10話

 大型モールの駐車場に車を停めるとスマホのロックを解除する。叶向からのメッセージを開くと右上の時刻が目に入る。

  18時58分


「ちと早かったな……」


 

 


 フードコートのテーブルに身体を突っ伏しながら、叶向はスマホの画面を見つける。


 

  19時00分

 飲みかけのドリンクのカップについた雫を眺め、時間が過ぎていくのを待つ。


「早く会いたいなぁ……」


 ポツリと言葉を漏らす。モールに着いてから一時間半、宿題をとっくに済ませ暇を持て余していた。


「よお、待たせたな」


 聞き間違いかと声のした方に叶向は勢いよく顔を向ける。


「おつかれ」


 どかっと叶向の正面に座ると、秀は眠たそうにあくびを一つして肩肘をつき頬をつく。


「お、お疲れさまです!」


 突然現れた秀に驚きを隠せないまま、叶向は声を裏返す。


「わりぃな、待たせちまって」

「いえ、そんな。思ったより早かったですね」

「……ああ、朝のうちに家寄ったからな」

「そーだったんですね」


「————うん」


 眠たそうにゆっくりと瞬きを繰り返す秀に、叶向は声をかけるべきか戸惑う。


「……あの、秀さん?」

「うん……だいじょうぶ」


 完全に机に突っ伏して秀は寝息をたてる。

 秀の登場から眠りにつくまでの展開に、置いてけぼりをくらった叶向はポカンとその寝顔を覗き込む。

 すやすやと無防備な寝息を立てる秀に、叶向は思わず笑みをこぼす。しばらく無言で寝顔を観察した叶向は、途端に慌てたように辺りをキョロキョロ見渡す。

 フードコートには学生たち、子連れの家族が食事を楽しんでいた。周囲の視線がないのを確認しスマホを構える。

 

カシャ


 シャッター音に驚き、慌ててスマホを引っ込めて秀の様子を確認する。

 変わらず穏やかな寝息を立てて眠っていた。


 

      *  *  *


      

「マジでわりぃ……」

「いえ、気にしないでください」


 閉店を知らせる音楽がなる中、秀と叶向はエスカレーターに乗って一階へと降りていた。


「昨日も寝るの遅かったですし、眠くなっちゃいますよね」


 フォローを入れる叶向に申し訳なさを感じつつ、モール内の時計に設置された時計を再確認して、秀は大きなため息をつく。



  21時53分

「マジでやらかしたわ……こんな時間まで寝ちまうなんて」

「起こそうか迷ったんですけど、気持ちよさそうに寝てたんで……」

「まぁ、三時間くらい寝たから、すげぇスッキリしてる」


 大きく伸びをすると、買い物かごを手にする秀。


「なんか買ってくんですか?」

「おう、腹へった。好きなの選んでいいぞー」


 駐車場に着き、愛車に乗り込むと秀はすぐさま買ったおにぎりを頬張る。


「マジで腹減ったわ」

「お仕事お疲れさまです」

「あんがとな、今日はもう遅いから送ってくわ」

「え、いいんですか? 結構遠いですけど……」

「明日休みだし、寝て頭スッキリしてるから大丈夫。久しぶりにドライブしたい気分だったし」

「ありがとうございます!」


 叶向のナビで車を走らせる。途中でバーガーのセットをドライブスルーで購入し、追加の夕飯を頬張る。


「秀さんって結構食べますよね……」

「そーか?」

「スーパーでも結構買ってたじゃないですか」

「まぁな。俺からしたらお前が少食すぎる気もすっけど」

「俺は普通な方ですよ……」


 袋の中からペッドボトルのお茶を取り出すと、叶向はドリンクホルダーへ置く。


「あれ……?」


 上手く置けずに目を向けると、GPS機器が目にとまり手にとる。


「あー、すっかり忘れてたわ」


 秀も叶向が手に取ったそれを横目に見る。


「今日はもう遅いですし、また今度にしましょ」

「そーだな」

「そーいえば、秀さんは明日お仕事お休みなんですね」

「基本土日休みだからな」

「あの、明日は予定とかあったりするんですか?」

「ん〜、予定はねーけど不動産にでも行こうかと思ってるわ」

「不動産ですか? お引越しされるんですか? それって……俺のせいですよね。あの人たちが彷徨うろついてるかもしれないですし……」

「あ? ちげぇよ。いや、マジで違うからな?」


 何も考えずに誤解を招くようなことを言ってしまったことに気づき、秀は急いで弁明する。


「もともと引っ越す予定だったんだよ。一階部分がガレージになってる物件探してて、ネットでいいとこ見つけたから見にいくだけ。ほんとマジで、お前のせいとかじゃないからマジでだから——」

