16:終点

「……着いたか。ったく、いつ見ても悪趣味な街だぜ」


「同感だ。見上げようにも、首の可動域を超えてしまうほどに高く無意味な摩天楼。そして、ニール氏のオフィスはこの街で最も高い場所にある」


サイト2は企業のお膝元である。


人民の統治に直接関わる機関が集うサイト1よりも、経済的には発展している。サイト1が人類の脳だとするなら、ここは心臓だ。


「車も多い。サイト5じゃほとんどトラックだったが、こっちは乗用車が走ってる」


「燃料の無駄遣いだな、ったく……」


「その燃料を取ってくるのはボクらの仕事なんだがねェ」


シングの部品を流用したバイオ燃料精製機はもちろん、シング本体に備え付けられている燃料タンクなども貴重な資源だ。


「昔よりも義体が増えたな。流行ってるのか?」


「義体化は初期費用がかかること以外はメリットが多いからね。定期メンテナンスは必要だが、生身でもそれは変わらないだろう?」


義体なら病気や怪我の心配はいらない。

生身で病院に行くのと、義体に変えてからメンテナンスに時間を割くのと、どっちがいい?


「……姉妹から聞いた話をしっかり覚えているか?」


「ああ。汚れ仕事の詳細は社内の人間にも隠す。ビルに入る時は裏口を使う。向こうから話しかけてくる相手は基本的に上司、だな」


「よろしい。では、侵入から脱出までの計画を復習だ」


「最上階までの道のりは、とにかくバレず目立たず、臨機応変に。脱出は……オフィスの窓から、でいいんだよな?」


「うむ。ボクに考えがあってね。超高所からの落下に耐える方法ならある。複雑な手順を必要とするものでもないから、その時になったら説明するよ」


「了解。……信じるからな?」


「期待には応えるよ。さて……やろうか、せがれ殿」


「せがれ……?オレは会社を継ぐつもりなど微塵もないぞ。ニールを倒したら即刻潰してやりたいくらいだ」


「ああ。いや、すまない。言ってみたかっただけだ。少しタチの悪い冗談だったな。まあ、キミの覚悟が聞けてよかったよ」


ここは本社の目の前だ。

引き返すなら、今しかない。無論、ボクたちに引き返す道理はない。


「……開けるぞ」


「ああ。ボクが先行する。レディファーストだ」


「冗談はよせ。アンタのようなレディがいてたまるか。つーか中身は男だろ」


「いけないぞ、クラヴィス君。人の心を勝手に決めつけるのは」


「名実共に本当なんだよな、これが」


「……まあ、否定はしないが!」


それはそうだ。


まず嗜好からして。クラヴィス君はそれなりに魅力的な男性ではあるが、ボクはまったく惹かれない。というか恋愛対象に入らない。つまりはそういうこと。


「しかし、今は性別の違いが曖昧な時代だ。年齢すらもな。ボクはまだ見た目と実年齢の差異がそこまでではないが」


大戦時には多くの義体化兵がいた。現在、彼らの大半が脳の老朽化やパーツの不足などでこの世を去ったが、100歳以上の老兵でありながら生きている者もいるそうだ。


「義体を適切にメンテナンスすれば、数百年の命など簡単に手に入れられる。だが永遠じゃない。終わりは必ず訪れる。なぜだか分かるかい?」


「……義、ってヤツが存在しないせいだろう。多分」


「そうさ。ボクは生身から左手を義手に取り替えた。それから全身を換装した。……脳以外はね」


人間の意識がどこに存在するのか、という問いは、おそらく人類が誕生してからずっと考えられてきたことだろう。そして今もなお答えは見つかっていない。


「脳は取り替えられない。仮に取り替えた場合、それが本人であることをどう証明する?」


「どのサイボーグも、脳はそのまま据え置きってことか」


「ああ。大戦前には自我のに関する研究も限りなく正解に近付いていたらしいが、その技術は失われた。……まあ、感覚的にもあまり好ましくはない話だ。自我の所在が明確に判明したところで、脳の置換が行われることはないと思う。技術的問題ではなく、人間の感情が、その禁忌の領域スレスレに踏み込む行為をやすやすと許容できるはずがない」


