2週目の真夜中乙女戦争

TK

2周目の真夜中乙女戦争

電車での過ごし方は、千差万別だ。

ボーっとする。スマホをいじる。読書をする。

それぞれが思い思いに、揺られながら時間を潰していく。

僕のオススメの過ごし方は、読書だ。そう主張する理由は2つある。


1つ目が、美しく見えるからだ。

スマホをいじっている姿は、どことなく操られている感じが滲みでる。

スマホで何をしているかは関係ない。スマホをいじっている時点で、そう見えるのだ。

ただ、読書は能動的な感じが滲み出る。文明の機器に抗う感じが滲み出る。

主体的な姿勢、いじらしい姿勢。

そこに僕は、美しさを感じる。

「みんながスマホをいじるなら、自分は読書します」という対抗心に、愛おしさを感じる。


そして2つ目の理由が、切なくも暖かな心の傷を、深く刻み込んでくれるからだ。


***


「この人、めちゃくちゃ覗いてくるなぁ・・・」


生気を失ったサラリーマンに囲まれながら、田舎とも都会とも言えない中途半端な街に位置する会社を目指す電車の中で、僕はある本を読んでいる。

その本とは『真夜中乙女戦争』だ。

結論から言うと、この本は万人受けする内容ではない。


“真夜中を愛する者は乙女である。真夜中を憎む者もまた乙女である。乙女は女だけではない。男だって乙女である。”