「ふふっ」

「なんだよ……」

「いや、もう分かりましたから。そんなに慌てなくても大丈夫です」

「……そーかよ」

「どこら辺の物件なんですか?」

「今住んでるところとは真逆の場所だな。会社までの距離はちょっと遠くなるけど、条件良ければもう決めようと思ってる」

「え? そんな簡単に決めちゃって良いんですか?」

「俺はあんまりごちゃごちゃ考えて悩むのがやなの。良いなと思ったら即決だな」

 

 たわいもない会話をしながら夜のドライブを楽しむ二人。時間はあっという間に過ぎ、叶向のナビしたアパートまで到着した。


「あそこの来客用の枠に停めちゃって大丈夫です」

「いや、もう行くから大丈夫」

「えー、もう帰っちゃうんですか? 上がってってくださいよー」


 不貞腐れた子供のように頬を膨らませる叶向。


「また今度な」

「そんな思わせぶりなこと言って、俺をもてあそぶんですね!」

「ふはは、アホか」

「ふふふ、今日は送ってくれてありがとうございました」


 叶向は車から降りると、運転席の方へと移動する。秀は窓を開けてGPS機器を叶向に手渡す。


「一応お前がもっとけ。また連絡するわ」

「分かりました」


 叶向が機器を受け取った瞬間だった。触れた指先から電流が流れるような衝撃と共に、秀の頭の中に何かが流れ込んできた。


 

 アパートの階段を上る叶向。のぼり切った先で走ってきた女性とぶつかり、そのまま二人で階段の下へと落ちていく。その続きはいやでも想像がついた。


 

