第19話

「セキロウ様、豹が」


 おや?返事がない。


「セキロウ様?」


 押し黙ったままのセキロウの様子をうかがった事をカノイは少し後悔した。


(め、メチャクチャお怒りです…っ)


 静かに怒り心頭中のセキロウから遠ざかりたい本能を、師団長を任されているからには矜持きょうじじ伏せた。

 だが、先程からギシギシと不穏ふおんな音がする。

 その音源に目をやったカノイは眉を下げた。


 不穏な音はセキロウが握り締めた拳から発せられ、圧迫されて幾重いくえにも腕の血管が浮き出ている様が怒りの度合いを知らしめている様に思えた。


(自分が豹族の出方を読みちがっちゃった手前、どうする事も出来ないご様子っ

 ああ、でもこの後の指示を聞かないと。声掛けて大丈夫なの、コレ?殺られない?)


「カノイ」

「っ…はっ!」


「この場は任せる。俺はダンテを追う。第二師団のヨノモリに現状共有の伝令を飛ばせ」

「承知しました」


 突然名を呼ばれ、悲鳴を上げなかった自分をめつつ、気を抜いたら射殺いころされるのではないかと思わせる凶悪な目付きで出された指示に勿論異論はない。

 その指示が怒りのあまり片言になっていても突っ込んだりしない。リスクが高すぎる。


 カノイに指示した後、少し身を屈めたセキロウを目にした次の瞬間にはすでに走り去っていた。


 ――――――――――――――――


 時は少しさかのぼり、セキロウがジエ達の隊と分かれカノイと合流した頃、豹族の居住地にある当主のやかたを走る黒髪の青年の姿があった。


「ただいま、母さん!父さんの行方がようやく掴めたよ!」


 ドアを開けるなり室内でお茶を飲んでいた母親らしき女性に向かって叫んだ青年の年頃は二十歳前後。

 少し癖のある黒髪の短髪で、濃い紫色の目をした容姿端麗な青年だった。


「あら、ルカ、お帰り。暫く姿が見えないと思ったらダンテの行方なんて…。

 アナタまだそんな奴の行方を探してたの?」


 青年、ルカの母親であるマルジェラもまた美しく、波打つ豊かな長い金髪が彼女の艶やかな美をいろどっていたが、彼女の女性的な魅力を語る上で、豊満な胸はその筆頭にあげられるであろう。


 しかし決して性的な魅力にかたよってはおらず、成熟した女性としての自信と自立心がその強気な緑の目に溢れていた。


「当然だよ、争奪戦なら父さんの行方がつかめるんじゃないかと思って張ってたんだ。

 そうしたら案の定だよ。

 だって百年も音沙汰おとさたなしで全部母さんに任せっきりにしておいて、この上、龍珠りゅうしゅの女性に手をだそうだなんて、余りにも節操せっそうが無さすぎるよ!

 まあ、父さんは節操って言葉を遠い昔に捨ててきたんだろうけど、それにしても母さんに対して酷いよ。

 父さんに会ってこの先、どうするのかちゃんと話し合うのがいいと思うんだ」

「…ルカ、私の事を思ってダンテを探してくれたのね」


 親を思いやれるようになった息子の成長を目の当たりにしたマルジェラは感動し、居住地の女性達に大いに助けられながらのワンオペ育児だったが、自分の子育てが間違っていなかったと感慨に浸った。


 だが、夫であるダンテの顔が思い出されると感動のバロメーターが即マイナスへ振り切ってしまった。


 ダンテは顔も男性的な魅力に溢れているが、どこか甘さがあり、逞しい肉体美の上に振る舞いが洗練されている為、歩くだけで女性が引き寄せられてしまう罪な男だった。

 そんな男がマルジェラ一人に収まっている訳もなく、百年前のある昼下がり「ちょっと煙草買いに行ってくる」と告げて出て行ったきり音信不通になった。


『大半が糸の切れたたこのようなんですって?豹族の男って。見目麗しいから恋人にはいいけど父親にしちゃった日には…ねえ?』

『ダンテを百年も独占したんだから、もう解放してあげて』


 ダンテが出て行ってから同族、他族の女性から浴びせられた謂れのない中傷が思い出され、幼かったルカへの悪影響を考えて余り公に返り討ちに出来なかったフラストレーションが今、マルジェラを苛立たせる。


『どんな美女かと思って態々見に来てあげたのに何?頭の悪そうなただの爆乳女じゃない。本当に豹族なの?本当は牛獣人じゃないの?』


 出自を疑われ、更に完全な人型にもなれない半獣人と同列に例えられた最大の侮辱ぶじょくは、今でも色あせる事なく、当時と同じ屈辱くつじょく感をマルジェラに与えた。


「ルカも親を思いやれる程大人になったのね。今まではルカを育てる事に必死で、ダンテの事なんてどうでも良かったけれど、良い機会かも知れないわ」


 母親から感謝の抱擁ほうようをされ、ルカは『っうぶ』という苦し気なうめき声で応えた。


「百年目のケジメよ!首を洗って待ってるがいいわ、ダンテっ!」


 る気満々のマルジェラの闘志を、豊満すぎる胸に埋もれながら感じたルカは、自分の父親は無事では済まないと確信した時、丁度木の上を移動中だったダンテは足を滑らせ、落下は免れたものの、血が出る程、すねを強打したのだった。

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