第2話

 前日にそんな風に思ったのは甘かった。

 結婚式を挙げてハイにでもなっていたのだろうか。昨日食べた甘いケーキが頭にいったとか? 砂糖摂りすぎちゃった?


夫となったギルバートと特に致すこともなくお酒を飲んで眠ってそのまま朝を迎えた。


 ミラベルが起きた時にはもうベッドにギルバートの姿はなかった。寝起きの顔を見たところでなんの得もないからそこはいいだけれど。


 問題は使用人である。

 昨日は疲れていて何も感じなかったが、現在目の前にいる使用人はニヤニヤ笑って明らかにミラベルを見下していた。洗顔用の水を持ってきた使用人だが、見るからに汚水だ。汚い雑巾でも絞ったのだろうか。しかも置くときに乱暴に桶を置いたから水が跳ね散っている。


「これで顔を洗えと?」

「はい」

「ふぅん」


 夫となった侯爵は初恋を忘れられない色ボケ野郎なだけかと思っていた。仕事はきちんとしているようだったから。でも、使用人がこのような態度をとるということは、ミラベルを一体どう扱うつもりなのだろうか。使用人にミラベルをこのように扱っていいと言っているのか。早急に確認が必要だ。


 頭の中でそんな計算をしながら、目の前の女性使用人に視線を向ける。


「じゃあ、あなたがまず顔を洗いなさい。綺麗な水を持ってきたんでしょ?」

「奥様のために運んできましたので」

「遠慮することはないわ。手伝ってあげる」


 残念ながらミラベルは深窓の令嬢ではない。昨日までは、いろいろたくましい男爵令嬢だったのである。


 そう、舐められたら最初が肝心。初手で潰すのみ。


 使用人の腕を片手で引っ張ってよろめいたところで、後頭部をつかんで桶の中に使用人の顔を無理矢理突っ込む。さながら水責めの拷問だ。

 女性使用人は顔を汚水に突っ込まれてジタバタ暴れ、ミラベルの寝巻には水が跳ね散る。


「片手で引っ張られてよろめくなんて踏ん張りが足りないんじゃない? あ、聞こえてないか」


 生命の危機を感じているのかあまりに暴れるので、桶の中の水がほぼなくなってしまった。


 彼女のひっつめている髪の毛を引っ張って、水から顔を上げさせる。


「あら、綺麗になったわね。あなたは毎日この水で洗顔したらいいんじゃない?」


 化粧が落ちて酷い顔なのだが。咳き込んでいる女性使用人を床に転がして、頬を打つ。そして胸倉をつかむ。


「立場をわきまえることね。私は昨日から侯爵夫人なの。愛人狙いなのか知らないけど、舐めた真似するなら今度は汚水の中で息絶えることになるわよ」


 本当に聞こえているのか怪しいが、必死に頷くので胸倉をつかんでいた手を放す。


「じゃ、綺麗に掃除しておいてね」


 濡れた寝巻のまま廊下に出た。もちろん、昨日のスケスケの下着の上に服は着ている。


 通りかかった女性使用人がミラベルの犯行後の姿を見てぎょっとした顔をした。


「お、奥様。お召し替えを」

「ちょうどいいわ。家令と侍女長を呼んでちょうだい」


 さっきの女性使用人だけが特殊なのか、この家全体がおかしいのか見てみないとね。パタパタと走っていくあの子は「お召し替えを」というくらいだからまだマシなのかしら。


 自分の格好に目をやると、派手に使用人が暴れたせいでなかなかに寝巻が濡れていた。予想よりも酷い格好だ。これを見たら普通「お召し替えを」とは言うわね。

 着替えるにはあの部屋に戻らないといけないが、さっきの子に着替えを手伝われたら針でも仕込まれそうと考えていると、慌ただしい足音が近づいてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る