脳科学の技術を誰かが故意に破棄した可能性だってある。まあ、いずれにせよ、自我の所在が判明したところで脳そのものを義体化する者は少ないだろう。


「正直、ボクは意識が脳だけにあるとは思えないんでね。各部位の神経、そして他者とのつながり全てが合わさって人間を構成していると信じている。つまり、身体を散々取り替えてきたわけだし、今さらだとは思わないかい?」


「他者とのつながり……」


「我々を縛り付けるモノさ。キミが姉のことに執着するように」




「……アンタ、大丈夫か?」


「……え?」


「今、ひどい顔をしてたぞ。……過去に縛られてるのは、アンタだってそうだ。いや。アンタはオレ以上に過去の幻影に囚われてる」


「……」


それくらいしか、生きる意味がなかったモノでね。


生きる意味など、生きる上では必要じゃない。だがあるに越したことはないんだ。少なくともボクの場合は。




「過去に縛られるのは悪いことばかりじゃない。復讐は何も生まないがスッキリする。オレの今の目標は姉貴を救うことだが、少し前まではただアイツらをブン殴れればそれで良かったんだ。空元気とか、虚しいだけとか、そう言うヤツもいるだろうが、オレにとって中身の詰まった人生を歩んできたことは確かだ。……過去に囚われて今は手の届かない夢を追うのも、それなりに面白い。だろ?」


「そうだね。まったく、よしてくれよ。ボクも似たようなことを言ってキミを励ます体でマウント取りたかったんだ」


「そんなことだろうと思ったよ。今回はオレの勝ちだ。……言っておくが、結構本気で心配してんだぞ。アンタ、もっと鏡を見た方がいい」


そんなにひどい顔だったか。

別に、ボクは死に急いでいるわけじゃない。生きて、彼女と出会った時にいろいろな話ができるよう、様々な経験を積みたいんだ。


「鏡を見ると人は迷う。不完全な人間ほど、自己を見つめることは難しい」


「だからアンタにはオレたちがいるんだろ。アンタに鏡の使い方を教えてくれたひとを探す、そうだろ?その間はオレやマレィさんがそばにいる。存外センチメンタルなアンタが道に迷わないようにな」




「……参ったな。キミ、ホントにキミかい?まるで悟りの境地に近づいているようだが」


「さっきアンタに殺されかけたせいかもな。今なら全部許せる気がしてきた」


「ふうむ。ならあの投擲は正解だったか」


「味を占めたような言い方だな。次やったらもう二度と酒を奢らねぇ」


「すまなかったね。キミに対する配慮が欠けていたよ、うん。ボクが悪かった」




さっき入ってきた裏口から伸びる通路は人の気配が全くなく、静けさに包まれたままエレベーターの前まで来れてしまった。


「……じゃ、行くか」


「最上階までは行けないか。これは一般社員用のエレベーターのようだ。とりあえず行けるところまで行って、CEOオフィスへの道を探そう」









社員用エレベーターの終点はラウンジらしき場所だった。優美な調度品があちこちに置かれ、心地良いジャズ・ミュージックがアロマの風に乗って疲れを吹き飛ばしているくれる、そんな空間。


利用者の姿もちらほら見える。マスクの出来が良いおかげでバレてはいない。しかし油断は禁物。この階を探索してCEOのもとへ向かわなければ。




「……少し歩いてきます、姉さん」


「ね、ねーさん……?」


何やってんだクラヴィス君!

合わせろ、まったく!