これが、この本の書き出しだ。ハッキリ言って意味不明である。

以降の文章も、捉えようのないものばかりが続く。

主人公は、いや、著者は何かに怒り、悲しみ、絶望し、後悔している。

読めば読むほど、とてつもない孤独を感じる。

ただ、だからこそ、僕はこの本が好きだ。


人は誰だって、言葉にならない想いを解消できずに日々を生きている。

その想いが蓄積していくにつれて、人生は空虚になる。

そんな空虚に寄り添ってくれるのが、『真夜中乙女戦争』だ。

この本の著者に会う機会は、おそらく生涯で一度もないだろう。

だけど、どこかで著者が生きてくれている。

やり切れない想いを抱えながら、必死に抗い続けてくれている。

そうイメージするだけでも、僕の心は不思議と穏やかになっていった。


僕はここ最近、『真夜中乙女戦争』を読みながら電車内での時間を潰している。

毎朝7時に最寄り駅に着くと、僕はいつも最後尾の車両を目指し奥へ奥へと進む。

電車が到着すると、座れる席が無いことを確認した後に、吊り革を握りながら本に没頭するといった感じだ。


ただ、この習慣が身についてから、ある1つの異変が僕に襲いかかるようになった。

最寄り駅から1つ隣の駅に停車すると、決まってある女性が同じ車両に乗り込んでくる。

黒髪のセミロング。ダークブルーのジャケットにホワイトのシャツ。ライトグリーンのパンツにライトベージュのパンプス。手にはイエローのトートバッグ。

彼女はまさに、オフィスカジュアルのモデルをそのまま体現したような女性だった。


まあ最初は、僕の勘違いだと思った。だけど、もうこれで3日目だ。間違いない。

彼女は僕の後ろに立ち、僕が読む『真夜中乙女戦争』をジッと覗いてくるのだ。

これは一体どうすればいいものか。僕は非常に迷っている。

彼女は単に本を覗いてくるだけだ。実害は一切ない。

ゆえに、「覗くのやめてくれませんか?」と言うのは、なんか優しさに欠ける気がする。

ただ、「この本に興味あるんですか?」と話しかけるのも、なんかキモい気がする。

「ナンパは悪」みたいな発言を、カリスマギャルが報道番組で叫んでいるのを見たばかりなので、より声を掛けることに躊躇してしまう。

まあ、話しかけると言っても、ナンパするわけじゃないのだが・・・。


ただ、1つ確実に言えるのは、この状況に僕はむず痒さを感じているということだ。

覗き行為を認識しているにも関わらず、何も行動を起こさない自分がちょっと嫌になっている。

どんな一言でもいい。何か言わないと、自分の不甲斐なさにいつまでも苛まれる気がした。


「・・・この本、好きなんですか?」


思い切って僕は、静かに振り返ると同時に、自分の中では比較的マシだと思える質問を投げかけてみた。


「え!?あ、はい。いいですよねその本」


彼女はまさか話しかけられると思っていなかったのか、狼狽えながら返答を絞り出す。


「あ、すいません。ここ最近、めっちゃ見てくるなぁと思ってて・・・」


なんで僕が謝っているんだろうと思いつつも、話しかけた理由を伝えた。


「あ!そうなんですね!それは失礼しました。私としては、バレてないと勘違いしてました」


「いやぁ、この距離で見られたら、さすがに気づきますよ」


微笑みながらそう返すと、「そうですよね!すいません」と彼女も微笑みながら謝る。


「いえいえ。『真夜中乙女戦争』がお好きなんですか?」


「はい!孤独であることを、美しく綴るセンスに心惹かれました」


その返答を聞いた時、僕は話しかけて良かったと、心の底から思えた。

彼女は初対面の人間であり、素性も全く知らない。

だけど、本の感想を一言聞いただけで、不思議と分かり合える人だと確信できた。

パッと見の彼女は、完全なる社会適合者だ。

誰とでも、上手くやっていけそうな人に見える。

だけど、多分、そうじゃないんだろう。

どうしようもなく孤独であることを、美しい言葉で綴っている。

そんな点に魅力を感じている時点で、社会の歯車になり切れていないことが伺える。


「その感覚、凄くわかります」


「わかってもらえますか!良かったです」


彼女が穏やかに返答すると同時に、目的の駅へと着いた。


「では、僕はここで降りますので」


「はい、ではまた」


彼女は、小悪魔だな。

再開を匂わせる別れ方は、男の心をかき乱す。

非常にあざといやり口だが、まあ嫌な気はしない。

なんだか本当に会える気がしたし、たとえ会えなくても、美しい思い出に昇華できる気がしたからだ。


***


「悪いんだけど、前年度の売上を部門別にまとめておいてくれる?」


「はい。わかりました」


右隣に座る上司が、クソつまらない仕事を振ってくる。

そして僕はその指示に、従順に返答した。

仕事って、もう少しマシなものだと思っていた。

どんなに大変で辛くても、やりがいや楽しさを感じる瞬間はあると思っていた。

ただ、それは贅沢な期待だったようだ。

いくら仕事をこなしても、一切喜びは感じられない。

前年度の売上を部門別にまとめたところで、誰も幸福にならないのは明白だ。

そんな作業を、細やかな報酬のために黙ってこなせるのが、立派な社会人なのだろう。


ふと周りを見渡すと、雀の涙ほどの報酬で使い倒されているにも関わらず、彼らは僅かな反抗心も感じさせない。

それどころか、喜々として報酬を垂れ流している始末だ。

