第10話

 その日は夜会に参加するため、ミラベルは昼から忙しかった。


「人間ってたいへーん」


 ビロードのクッションの上にデデンと座った黒ネコは優雅に尻尾をくねらせている。


「ねぇ、フィッツロイは最近太ったんじゃないかしら?」


 黒ネコ、つまりフィッツロイが喋っていることはミラベルにしか分からない。他の人にはニャンニャンという鳴き声にしか聞こえないようだ。フィッツロイの話をスルーして一生懸命マッサージしている使用人に話しかけた。


「そ、そうですか? 大きくなっただけではありませんか?」

「いいえ、太ったわ。誰よ、おやつをあげすぎたのは」


 この悪魔、契約して以降この屋敷にミラベルよりも馴染んでいるのだ。第二契約まですると近くにいなければいけないということもないようで、屋敷を闊歩している。

使用人たちにはネコだけに猫可愛がりされ、明らかに太った。知らなかったが悪魔も太るのである。


「食べ過ぎてないにゃ!」

「可愛く鳴いてもだめよ。明らかに大きくなったのではなく太ったでしょ。おやつはしばらくやめてちょうだい」

「そんな!」

「太ったら病気になる可能性が高くなるでしょう」


 嘆いているのは使用人だけではなく、フィッツロイもである。どれだけ人間の食べ物好きなのよ。


 化粧をして髪を結い上げて着替えてと続き、ミラベルがすでに準備だけで疲れたところでやっと身支度が終わった。

 使用人たちには出て行ってもらい、疲れ切ってイスに腰掛ける。


「綺麗だにゃん」

「あら、ありがとう」

「いつもこんな恰好はしないにゃ? こういう濃い色の方がよく似合うにゃ」

「今日は夜会だから特別よ。悪魔は口が達者なのね」


 まさかギルバートではなく、悪魔の黒ネコから最初に褒められるとは思っておらずミラベルは驚いた。フィッツロイはクッションから下りると、ミラベルの周りをグルグル回る。


「いひひ。だってせっかく俺ちゃんと契約したのに全然お願いしてくれにゃいから。なんかにゃいのか? あのイケメンの初恋の人を呪うとか。ピンクの髪の女にゃ」

「呪ったところで意味があるの? 心は囚われたままでしょ」

「ちぇっ。つまんにゃーい」

「可愛く言ってもダメだから」

「真剣に考えてよぅ。せっかく契約して俺ちゃんちょっとずつ強くなれるんだから」

「自分でかけた呪いも解けないくせに」


 扉がノックされた。夜会会場に向かう時間のようだ。


「じゃあ、行ってくるわ」

「俺ちゃんももちろん行く」

「無理に決まってるでしょ。夜会会場にネコは入れないわ。それとも人間にでも変身できるの?」

「そんな高度なことできないにゃ」

「じゃあお留守番よ」

「馬車で待ってる。だって呪いが発動して無性にキスしたくなったらどうするにゃ? 俺ちゃんのこと呼んでくれればパパっと向かうけどぉ。あ、あのイケメンとキスしたかったらしたらいいしぃ。そしたら運命の人かどうか分かるにゃ」


 呪いの発動は主に夜だ。周期はよく分からない。一週間おきだったり、三日おきだったり。今のところ夜会はなかったのでフィッツロイにキスすれば良かったのだ。


「あのね。そもそも私が苦労してるのってあなたが呪いをかけたからなんだけど。どうしてそんなに恩着せがましいのよ」

「あーあ。その呪いを依頼した奴が分かれば呪いを返せるかもしれないにゃ~。俺ちゃん、依頼主忘れちゃったからにゃ~。髪の毛か寿命くれたら頑張れるんだけどな~」

「じゃあ馬車の中からちゃんと見てなさいよ」


 夫とキスするなんてさらに惨めになるからごめんだ。結婚式でもしなかったのに。おかげで悪魔にファーストキスを捧げる羽目になったが。


 ギルバートはフィッツロイを連れて行くことに難色を示したものの、フィッツロイがドレスから離れないので結局許可してくれた。


 エスコートされて会場に入りながらチラリと隣を見る。確かにカッコイイ。今も羨望のまなざしがギルバートに集まっていて、ミラベルには嫉妬の視線が向けられている。


 でも、この人が運命の人であるわけがない。鏡なんて無邪気に信じてしまった私がバカだった。もし、この人が運命の人ならさらに悲惨だ。

 会場に入ってからギルバートの視線は一点だけを見据えている。愛されることはない妻だからって気を抜かずに参加者くらい確認すればよかった。悪魔と契約してしまってうっかりしていた。


 彼の視線の先にはピンクの髪に青い目の第二王子妃がいた。


 ね、ギルバートが運命の人だったら本当に最悪。そもそも誰かに片想い中の夫が私の運命の人なわけないわよね。どうやって呪いを解いたらいいのかしら。手当たり次第に男にキスしろってこと? そんなんで運命の人って見つかるの? フィッツロイに聞かなきゃ。


「第二王子殿下に挨拶に行こう」

「化粧直しに行きたいのでお一人でどうぞ」

「まだ到着したばかりだろう」

「すでに疲れています。あなたの非常識さに」


 するっと腕を引き抜いてギルバートから離れた。

 実際にギルバートの暑苦しい視線を横から見ると、なかなか堪えるものがある。お飾りでも結婚したんだからもうちょっとその暑苦しさは隠しなさいよ。まだあなたが好きですって全身で言っていてすぐ分かるんだけど。


 今すぐ馬車に戻ってフィッツロイに呪ってもらおうか。髪の毛が必要らしいから帰ってからにしようか。でもキスする呪いならあまり意味はないかもね。不貞で第二王子妃が離婚するくらいかしら。

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