第9話
「テオじゃなくて、テオドール様! よかった、人間の姿に戻られたんですねぇ!」
応接間に入ってきたベンジャミンは、テオドールの姿を見ると涙を流して天井を仰いでいた。大袈裟とも思えるリアクションに、一緒に入ってきた神官が目を見開いて固まっている。
「ああ、これでやっと代わりの仕事から解放される。ありがとう、レベッカちゃん」
ベンジャミンが近づいてこようとすると、二人の間にテオドールが割り込んでくる。
「久しぶりですね、ベンジャミン。僕が獣化している間、代わりに仕事をしていただいてありがとうございます。――ですが、たったこれだけで弱音を吐くなんて、普段はどれだけ怠けているのでしょうか。心苦しいですが、これから仕事の量をもう少し増やしたほうがいいかもしれませんね?」
「いやいやいやいや、テオドール様。俺だって普段からあなたの補佐官として真面目に仕事していますよ? というかその笑顔マジで怖い」
師匠の笑顔っていつも怖いんですよ、と救いを求めるように見られるが、レベッカにはどうしようもなかった。
振り返ったテオドールが、レベッカの手を取って座るように催促する。
レベッカの横にテオドールが腰かけると、前に座ったベンジャミンが口を開く。
「いやあ、それにしてもよかったですね。師匠もようやく
「はい。あなたのおかげで大事にならなくて済みました。狼の姿になってしまうと魔法が使えませんので、自力で元に戻ることができませんから」
獣化してしまったらたとえ魔法が使えたとしても、人間に戻るどころかさらに状態が悪化するんじゃないだろうか?
その疑問は、すぐに呆れ顔のベンジャミンによって解決した。
「いや、師匠……魔法を使ったらやばいんですって」
「そうなんですか?」
「だって魔法を使うのにはマナが必要ですよね? 俺たち魔法使いはマナの影響で獣化するんですから、獣化して魔法を使ったらもう一生人間には戻れなくなりますよ?」
「……それは困りますね。魔法が使えないと、生活できませんから」
「そーゆう問題?」
「だけどその点はもう解決していますよ。なんていったって、やっと僕の
レベッカを置いて、二人は仲良さげに会話を続けている。話を聞くところによると、ベンジャミンはテオドールの弟子らしい。
それにしても、テオドールの最愛は、いつ見つかったのだろうか。
ここ一カ月ほど、離宮で暮らす聖女たちの間を飛び交っている噂があることを思い出す。
『大魔法使いのテオドール様が、最愛を探されているそうですよ』
聖女たちにとって、階級の高い魔法使い――主に、王宮魔法使いや国を守る大魔法使いの最愛になることは、これからの人生が幸せであると約束されるようなもの。
自分の神聖力に自信がある聖女ほど、そのような人生に憧れる。レベッカのように神聖力が少ない聖女は、そんなこと望むべくもないけれど。
魔法使いの最愛に選ばれないと、そのまま神殿で一生を過ごすことになる。
多分レベッカもそうなるだろう。自分なんて魔法使いの最愛になんてなれるわけがないし。だからテオドールの話は自分に関係ないことだと、レベッカは悲しくもそう思っていた。
そんなレベッカの手を徐に包む温もりがあった。
顔を上げると、レベッカの手を両手で包むようにして握っていたテオドールと目が合う。
彼は優しそうに微笑んだ。
「レベッカさん。よろしければ、正式に僕の
「――へえ?」
一瞬の間の後、レベッカは惚けた声を上げてしまう。
事態がうまく飲み込めない。
レベッカが最愛? なにかの間違いじゃないのだろうか。
レベッカの神聖力はこれまでの聖女のなかでも特に少ない。神殿に入ったばかりの頃は世代最高の神聖力があったけれど、その力はもう失われてしまったのだ。
神聖力の少ない平民聖女の末路なんて、神殿で一生を過ごして終わるだけ。そう思っていたのに――。
「なぜ、私なのですか?」
「魔法使いの魔力と神聖力は惹かれあうのをご存知ですか?」
「……はい。お互いに相性があって、相性のない人同士だと回復しないんですよね?」
「その通りです。特に魔法使いはそれに敏感で、触れるだけで相手が自分の運命の相手――【最愛】かどうかがわかると言われています」
魔法使いの魔力と聖女の神聖力は、互いに相性がある。
相性のない人同士だとマナの浄化はできず、相性の合う人同士だとマナを浄化することができる。
だからいくら神聖力が多い聖女でも、相性のある人が現れるまではずっと神殿で暮らさなければいけない。
最愛の存在は唯一といわれていて、過去には神聖力が多いにも関わらず、一生を神殿で過ごした聖女もいたらしい。実際は神聖力が多い聖女のほとんどは魔法使いの最愛になっているので、おとぎ話のような話だけれど。
だけどこれだけは知っている。
魔法使いの魔力の多さと、聖女の神聖力の多さは比例する。
魔法使いの魔力が多ければ、聖女の神聖力も多くなくては辻褄が合わないのだ。
だから、テオドールはきっとなにかを勘違いしている。
「私が、テオ様の最愛なわけがありません。私の神聖力はとても少ないのですから」
テオドールの手から逃れようとするが、彼の手は動かなかった。レベッカの手を両手で包むように掴んでいる。
「それなのですが、ひとつ気になっていることがあります。ベンジャミン、用意はできていますか?」
「はい、もちろんです。じゃあ、神官様、アレ、お願いします」
椅子に座ることなく立ったままこちらの様子を窺っていた神官が、レベッカの近くに来る。テオドールの手の温もりが離れて行く。
「では、始めさせていただきます」
レベッカの前にやってきた神官には見覚えがあった。ベンジャミンと応接間で会うときはいつもいる神官で、神聖力を失ったレベッカに変わらず接してくれる、数少ない人だった。
神官は手に水晶のようなものを持っている。これは神聖力をはかるためのもので、とても貴重な【
触れた人間の神聖力をはかることのできる【
五歳の頃に触れた時は、部屋の中に溢れんばかりの光を放っていた。それも数週間後には仄かに光る程度に収まってしまったのだけれど、あの時の光景を懐かしく思い出す。
「それでは触れてください」
神官の言葉に手を出す。その手が微かに震えていた。
「大丈夫ですよ」
隣に座るテオドールの暖かい声に、手の震えが少し和らぐ。
レベッカは唾を飲み込むと水晶に触れた。思わずギュッと目を瞑ってしまう。
「おお、これは」
「すごいねぇ」
神官とベンジャミンの感嘆する声の後、テオドールの暖かな声が聞こえてくる。
「レベッカさん、目を開けてください」
恐るおそる目を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
部屋の中を輝かせるほどの光を、【
「こうして感じると、よくわかりますね。レベッカさん。やはりあなたが僕の最愛ですよ」
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