第7話
マクレイ公爵家の次男としてこの世に生を受けたテオドールは、幼い頃からマナに対して適応力が高く、誰に学んだでもないのに魔法が使える、まさに神童だった。
すぐさまそれを見出した両親によって、五歳の頃に魔塔に預けられることになり、そこですくすくと育ったテオドールは若干十二歳にしてその才能を開花させた。
魔塔は魔法を学び研究する機関であり、そこに所属する魔法使いの多くは天才と呼ばれている。テオドールはその中でも抜き出ていて、マナに対する適応力が高いおかげか、マナ過敏症に対しても生まれた頃から免疫があった。
だから、油断していたのだろう。
いままで獣化しないようにと、最愛の決まっていない他の魔法使いと同じように、マナ過敏症に抵抗できる薬を飲んだりしていてどうにか防いでいたのに。先月魔法を使いすぎたせいで、獣化してしまったのだ。
十二歳になり魔法使いの称号を得てから約八年、初めての獣化だった。
初めての獣化はものの数分で終わった。すぐそばにいたベンジャミンがマナ過敏症用の薬を飲ませてくれたおかげで、すぐに人間に戻ることができたのだ。
だけど、それも気休め程度だった。今後も獣化を防ぐためには、はやく【最愛】を見つけなければならない。
仕事の合間を縫って何度も何度も神殿に足を運んで、多くの聖女に会ってきた。だけど、それでもまだ【最愛】が見つからない。
先に【最愛】となる聖女を見つけていたベンジャミン曰く、目を合わせたり触れたりすればすぐにわかるという。他の魔法使いも似たようなことを言っていたので、それならすぐに見つけられるだろうと思っていたのだけれど……。
何度も神殿に足を運んでいるのに、どうしていまだに【最愛】が見つからないのだろうか。
テオドールは大いに悩んでいた。なるべく魔法を使わないように生活したくても、大魔法使いとして任務に手を抜くことはできない。大魔法使いになってからまだ数年だけれど、それでも大魔法使いの最大の任務である王国の結界に綻びを作るわけにはいかない。
だからはやく【最愛】を見つけなければいけないのに。
ついに無理がたたったのは、魔法を使った直後に意識を失った時だった。この日もテオドールは王宮で結界の増強作業をしていた。
魔法使いは獣化しても、すぐの場合は人間の意識を保つことができる。
だけど獣化を繰り返せば繰り返すほどその意識は希薄になり、最愛の聖女の神聖力なくして人間に戻ることが難しくなる。
そして獣化して人間の意識を手放してしまうと――そのまま、ただの獣となってしまうのだ。
テオドールは暗い闇のなか、微睡みながらも危機を感じていた。
「テオドール様が、なんかめちゃくちゃ小さくなっちゃったんですけど!」
と叫んだベンジャミンに神殿に連れてこられたのは覚えている。
そのあとすぐに意識を失った。そして再び意識を取り戻すと――知らない場所にいた。
知らない人間に抱かれているのに気づいた。白い装束を着ていることから、聖女だということは分かった。でも顔に見覚えがない。現在王国にいる聖女とは、ほぼ全員と面会したと思っていたのだけれど。
そしてまたすぐに意識を失った。
これは人間としての意識を失うほど獣化したことがある知り合いから聞いた話なのだけれど、人間の意識を失っても獣としての本能で動いていることがあるらしい。
テオドールは獣化している間、人間の意識が浮上したり沈んだりを繰り返したため、実は獣化している間のことはよく覚えていなかった。だけど獣の本能で、動いていたんだと思う。
名前の知らない少女の傍にいることには気づいていた。
茶色い髪に、平凡な見た目な少女だった。名前はわからないけれど、彼女と一緒にいると、温かくて心地よかった。もしかして――。そう考えようとしたのだけれど、獣化が進行してしまっているので、思考をするのも容易ではなかった。
そんな長い間、まどろみの中で過ごしていたテオドールの意識がはっきりし始めたは、ある日の真夜中だ。
目を覚ますと少女に寄り添うようにしてテオドールは眠っていた。泣き腫らした顔をしている彼女のお腹が鳴ったことに気づき、テオドールは自分のエサ――としてベンジャミンが持ってきたビスケットに案内する。
ビスケットは、人間だった時から食事の時に食べているものだ。普通の食事が好きじゃないのでビスケットやクッキーばかり食べていると、それを見かねたベンジャミンから栄養剤のポーションを渡されて、嫌々飲むことになるのだが――それは別の話。
ビスケットを食べた少女は、満足そうな顔をしていた。それに自分も嬉しくなる。
(なぜでしょうね。彼女を見ていると、いままで感じたことのない気持ちが湧いてきます)
もしかしたら人間の意識がはっきりしてくるようになったからかもしれない。
そろそろ人間に戻れるのだろうか?
彼女がどうして泣いているのかは気になるが、獣化している間は人間の言葉を話すことができない。なにか辛いことがあるのなら、聞いてあげたいのに。
もどかしく思いながらも、その日テオドールは、彼女の傍で眠った。
それから数日は、もうすっかり人間の意識を保ったまま、過ごすことができていた。
だから少女の置かれている状況を少しずつ理解することができた。
どうやら彼女は、孤立しているらしい。
獣化したテオドールをただの犬だと思って接しているからか、空が暗くなり夜が深まってくると、ひとり言のように愚痴をこぼしていた。アンリエッタ様が、どうして私はこんなことに。
人に聞かせるための言葉じゃないので要領は得ないものの、彼女が置かれている状況を理解するにつれて、あまり感じたことのない感情に頭の奥が燃えるように熱くなる。
(はやく人間に戻らないといけませんね)
そして、ついにその時はきた。
ある朝目覚めると、体がいつもよりも軽かった。
いつもより目線も高く、少女と目が合うとどこか狼狽えた様子をしている。
その様子に、テオドールは直感的に感じ取っていた。
人間に戻れる。
それが嬉しくって、キャラでもないのに部屋の中をぐるぐる回ってしまった。獣としての本能の所為だろう。仕方がない。
獣化した身体が、徐々に人間の姿を取り戻す――。
獣化してからどれだけ時間が経ったのだろうか。
――やっと、やっと、人間に戻れた!
鏡に映る自分の姿に涙さえこぼれてくる。
久しぶりに目にする自分の姿。めんどくさくて切っていなかった長い銀髪ですらも懐かしい。人間の体最高!
そんなふうに浮かれていたからだろう。
テオドールは気づいていなかった。
魔法使いが獣化するのはその身体だけであることを。
獣化している間は獣の姿だから問題にはならないものの、そのまま人間の姿に戻ったらどうなるのか、それをテオドールは意識していなかったのだ。
いまの自分が、産まれたままの姿だということを――。
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