形骸化している労働組合の組合費。半ば強制的に加入させられる生命保険。銀行との付き合いで買わされる宝くじ。好きでもない人と同席する飲み会。

僕はとっくに、限界だった。

今すぐにでも会社を辞めて、ゴミのようなしがらみを振りほどいてやりたい。

でも、今の僕には、会社に縋りつく以外に生きる術が無い。

だから、言われた作業を淡々とこなす。それだけだ。

指示を受けてから3時間後、僕は久しぶりに口を開いた。


「課長、資料が完成しました」


「うん、ありがとう」


無味乾燥的な感謝の言葉は、より一層僕の心に陰を落とした。


***


僕は今日も揺られながら『真夜中乙女戦争』を読んでいる。

たった1冊の小説と、ある僅かな期待が、今の僕に残された拠り所だ。

もう物語は、だいぶ終盤に差し掛かってきた。

主人公は憧れの先輩と2人っきり。だけど、それはあまりにも儚い時間になることは明白だった。

最寄り駅から1つ隣の駅に停車すると、背後に何かが迫ってくる気配を感じる。

振り返ると、「また読んでますね」とでも言いたげな表情の彼女がそこにいた。


「また読んでますね、『真夜中乙女戦争』」


彼女は期待通りに現れ、期待通りの言葉を投げかけてくれる。

こういうのでいい。意外な言動なんていらない。


「はい。もうだいぶ終盤に差し掛かってきました。今、憧れの先輩と2人っきりです」


「お!そこですか。儚くも美しい雰囲気にキュンとしますよねえ」


「・・・仕事終わりに、あなたが乗ってくる駅のカフェでお茶しませんか?ご馳走しますので」


「え?カフェ?」


あまりにも唐突に、誘ってしまった。

明らかに文脈を無視した身勝手な発言。我ながらみっともない。

でも、言うなら今しかないと思った。いや、そう思う前に言葉が出た。

物語が終わりを迎えれば、彼女と僕を繋ぎ止めるものは無くなる。

そうなるのが、嫌だった。


「あっ、すいません急に誘ってしまって。本について、お話ししたいと思って・・・」


幾分か自分の発言を後悔した僕は、弱々しい態度を取ってしまう。


「あそこのカフェ、最近抹茶パフェ出したんですよ。ちょうど、それを食べたいと思っていたところです」


遠回しな表現をする人は、嫌いじゃない。


***


「すいません!お待たせしました!


約束の19時を数分過ぎた辺りで、彼女が足早に駆け寄ってくる。


「いえいえ。今日は付き合って頂きありがとうございます」


「いえ、私もお話ししてみたいと思っていたので」


気を使って言ってくれた言葉かもしれないが、僕は安堵した。


「3日間ジッと本を覗いてましたけど、どういう感覚だったんですか?」


まずは、一番気になる質問をぶつけてみた。

好きな本を読んでいる人がいたからといって、3日間連続で覗くのはちょっと異常だ。


「あの時は、安心感で満たされてました」


「安心感?」


「はい。『真夜中乙女戦争』って、かなり独特な内容じゃないですか。だから周りに好きだって言う人は、1人もいないんですよ。そしたら、電車の中で『真夜中乙女戦争』に没頭するあなたを見つけて、なんだか安心感を覚えたんです。ちゃんと私以外にもこの本が好きな人いたんだなって、認識できた感じです」


「なるほど、そうだったんですね」


彼女が伝えてくれた理由は、心底納得できるものだった。

自分が密かに好きだと思っているもの。

それを共感できる相手を見つけるのは、簡単じゃない。

だから、偶然にもそんな相手を見つけたら、きっと僕もジッと眺めてしまうに違いない。


「はい、そうなんです。あっ、他にはどんな本を読むんですか?」


そこから僕らは、自分が密かに想いを寄せる本について語り合った。

彼女の口から出るタイトルは初耳のものばかりで、話を聞けば聞くほど、いじらしさを感じる。

わざとベストセラーを避けてるんじゃないかって、思うくらいだ。

いずれも内容は、切なくて儚くて、ちょっぴり意味がわからない。

そんな本に没頭する彼女に、僕は心惹かれていった。


1時間ほど語り合ったところで、そろそろ帰ろうかという雰囲気になる。


「今日は、ありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそありがとうございました。パフェ、ごちそうさまでした!」


「・・・あの、今度良かったら、一緒に」


僕の言葉を遮るように、彼女のスマホから着信音が鳴り響く。


「あっ、すいません。彼氏からの電話です」


「・・・ああ、はい」


「では、今日はありがとうございました!」


彼女はスマホを耳にあてながら、そそくさと店をあとにした。




お互いの価値観は、明確に一致していた。

だけど、お互いがお互いに求めるものは明確に違っていたようだ。

あの日を境に、彼女は同じ車両に乗ってこなくなった。

ただ、僕はこのあまりにも儚すぎる出会いに、心底感謝している。

なぜなら、どんなに無味乾燥的な仕事をしていても、到底受け入れられない振る舞いを目にしても、彼女がどこかで頑張っていると想像するだけで、僕の心は幾分か救われるからだ。


僕は今日も揺られながら、2周目の『真夜中乙女戦争』を読んでいる。

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