という心の叫びを口の奥で留め、全力で視線を送る。ようやく察したのか、彼はねーさん、という言葉の意味を理解したようだ。


例の姉妹のふりをしているため、あまり長時間ここに留まるわけにもいかない。


「……姉さんも少し休んではいかがです?人の少ない場所で、たまにはゆるりと。私は、散歩を終えたらここで待ってますから」


「え、あ、ああ、わかっ……分かりました、わ?」


声自体はマスクで変調されているが、雰囲気がどうもぎこちないな。




とりあえず、すぐにボロが出そうなクラヴィス君を人のいない場所の調査に回し、ボクはラウンジで寛ぐ数人のもとへ向かう。余裕があれば聞き込みもしてみるか。


ふむ、ここを利用している社員は主にお偉いさん方のようだ。末端の社員はわざわざエレベーターを用いてここまで休憩しに来る余裕がないのだろうか。




「……これはこれは、ヴァルキュリアくん。ここで見かけるのは珍しいな。君はいつも休みなく働いているが、時には休息も大事だ」


上等なスーツを着た男が話しかけてきた。嫌味ったらしい言い方からするに、ヒルド・ヴァルキュリアの上司か同僚だろう。


「お心遣い痛み入ります」


「なに、部下の様子に気を配るのも上司の仕事のうちだ。とはいえ君の場合はなかなか難しいがな。いつも氷のように冷ややかな顔をしていて、思惑が読めない。私の力不足のせいでもあるが、何かあったら君の方から言ってくると助かる」


「善処いたします」


男ととりとめのない会話をしていると、彼が耳を貸すようにジェスチャーをした。周囲の人目を確認しつつ、自然な動作で距離を詰める。




「……例の件、進捗は?」


何の話だろうか。

ヒルドは黒い仕事も請け負っていた人間だ。それ関連ではあるだろう。とりあえず無難に返事をしておくか。


「今のところは、滞りなく」


「そうか。企業連内における我々の地位を確保するための最重要プランだ。抜かるなよ」


「はい。さらなる進展があれば報告します」


「よし。では私はそろそろ仕事に戻る。君も頑張りたまえよ」


「……貴方も。お疲れの出ませんように」




……ヒルドは何も言っていなかった。

彼女には会社の情報を洗いざらい吐くように言った。だが「例の件」とやらは初耳だ。今回の作戦には関係ないと彼女が判断したのか。もしくは命に替えても守りたい秘密か。


まあ、どうせこの会社は潰す。

その上で問題があるようなら、また対処を考えよう。いずれにせよヒルドからは事情を聞く必要があるな。




男が社員用エレベーターに乗ったのを見届けてから、ふと見回すと、目的のものは簡単に見つかった。


CEOオフィス直通エレベーター。


部屋の中央に鎮座していたソレは、ラウンジの他の部分と同じで非常に装飾が多く、絢爛極まりないがために、気付くのが遅れた。てっきりそういうモニュメントかと思ったのだ。


扉の注意書きには「CEOと幹部以外の使用を禁じる」と言った旨の言葉がある。ボクたちの持つ社員証で通れそうだ。とりあえずクラヴィス君を呼ぼう。


すると、こちらから出向くまでもなく、図体のデカい女がやってきた。もちろんクラヴィス君のことだ。




「……どうでしたか?」


「ええっと……。立ち聞き話では、CEOのやろ……CEOは今オフィスにいらっしゃらないそうですわ」


「……チャンスですね。行きましょう」


周りに聞こえないよう注意してはいるものの、会話の雰囲気は姉妹のそれに近付けておく。まあ、ぶっちゃけ、クラヴィス君のリアクションが面白いのでやってる節がある。




扉に近づくと、社員証が認識されてエレベーターがやってきた。問題なく使えるな。


ラウンジにいるヤツらがこちらを向いていないことを確認し、その隙に素早く乗り込む。


エレベーターには監視カメラの類はなかった。CEOめ、随分と豪胆な肝っ玉を持っているらしい。



「……いよいよだ。まずはキミの姉貴の手掛かりを探す。CEOがオフィスに来たらヤツを捕縛する。準備は?」


「言われなくても、とっくの間に覚悟はできてる」


「よし。では宴を始めよう。肴はもちろん、過去の真実と極上の復讐だ」

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