第21話

 山を登り、谷を飛び降り、枝重る森林を構わず弾丸走行する日々を送り、出発から十二日が経った。


 追っ手を振り切る為の強行スケジュールだと分かってはいるけど、蓄積した疲労とがれた気力から、もう少し余裕のあるスケジュールでも大丈夫なんじゃないかと云う思いがよぎる。


 でも、ただジエさんに背負ってもらってるだけで、この世界の事をよく知らない私が強行スケジュールに意見するなんて出来ない。

 まして休みたいなんて言えないし、それに気付かれるのもダメだ。

 皆さんには充分気遣きづかって貰ってるんだから。


 だから私は、皆さんと接する時は気力を振り絞って、移動もれた風に振る舞っていた。



 何時ものように天幕を設営する作業を手伝っていると、アガサさんに凝視されて私は内心焦った。


「リンさん、どっか調子悪くないですか?」

「え?ああ、疲れてはいますけど、それはいつもの事なので」


 我ながらスマートな返答だと思ったけれど、レンキさんが聞き付けて来て、顔をのぞき込まれる。


「…うーん、俺には可愛いだけに見えるけど」

「レンキ、近いよ、リンさんから離れて。本当にそれだけです?」

「はい。ありがとうございます、気に掛けて頂いて。私は大丈夫ですから、続きやっちゃいましょう?」


 何気なくレンキさん達に背を向けた途端、視界がゆがんだ。


「リンちゃん!」

「リンさん!」


 かしぐ私の身体をアガサさんが受け止めてくれたけど、視界がぐるぐると回る症状はおさまらなくて、立つことができない。


「レンキはすぐに天幕を設置して!おい、誰か!師団長を呼んでくれ!」


 ああ、ダメだった。折角、ここまで頑張ったのに。結局、皆さんに面倒を掛けちゃうんだ。

 目眩に続き、血の気が引くのを感じたらもう、目を開けていられなかった。



 アサギリからリンが倒れたとの急報を受け、ソウマと二人で後方を警戒していたジエは、その場を二人に任せ、リンの元へ急行した。


 天幕の木戸を開けると、毛布にくるまれてアガサに力無くもたれるリンの姿が視界に飛び込んできた。

 心臓が冷えた心地を味わいながら、ジエはそばに寄り、名前を呼ぶが、リンが反応を返す事はない。


 ジエの視線がリンの身体を彷徨さまよう様は、受けた動揺を物語っていた。

 アガサは張り詰めた表情をいくらかやわらげ、ジエの存在に安堵した様子だった。


「リンの容態は?」

「意識がはっきりせず、身体が冷えています。

 リンさんが倒れる前、表情が優れない気がして声を掛けたんですが、疲れているのは何時もの事だと言っていて…倒れる程、疲労していたなんて思ってもみませんでした」


 もっと早く気付いていればとやむアガサの胸の内が伝わって来る程に、その表情はしずんでいた。

 それはレンキも同じ思いだった。


 移動後も後方を警戒する為、外気が本格的に凍える迄の間、傍を離れるジエからリンを任されたと云うのに、共に作業をしていながら全く気付けなかった自身の不甲斐ふがいなさに項垂うなだれていた。


「…俺は兎も角、今日までアガサが気付かない位だったから、多分、リンちゃん、気付かれないようにしてたのかも」


 意識のないリンを見ながら呟いたレンキにジエがうなずく。


「そうね、リンはあんまり主張しないし、いても大丈夫って言うのよ。そういうコだから、移動時間を長くする選択は間違いだったわ。

 リンがこんな事になったのは私が判断を誤ったからよ。でも、もう反省は終わりにして、今後の事を考えましょう」


 レンキとアガサは充分、自分を責めている。

 だが、自責よりももっと考えなければならないことがあった。


 もともと身体が丈夫で病とはほとんど無縁のこの世界の住人達は、遠征時は外傷以外を考慮しないのが常識で、内科系の不調をれる者がいないのが状況を難しくさせていた。

 居住地ならば診れる者がいるが、まだ距離があり、しかし、リンは動かせる状態ではない。

 そして、豹族の当主であるダンテの存在もある。


 しかし、まずは夜に向けて寒さから弱ったリンを守らなければと思うジエは指示を出した。


「リンの状態が多少なりとも回復するまで、移動は中止よ。それからレンキには手の空いてる者と早急に暖房付きのベットと天幕の設営を頼むわ」

「俺もレンキを手伝います」


 アガサが早速手伝いに名乗りを上げ、慎重にリンをジエに託すと、レンキと共に天幕を後にした。


 幕内で二人になると、ジエはその美しい顔を歪めた。

 部下の手前、自分を責めるよりも、切り替えて先を考えるように言ったが、倒れたリンの姿を前にすれば、それは何とも難しく、酷な事かと分かる。

 だが、今のわずかなこの時だけは許して欲しいと心の内で部下達にびた。


 数日前にリンに砂塵と日除けのケープを渡した時に見た、控え目で健気な微笑が、リンの今は青ざめた顔と重なり、その落差は現実を突き付けるように、理解が追いつかないジエの胸を冷やかに締め付けた。


 ほんの少しだか、この世界に向き合い歩み寄ろうとするリンの想いが感じられた微笑みを、自分だけが見て察している優越と同時にそれを上回る愛しさを自覚して、照れてしまった事を思い出す。

 そのリンを奪われたくない思いが強くなってしまい、移動後、リンが疲労でぐったりしているのを知っていながら、限界ならば言って来るだろうとたかをくくって、自分の意思を優先させてしまった。

 結果、リンの異常にも気付けず、その異常が原因でリンを失ったらと思うと、本末転倒がぎてゾッとする心地を味わった。


 ジエは腹を括った。

 今後は何があろうとリンを優先すると。

 そして、最悪の場合はこの場で黒豹を迎えつと。


「私も馬鹿でダメだけど、こんなになるまで我慢するなんて、ホントにダメよ…。目を覚ましたら、徹底的にままいわせてあげるから、覚悟してなさい」


 その口調とは裏腹に、リンに触れる手は労りいたわに満ちていた。

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