【応募用】記憶の中の陰陽師

蓮水 涼

二人のプロローグ


 最近、同じ夢を見る。どこか生々しい、薄気味悪い夢。

 低く重々しい声が何度も恭也きょうやを呼んでいる。何度も何かを叫んできて、その声に応えてはいけないことだけがなんとなく解るだけの夢。

 ああ、ほら。今日も聞こえる。闇から這いずり出てくるような、ねっとりとした不気味な声が。

 ――オマ……ヲ……コセェ!



「――っ」

 反射的に起き上がった恭也は、荒い呼吸を繰り返した。

 背中は冷や汗でびっしょりだ。ふと視界に入った指先は震えていて、誤魔化すように拳を握る。

(クソッ、またか)

 もう何度見ただろう。悪夢だ。内容は朧げなのに、恐怖だけは覚えている。

 いつからか見るようになって、眠るたびに酷さが増していく。おかげで最近は寝不足だ。

 枕元に置いてあるスマホで確認した時刻は、まだ朝の三時だった。

(最悪。完全に目が覚めた。……仕方ない、今日やる曲の復習でもやっとくか)

 長い息を吐き出して、恭也 はベッドから起き上がる。今日の予定を頭の中で思い出しながら洗面所へと向かった。

 鏡の中に映し出された自分は、とても現役高校生、さらに言えば職業がアイドルとは思えないほど酷い顔をしていた。ファンには中性的な王子様フェイスと言われるが、今はどちらかというと社会の荒波に揉まれてやつれている新しいマネージャーの様相に似ている。

(ほんと、なんなんだ……っ)

 さすがの恭也も、このときばかりは誰かに助けを求めたい気分だった。


 *


 一陣の風が吹いて、華弥かやはハッと顔を上げた。長い髪が舞い上がる。まだ冷たさを残す風は身を震わせたけれど、気になったのはそこではない。

 誰かに呼ばれた気がして、夜空こくうを見つめる。

 まだ夜を残す時間帯だが、ふと目が覚めて外に出た。無意識に辿り着いた場所は桜の木の許で、それは華弥が暮らしている神社の御神木である。まだ蕾は固く閉ざされているけれど、もう少しすれば柔らかく花開くだろう。

 空から視線を移した華弥は、今度はその木をぼーっと眺める。桜には、思い出がありすぎた。

「何をやっているんだ、華弥」

 そのとき、背後から聞き慣れた声がして振り返る。視線を下に落とせば、そこには白い猫がいた。

「風邪を引くぞ。中に戻れ」

「うん。でも、もうちょっとだけ」

 猫が堂々と喋っても、華弥は驚かない。彼が本物の猫でないことを知っているからだ。

「まさかまた呼ばれたのか?」

「ううん、違うよ。たぶん」

「たぶん?」

「木花開耶姫様じゃないのは、間違いないと思う」

 たまに御神木を通じて顕現する神の名を伝えれば、猫は表情豊かに渋面を作った。

 他の人間が聞けば本気を疑う会話だが、他の人間に――正しくは常人ただびとに――この会話は聞こえない。華弥が訳のわからないひとり言を言っているようにしか聞こえないだろう。白い猫の姿だって、常人には視えない。

「ねぇ、しき

「なんだ」

「今年も綺麗に咲くよね?」

「当然だろう。あの神が気に入っている木だぞ」

「そうよね」

「それより、気は済んだか? いい加減戻って寝ろ。人間の身体にはまだ寒い夜だ。それに、今日は依頼があるんだろう?」

「あるけど……あるから、眠れないのよ」

「まったく、だったら引き受けなければ良かったものを」

 織がそう言う理由をわかっている華弥は、困ったように眉尻を下げた。

 けれどすぐに微笑みを作って。

「だめよ。だって私は陰陽師。困っているなら、助けたいから」

 そう、陰陽師。常人には視えないものを視て、聞こえない声を聞く華弥は、現代に存続する陰陽師の一人である。

 そして今回の依頼は、そんな華弥にとって特別なものだった。

「それでもほどほどにしておけよ。おまえはもう――強くはないのだから」

「わかってるよ、織」

 再び桜の木を仰ぐ。枝はまるで天を目指すようにピンと伸びていて、その先に誰かと繋がっているような錯覚を覚える。

 いや、繋がっていてほしいと、願っているのかもしれない。

 この時期になるといつも思い出す。

 大切なものを失ってから数年。

 出逢いと別れの季節が、またやってきた。


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