【完結】流星の料理人
紅樹 樹《アカギイツキ》
第一章【料理人編】
【一皿目】諸星流星《もろぼしりゅうせい》
食べること。
それは、人間であれば、誰でも平等に与えられる営みだ。
しかし、死んで幽霊になると、自由に食べると言う権限を奪われてしまう。
幽霊の料理人は、そんな彼らの食欲を満たす為に生まれた存在なのである。
◇◆◇
「
それは、あまりにも突然のことで、中学生の流星には、何がなんだか訳が分からず、ただ言われるがまま、病院へ向かった。
病院へ辿り着き、案内された部屋へ向っている途中、変な呻き声が耳に届いて、流星は恐怖に身を震わせる。
一歩、また一歩と足を進めていた時、背後に禍々しい気配を感じて、流星は足を止めた。
次の瞬間、全身に痛みを感じて、流星はドサっとその場に倒れ込んだ。
自分の体から、血が溢れ出してくる。
背中を、まるで鋭利な刃物で引き裂かれたような感覚だ。
何故、自分がこんな目に遭っているのか、そんなことを考える余裕は、流星には残っていなかった。
「グォオオオォォ!!」
遠くで聞こえていた咆哮が、近くに聞こえた時だった。
バキバキバキ!
流星の体は、化け物の巨大な手に握りしめられ、四肢が砕かれた。
「うあ゛あ゛っ!」
流星の悲痛な叫び声が、病院内に響き渡る。
助けを求めようにも、苦しくて言葉が発せない。
助けを求めたところで、誰を呼べばいいのだろうか。
自分にはもう、父さんも母さんもいないのに。
自分はこのまま死ぬのだろうか?
そう思った時だった。
鼻腔に、美味そうなカツ丼の香りが掠めた。
目の前には、自分の背丈よりも何倍もある大男が、岡持を下げて立っている。
(なんだ?こいつ…、なんで岡持なんか持ってんだ?)
停止仕掛けた流星の思考が動き、さまざまな疑問が浮かぶ。
中から旨そうな匂いの正体なのだろう、器を取り出して化け物に差し出している。
「これだろ?あんたが今、一番食いてぇ物。カツ丼」
流星は、耳を疑った。
(は?カツ丼?何言ってんだ、このおっさん)
流星がそう思った時、自分を握りしめていた手が緩み、どさりと冷たいコンクリートの床に転がった。
化け物は、す、と男に手を伸ばした。
「危な…っ!」
化け物は、箸を手に取りカツ丼を食べようとしているではないか。
一口噛むと、サクッと揚げたての衣の音と、ふわふわの卵が絡み合い、ほんのりと砂糖の甘さと、肉汁が溢れんばかりに涌き出て来て、化け物はうっとりとした表情を浮かべている。
先程まで自分に向けていた殺意の表情とは、雲泥の差である。
化け物は一口、また一口とカツ丼を口に運ぶ。
化け物までも魅力する程のカツ丼とは、どれほど美味いのだろうと、流星は思わず生唾を飲み込んだ。
(待てよ、カツ丼って、確か父さんと母さんの好物だった気が…)
流星がそんなことを考えている間に、丼が空になっている。
次の瞬間、辺り一面に目映い閃光が広がって、流星は、目を疑った。
光の中から現れたのは、自分の父親と母親だったのだ。
二人は流星に歩み寄り、強く抱きしめた。
「ごめんな、流星…。父さん、事故で死んじまってなぁ…。一人にしてごめんなぁ…」
「最後まで、寂しい思いをさせてごめんなさい…」
両親は大粒の涙を溢しながら、何度も謝罪の言葉をかけた。
「どうか、お前だけは生きてくれ」
そう言い残すと、二人は天へ昇って行った。
身寄りのない俺を一人だけ残して。
暫く放心していると、巨大な男が流星の目の前に腰を下ろした。
ガサゴソと懐をまさぐると、何かを取り出し
「なんだ?これ?」
「今のが見えるってことは、持ってんだろ、力」
「力って、何が?」
全く訳が分からず首を傾げていると、男はそれ以上は何も言わずにすっと立ち上がった。
「今日から俺と一緒に来い。
流星はこの男が何者で、なんで見ず知らずの俺を鍛えようとしているのか、理解に苦しんだが、自分にとって害のない人間なのだと、ついて行ってもいいと思った。
いや、正確には着いていくしかなかった、と言うのが正直なところなのかもしれない。
これから、壮絶な修行が待ち受けているとは知らずに…。
流星が男に着いて行くとようやく、今までの出来事が理解できた。
自分は両親を事故で亡くし、化け物に襲われたところをこの男に拾われ、連れて来られたのだと。
男が言うことを要約すると、自分には幽霊が見えるから、
その男の名前は、
子供ながらに流星は、デカい図体に似合わず妙にメルヘンな名前だと思ったが、本当に天使なのかもしれない。
だって、こんなに綺麗な銀色の髪なんて見たことがないし、こんな見ず知らずの、これからまだまだ手のかかる自分の助けてくれたのだから。
道場には自分以外にも何人かいて、年齢やきっかけも様々だった。
自分のように両親を化け物に殺されて身寄りがなくなった者もいれば、自ら志願して来た者もいた。
毎日地獄の特訓を受けた結果、周りの主業者達は、着実に上達して行ったが、流星だけは、全く技を覚えられないどころか、刀もロクに使いこなせなかった。
見かねた天道は、流星と一緒に浄霊に参加させることにした。
その時だ。
流星が他の料理人達が、全く見えなかった化け物が一番好きな食べ物を、言い当ててみせたのである。
天道の勘は当たった。
流星の本当の能力は、
流星の才能を見込んだ天道は、流星を
◇◆◇
それから一年後。
夜八時を回ったくらいだろうか。
街中を、スーツ姿の女が全力疾走で走っている。
会社帰りにランニングでもしているのだろうか?
