蛇の目峠の道祖神
伊藤ダリ男
第1話 生々(せいせい)
蒸し暑い夏の夜の事だった。
ドンドンドン「ごめんくださいまし」
ドンドンドン「ごめんくださいまし」
どんどんどんと遠くで太鼓の音が、戸を叩く音に呼応するように鳴っていた。
ドンドンドン・・・・
ドンドンドン「ごめんくださいまし」
「どなたじゃ?もう店じまいしたのだが・・」
「後生でございます。弟が、弟が、死にそうなのです」
薬種問屋“佐野屋”主人、佐野市兵衛が店のくぐり戸を開けると齢十五、六の若い娘が足を血だらけにして立っていた。
「今日は、七森宿(ななつもり)の盆踊りというので店を早めに閉め、番頭さんや手代、丁稚それに下男、下女まで遊びに出かけて、女房と二人しかいないが、お前さんただならぬ事情がお有りのようだ。まあ、お入りなされ」
「あなた、どうなされたのですか?」
市兵衛の女房が心配そうに聞いて来た。
「このお娘さんが、なにやら大変そうなので、家に入って貰った。お湯をぬるくして、足を洗って上げなさい。」
「では、今持ってきます。まあ、お怪我なさっていますね。どうぞお入りなさい」
「すみません。おかみさん」
「それからお前さん、ご飯はまだかい?」
「とんでもありません。見ず知らずのわたしにこんなことされても何も返すことはできません」
「なあに、今日はお祭だから馳走を作ったのが、まだ沢山残っているし気にすることは無い」
「すみません」
佐野屋のご主人とおかみさんのやさしさに涙したのは、のまず食わずで、一日中走って来たからでもあった。
「ところで先ほど、弟さんが死にそうだと言いましたね。どういうことか聞いても良いかな?」
「はい。私は飯田村百姓、留吉の娘、ミネと申します。今朝早くの事ですが、九つになる弟が小枝集めをしていたところ、何やら小さな変わった生き物を見つけたらしいのです。それを私に見せるために捕まえたのですが、その時にその生き物に咬まれたようなのです」
「その変わった生き物とは、・・・オミネちゃんは、見たのかい?」
「いいえ、弟が言うには、白くて丸くて手にすっぽり入るくらいの大きさの生き物で、胡麻のような目が二つ、撫でようとすると、いきなり噛まれ、その後、煙のように消えたと話していました」
「なるほど・・で、その後弟さんはどうなされたのかな?」
「わたしの見ている前で、急に具合が悪くなり、身体中が激しい痛みと熱も高いので、直ぐに父(おとう)を探して話をすると、この村に纏わるその生き物の伝説を聞かされ、その足で長老に相談したら、一刻も早く薬を飲ませなければ、三日と命は無いかも知れない、その薬は、七森宿の薬種問屋、佐野屋さんにあるかも知れないと聞き、急いでここまで来たのです。御代は、村人が私にと・・・全部で一両二分三朱ございます。これで足りなければ、お貸し下さい。一生働いてでも支払います」
「飯田村とは、山を二つ越えなければならない随分遠いところ。今からどんなに速駆け(はやがけ)で村に戻ったとしても明日の朝までには着かないであろう。まあ、お前さんの事情は、分かった。薬もある」
「本当ですか?」
「安心しなさい。ところで、飯田村と言えば、長三郎さんと言う私よりかなり若いお人がいるはずですが、息災にお暮しになっておりますかな?」
「長三郎は、私の本当の父(おとう)です、亡くなりました」
「えっ、で、どうしてでまた?」
「八年前の事ですが、村は(不作続きで年貢米を納められずとうとう逃げてしまった)“つぶれ”を二軒出してしまいました。それで、当時百姓代だった父がその責めを負い代官所へ捕らわれ、三日後に戻りましたが身体中に傷を受け、それが元で間もなく死に、その後、母(おかあ)も後を追うように息絶えました。普段から父や母は、百姓のために尽くしてきたと聞きます。それで残された幼い弟と七歳のわたしを留吉さんが今まで育ててくれたのです」
「そうですかい。それは残念だ。長三郎さんはとても良い人だった。あなたもご苦労なさったね」
「どうして、父の事をご存知なのですか?」
「オミネちゃん、これも何かの縁だ。私は若い頃、蘭学を学んだ先生と様々なところへ行きましてね。薬になる材料を探しにですが・・・。飯田村にもね。そこで私は橋から川へ落ちて大怪我をしてしまい、動けないところを長三郎さんに助けてもらい、暫くご厄介になったと言うわけです」
「父からも、そんな話を聞いたことが有ります」
「その時ちょうど同行した蘭学の先生は、その変わった生き物を捕まえ、“珍しい”と百姓たちに見せると、その当時の長老からその生き物の話を聞くように言われ、古くからの謂れ(いわれ)があることを知ったのです。神様とのご関係があるかも知れないが、昔の話しに寄れば、咬まれた後、何人もの村人が死んだそうですよ。結局、薬を作るためには、その生き物を殺しても良いと承諾してくれて、その毒を抽出して作った薬がここにあるのです」
「では、当時から今に至るまで、薬の事は受け継がれていたのですね」
「言い伝えによれば、その生き物は、三十三年ごとに村人の前に姿を現し、誰かひとりを咬んでは消えてしまう。咬まれたのは、女だったり、子供だったり、お年寄りだったり。咬まれると間もなく激しい痛みと高熱が出て、うわごとを言うようになり、やがて毒が全身に回り、生死の間を行き来する。毒に負けると三~四日後に死ぬが、毒にうち勝ち生き返った人は、神様に遭って教えを頂いたとか、死んだ親に遭って話をしてきたとか・・・。その後。立派になって人のための尽くす人間になる、そんな言い伝えだった」
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