18:エゴ
「あ、姉貴……?い、今どこにいるんだ?すぐそっちに──」
『……わたしは、どこにもいないよ。あなたも分かってるんでしょう?』
「……ッ」
彼女の声は、先ほどから聞こえていたアシスタントAIの案内ボイスと同じ声だ。つまりはそういうことなのだろう。
「実の娘をこんな小さい箱に押し込めて、四六時中働かせて……。その上で家族写真を飾っているのか。キミのお父上には恐れ入った」
会うのが楽しみだな。いや、ウソだ。できれば会いたくない。ニール氏は間違いなく狂った男だが、会社を育て上げ、世界の中枢にまで登り詰めたその手腕も嘘ではない。底知れない恐ろしさがある。
『貴女がアシスタントAI用プログラムの機能をハックしてくれたおかげで、こうして弟と話すことができた。礼を言わせて。……それで、誰なの?貴女は』
「アランと呼んでくれ。よろしく、イアナさん」
『わたしを知ってるのね。……あ、弟の彼女さん?』
「……ほう!」
確かに、そう見えないこともないか。
クラヴィス君もなかなかイケるツラだし、むしろその立場を名乗った方が好都合な場面もあるかもしれないな。
「姉貴?姉貴、やめてくれ姉貴。ソレを二度と言わないでくれ、頼む姉貴」
『あ、違うの?随分距離が近いから、てっきり……』
「違う絶対違う。違うからな姉貴」
「……まあ、確かにそういう関係ではないが、キミは誠実な男だからね。ボクも少し心を許している」
「アランッ、おまっ……!」
『ふふっ……。仲良いのね?』
ブリッジ端末の中に囚われているイアナさんの表情は見えないが、少なくとも生きてはいる。それだけは言える。
「とにかく。姉貴……。オレはてっきり、10年前の事件で姉貴にはもう会えなくなったと思ってたんだ」
『会え……てるのかな。わたし、今はこんなだし』
「どんな姿だろうと、姉貴はオレのただ一人の家族だ!……オレはMP社の黒い噂を聞きつけて、姉貴が生きてるかもしれないことを知った。信じたくはなかったが、ニールの野郎、実の娘に平気でこんなことしやがるのかよ……!」
『……あんまりお父さんを責めないであげて』
「は……?」
『事情があるのよ。でも、今は説明してる時間がない。ねえ、お母さんを助けてあげて』
そうだった。
彼女の意識が現れた際、はっきりと「お母さんを助けて」そう言っていた。
イアナさんの母、つまりクラヴィス君の母親は、クラヴィス君が生まれる前に死んだ。彼は人口子宮から誕生したので、母親のことを一切知らない。だからボクも彼女の情報はあまり知らないのだが……。
『お母さんは生きている。そしてこの場所で囚われているの。わたしよりも酷い状態で』
「マジかよ……」
『CEO……。わたしたちの父親は、表情ひとつ変えずに家族の命を弄んだのよ。お母さんは……もうお母さんじゃなくなってしまった』
人間性を喪うほどの改造手術、ということだろうか。いずれにせよ、ニール氏からも話を聞く必要がある。
「オレは母親に会ったことがない。なまじこんな身分に生まれちまったせいで、オレは母親が死んだ後に産声を上げたにも関わらず、不自由なく今も生きている」
『お母さんはクラヴィスのことを大切に思っていた。わたしも、幼い頃の記憶は朧げになっているけど……。こんな身体になっても確かに覚えているのよ』
「……母さんのことは助けるさ。だがまずは姉貴を──」
『それは、ムリよ』
「は……?」
『わたしの脳は既にアシスタントAI用の回路と接続されている。置換したわけではないから、わたしの自我のようなものは、まだ存在している。でも……』
彼女は一瞬言葉に詰まった。無機質なモニターの光が、涙のように煌めいた。
『わたしには機密保護プログラムが掛けられている。さっき貴女がしてくれたように、アシスタントAIの機能を一部ハックするくらいなら問題はない。あくまでもそれはこのブリッジ端末へのサイバー攻撃と見做されるから。……もし、わたしの脳に直接物理的な干渉があった場合、わたしは即座に破壊され、存在を抹消される』
「そんなッ……!?」
つまり。彼女の脳を持ち運んで義体に入れる……なんてことはできないのか。これは困るな。彼女を助け出すにはどうすればいい?それに、まだ仔細は不明だが、母親の方も重要な案件だ。
『わたしはずっとここに囚われる……。ただ、CEOはわたしを娘として扱っているの。彼が思う娘の概念は、普通とはだいぶ違うみたいだけどね……』
「おかしいだろ!?こんな箱に脳みそだけ押し込んで、AIの真似事させて娘扱いだと!?あの野郎、どこまで家族を都合の良い存在だと思ってやがるんだ……!」
『彼は、多分、わたしのことを愛してはいると思う。家族として。……ただ、この世界の誰にも理解できないような愛を持っているのよ』
ニール氏は娘を愛している?
まあ、理屈がまったく分からないとは言えない。確かに、脳を保護しAIと繋げば、義体化よりも寿命は格段に伸びるだろう。人の人格は脳のみでは決まらない、とボクは思っているが、彼の場合、いかに身体を弄ばれようとも人間のアイデンティティの揺らぎに支障はないと思っているのか。
『わたしをここから動かすことは不可能なのよ。だからまずはお母さんを、お願い……!』
「母さんは必ず助ける!だが姉貴もだ!絶対に見捨てないからな!」
『お願い、クラヴィス、分かって……!もう打つ手はないのよ、わたしには!』
「ここに来る前、オレは生きてようが死んでようが姉貴を助けると誓ったんだ!何があろうと諦めねぇ!」
クラヴィス君の気迫に思わず圧倒される。
好青年の見た目をした彼だが、内面は10年モノの復讐者だ。その執念は半端ではない。
「あー、クラヴィス君。それにイアナさん。積もる話もあるだろうが、ひとまず母君を助けるのは決定事項だ。知ってることを手短に教えてくれ」
『ごめんなさい。少し、不安で……。お母さんは、Project Sの実験台になったのよ。わたしと違って、脳のほとんどを機械に置き換えられた。感情や、わたしとの思い出を消し去られて……!』
「なるほど……」
では、助けるというのは、つまり──
『お願い、お母さんを楽にしてあげて』
これは、エゴだ。
だが、家族のエゴ抜きで、ボクたちには母君を討たねばならない理由がある。
MP社の重要プロジェクトを潰すことは、違反MODを追うボクらにとって好都合に事を運べる。最後は会社ごと潰すが、それにしたってまずは土台から攻めなければ。
「彼女は……。母さんはどこにいる?」
『この部屋のすぐ横にある極秘研究室。社内でも一部の人間しか知らないプロジェクトよ。お母さんの元へ辿り着くには困難を要するわ』
「イアナさん。キミの権限でどうにか誤魔化せないかい?」
『そのプロジェクトは完全に独立してるの。どうにかして扉を突破する方法を見つけなければ──』
ガコン、と音がした。
何かの仕掛けが作動したような音だ。
申し訳程度に本が置かれた本棚が、ズルズルと音を立てて動いている。
「隠し扉……」
『あれがその研究室への扉よ。そして、あそこを通れるのは一人しかいない……』
間違いない。
ボクたちにとっての最重要人物。
MP社CEOにして、姉弟の父親であり、仇。
「……家族が揃うのは、いつぶりかね」
ニール・カガミが、薄笑いを浮かべ立っていた。
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