「グオォオオオ!」
まるで人間とは思えない呻き声が轟く。
思わず振り返ってしまう。
その時、何かにつまづいて頭から、派手に転倒した。
今だ!と言わんばかりに、巨大な手が女性に襲いかかる。
万事休すか。
女性は覚悟したように、目を瞑る。
その時だった。
ふと、美味しそうな匂いが鼻腔を掠める。
「あんた、大丈夫か?」
恐る恐る目を開けると、そこには真っ暗だと言うのに、目が眩みそうになる程の金色の三つ編の少年と、宝石のような美しい紫の瞳、真っ黒な学ランとエプロンに身を包んだ少年が、岡持ちを持って立ちはだかっていた。
あろうことか、どう見たって自分より年下なのに、女は、その美しい瞳に射抜かれて、思わず恋心を抱いて頬を赤らめると、咄嗟に顔を頬で覆い隠した。
(や、やだっ!私、何考えてんの!こんな年下の子に…っ!)
今にも自分を切り裂かんとしていた化け物の手は、少年の目と鼻の先で止まっている。
少年は岡持ちを開けて中の物を取り出すと、目の前の化け物に差し出す。
「これだろ、あんたが今一番食べたい物」
この米とスパイシーな異国の香り、その食べ物の正体は、そう、カレーである。
それはいいのだが、何故こんな時にカレーなど持っているのだろうか?
女は全く持って意味が分からなかった。
まさか、化け物が食べるとでも言うのだろうか?
刹那、化け物はスプーンを持ち上げてカレーをすくって口に運んだ。
すると、何時間もかけて飴色になるまで炒められた玉ねぎの甘さと、高級肉ではなくどこの家庭でも使われそうな安っぽそうな外国産の豚肉の旨み、こだわりのスパイスではなくこれまたどこにでも売られている、市販のカレーの味が口内に広がるとともに、脳内にもその時食べた思い出が、ひしひしと広がってくる。
味を占めたのだろうか、一口、また一口と口に運ぶ。
あっと言う間に皿が空になった。
その時、目映い閃光が辺りを包み込んだかと思えば、中年のサラリーマンの姿へと変わった。
「なんでわかったんだ?俺が今いちばん食べたい物がカレーだって?しかも、店で食うようなのじゃなくて、家庭で作ったカレーなんて。お前、初対面の筈なんだけど?」
怪訝そうな顔で聞かれて、流星は、笑みを浮かべた。
「見えるんだ。あんたが一番食べたい物が」
サラリーマンの男は一瞬、目を見開いたが、すぐに目を瞑り、そうか…、と呟くと虚空を見つめて語り始めた。
「俺の家はさ、小さな食堂だったんだ。物心着いた時から、親は忙しく働いてた。でも、年に数回だけあるかないかの休みの日には、絶対カレーだったんだぁ…」
少年は目を細めた。
「次、生まれ変わって来る時は、もっといっぱい美味いもん食えよ」
「あぁ…。また、母ちゃんのカレー食いてぇなぁ…」
サラリーマンの男性は、すう、と一筋の光が天に昇っていった。
成仏したのだ。
金髪の少年改め、
彼は、死んだ人間の【今一番食べたい物】を食べさせて成仏させることができる、幽霊の料理人なのである。
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