠でも見るのかよ)

 両手で顔を覆う。ぶるりと身体が震えて、背中が冷えていることに気づいた。額にも汗が滲んでいる。コンサートのときに掻いた汗でないことはすぐにわかった。

 恭也は思いきり頭を掻くと、ソファから立ち上がる。

 勝手に震える自分の指先が腹立たしくて、スマホだけ持って部屋を出た。春樹はまだ戻ってきていないようだったから、気分転換も兼ねて飲み物でも買ってこようと思い立ったのだ。

 恭也たちの所属する事務所は、大手ではあるが、事務所の建物自体はそこまで広くはない。自動販売機コーナーも二箇所しかなく、恭也は一番近いところへ向かっていた。

 事務所内にはたまに関係者でない人間もいるけれど、夜も馴染みだした今の時間帯にいるのは稀だろう。

 そう判断して、悪夢を見たばかりできっと見るに堪えない顔色を特に直すことなく廊下を進んでいく。

 その判断を後悔したのは、曲がり角で盛大に人とぶつかったときだ。

「っ、すみません。大丈夫ですか?」

 寝不足のせいで自分の足取りがふらついていた自覚があったので、すぐに相手に謝った。

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。ちょっとよそ見、を……、――!?」

 ぶつかった相手は女性だった。いや、黒のチュールスカートに白のブラウスと上着という組み合わせで大人っぽく見えるが、顔立ちをよく見れば自分と同じくらいの年齢かもしれない。なので、女性というより女子と言うほうがしっくりくる。

 まっすぐと伸びた艶やかな黒髪に、澄んだ黒の瞳。雪のように白い要素なんてどこにもないのに、なぜか誰も足を踏み入れていない雪原のような純白さを感じた。

 同時に、なんとも言えない懐かしい感覚に陥る。

しかしそのとき、相手が首からぶら下げているものが視界に入った。それはこの事務所の入館証で、『GUESTゲスト』と書いてある。

 つまり彼女は、事務所の関係者ではない。

 その事実に気づいたとき、恭也は内心で慌てた。関係者の中にも厄介な人間はいるけれど、関係者でない――芸能人に慣れていない人間は、時と場所なんてお構いなしにズカズカとこちら側に踏み込んでくる輩が多いからだ。

 今の恭也はとにかく疲れていて、そんなときに踏み込まれたら、〝王子様〟の仮面を保つ自信なんてなかった。

「あー、えっと、怪我とかしてないですか?」

 SNSに余計なことを書かれないよう、当たり障りない対応をする。

 あとは隙を見て逃げようと決めたとき。

「ちょっと、失礼しますね」

「え?」

 相手の手がこちらの顔目がけて伸びてくる。咄嗟に反応はできなかった。

 手は恭也の耳横で止まり、何をしようとしているのか死角で見えない。

 ただ、耳元で「ぎゃっ」という声が聞こえたような気がして、心臓が飛び跳ねた。仰天して相手を見やると、相手はなぜか厳しい表情で眉根を寄せている。

(なんだ? 何が起こった?)

 混乱する恭也の視線に気づいた彼女が、困ったように微笑んだ。

「いきなり失礼しました。肩にゴミがついていたので。それより、あなたのほうに怪我はありませんか?」

「……いや、ない、けど」

 何を馬鹿正直に答えているんだ、と素の自分が脳内で突っ込む。

「それなら良かったです。えっと、本当に、すみませんでした」

 相手の頭がだんだん下がっていく。気まずそうに、あるいは辛そうに視線を逸らされ、その反応を不思議に思う。

「じゃあ、私はこれで……」

「待った」

 咄嗟に彼女を引き止めてしまったのは、謎の悲鳴が気になったからだ。他に理由はない。ないはずなのに、こんな言い訳めいたことを思う自分の心も不思議で仕方がなかった。

「今の、なに」

「今の、ですか?」

「ぎゃって、悲鳴みたいなもの。聞こえたよな?」

 よくわからない焦燥感に突き動かされて、言葉に気を遣う余裕もない。

(なんだ。なんで、こんなに焦ってる?)

 それは恐怖にも似ていて、怒りにも似ていた。

(初対面の女子だよな? なのに、なんで)

 何度見ても彼女の顔に見覚えはない。

 なのになぜ、これほど心を掻き乱されるのか。

「いえ、私は何も聞こえませんでしたよ? 気のせいではないでしょうか」

 そう言った彼女は、完璧な微笑みを浮かべた。

 自分もよく使っているからわかる、完璧な、仮面の笑みを。

「あの、私、用事があるので。これで失礼します」

「あ、おい!」

 恭也の制止も虚しく、彼女は階段を駆け下りていく。寝不足とコンサート後の疲労で身体が限界を迎えていた恭也は、彼女の逃亡を簡単に許してしまった。

 いや、でも、追いかけないのが正解だ。追いかけて、万が一それを誰かに見られて、あることないこと噂されるほうが面倒なはずなのだから。

 そうとわかっているのに、恭也はしばらくの間、その場から動くことができないでいた。


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