 反射的に叶向の腕を掴む。 


「うわっ」


 急に腕を引かれて叶向は仰け反る。


「どうしました?」 

「……」


 秀は必死に考えた。頭の中に流れ込んできたのはなんだったのだろうか。叶向の住むアパートに視線を移す。

 階段の先に部屋のドアが並んでいるのが見える。自分の見たイメージと全く同じならば、叶向はあの階段を登った先で女性とぶつかる。

 だが、そんな確証はどこにもない。あくまで自分の頭の中での出来事であって、現実世界でそれが起こるはずがなかった。


〝——それなら今までのことは?〟


 今まで何度も非現実的な体験をしてきた。過去へと戻り、叶向の死を何度も経験してきた。それなら、今回の転倒だってあり得ないことではない。


「……やっぱ、寄ってくわ」

「……え? 俺は嬉しいですけど、急にどうしたんですか?」

「ロングドライブだったし、休憩させてもらおうと思って」


 来客用のスペースに駐車すると、叶向に案内されるままアパートの階段を登っていく。階段を登りながら、秀はその先に全神経を集中させる。

 階段を登り切ったところで足を止め廊下を見渡すが、それらしい女性の姿は見えない。


「どうかしましたか?」


 立ち尽くす秀に向かって不思議そうに叶向が問い掛ける。


「……いや、なんでもねえ」


 そう言って秀が一歩踏み出した瞬間だった。手前のドアが勢いよく開き、女性が飛び出してきた。

 咄嗟に叶向の手を掴むと自分の側に寄せるように庇う。


「……っすみません」


 その一言を残して女性は階段を駆け降りていった。


「……びっくりしましたね」

「……な」


 掴んだ叶向の手を離すと、今度は逆に握り返される。


「どーした?」


 何事かと様子を伺う秀。


「なんか、秀さんが俺の手を繋いでくれるのが新鮮……というか、嬉しかったので」

「……お、おう」

「俺の部屋まで繋いでても良いですか?」

「アホか」


 握られた手を優しく振り解く。


「そんなー、ちょっとくらい良いじゃないですかー」


 秀には叶向の自分に対する距離感が分からなかった。なぜ自分に好意を持っているのか、なぜあのような行為を迫ったのか。その全てが秀には見当も付かなかった。


「なぁ、お前ってなんで俺のこと好きなの?」


 急な質問に叶向は言葉を選ぶように宙を仰ぐ。


「なんでと言われても……人を好きになることにこれといった理由なんてないですよ」

「そーだけど、まだ会って三日しかたってないんだぞ?」


 秀にとっては長い三日間だったが、叶向にとってはただの三日にしか過ぎない。人を好きになるには、あまりに短い時間に感じられた。


「……俺が秀さんのこと好きだったのはもっと前からですよ」

「は? そんな前にあった覚えねーけど……」

「実際に会って話をしたわけじゃないですしね。俺が一方的に知ってて好きだっただけですし……あ、ここが俺の部屋です」


 ドアを開けて秀を迎え入れる。


「……お邪魔します」

「どーぞどーぞ」


 叶向の部屋は男子高校生が生活しているとは思えないほど生活感が感じられなかった。

 1LDKの広々とした部屋にあるのはセンターテーブルとベッドのみ。その他は最低限の家電があるだけと寂しいくらいにシンプルだった。


「綺麗にしてるのな」

「そうですね、ものがあると落ち着かなくて」

「ふーん……どこ座ったらいいかわかんねぇ」


 ガラッとした室内に居心地の悪さを感じる秀に叶向は笑って答える。


「好きなところに座ってもらって大丈夫です」


 センターテーブルの前に敷かれたラグの上にちょこんと座ると、秀は落ち着きなく周囲を見渡す。

 真っ白な壁紙に窓が一つ。風でブラインドが揺れてカタカタと音を立てている。


「何か飲みますか?」


 キッチンの方から叶向の声が聞こえた。


「のむー」

「はーい」


 そう言って叶向が持ってきたのは麦茶の入ったピッチャーとコップ一つだった。


「飲まねえの?」

「あー……俺の家コップ一個しかないんですよ。だから二人でシェアしましょ」

「……あーね」


 叶向の部屋は静かだった。することもなく麦茶を飲みながら秀はスマホの画面を除く。


 

  6月12日(土) 0時34分

「やべーこんな時間じゃん。気づかなかったわ」

「ほんとですね」

「まぁ、明日休みだからいいんだけど。つかそっちこそ眠くねーの?」

「俺はそこまで眠くないですね……というか秀さん」

「ん?」


 不満げな表情で叶向は秀に詰め寄る。


「なんだよ……」

「いつまで俺のことお前とかそっちとかあっちとか言うんですか。この前みたいに名前で呼んで欲しいです……」

「この前……?」

「俺のこと抱きしめながら叶向って呼んでくれたじゃないですか!」

「はぁ?」

「ちょっと、そんな顔しないでくださいよ! お風呂で俺が転んだ時ですよ‼︎」

「あぁ〜、そーだったっけか?」

「そーですよ! ちゃんと名前で呼んで欲しいです!」

「わかった、わかったから……」


 ぐいっと近づけられた叶向の顔を押し返す。


「…………それと」

「ん?」

「……チュウしたいです」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべる秀。


「そんな顔しなくてもいいじゃないですか」

「こんな顔にもなるだろ……」

「だって、俺の部屋に秀さんがいるんですよ? しかも二人きりで。そーいう気持ちにならない方がムリじゃないですか!」

「男子高校生か⁉︎」

「男子高校生です!」

「ダブってんだろ」

「そんなの関係ありませんー」

「とにかく、俺はもうそーいうことしないから」

「そーいうことって?」

「……キスとか、それ以外も……」


 口ごもる秀に叶向は向き合うと、いつになく真剣な表情を浮かべる。


「俺はしたいです」

「したいって……」

「俺、ずっと前から秀さんが好きでした」

「ずっとって……」

「秀さんは覚えてもいないかもしれませんが、俺と秀さんが初めて出会ったのは中学校の時です」

「マジ? 同じ学校だったの?」

「はい、一緒でしたよ。相模森さがみもり中学校です」

「マジかよ……全然覚えてねーわ」

「覚えていないのも当たり前ですよ。出会ったと言っても一回もお話ししたことはなかったですし。俺が一方的に秀さんのことを知ってて……好きだったわけですし」

「話した事もないのになんで俺なんか……」

「……気づいてなかったかもしれませんが、秀さんは結構女子生徒から人気でしたよ」

「え……マジ?」

「嬉しそうな顔してる……」

「そりゃそーだろ」

「それで俺も知ってましたし……普通に一目惚れでした。校内でたまたますれ違った時とか、行事ごとで見かけるたびに目で追ってました」

「……おう」

「そしたら、秀さんが大槻おおつき先輩に告白されているところをたまたま見ちゃったんです……」

「あぁ、そんな事もあったな」

「すっごくドキドキしました。告白の現場を初めて目撃してしまったというのもありましたけど、好きな人が告白されているんです。嫌な意味でもドキドキしました」


 当時のことを思い返しているのか、叶向はぼうっと天井を見つめている。


「二人は付き合っちゃうのかなって、俺悲しくなりました。大槻先輩は可愛らしい人でしたし、普段から秀さんと親しくしてるのは知っていましたから」


 気まずそうに叶向は手遊びを始める。


「でも、秀さんは大槻先輩の告白を断ってました。大槻先輩は泣いちゃってて、秀さんも悲しそうな顔してて……その時の秀さんの表情が今でも忘れられなくて。こんな悲しい表情で取り繕ったように笑ってて、すごい、すごく優しい人なんだって。俺、大槻先輩が羨ましかったです。好きな人にそんな表情をさせるなんて……好きになってよかった、って再確認させられたみたいで……でも、俺だったら秀さんにそんな顔させたりしないのにって、勝手ですけどずっと、ずっと想ってきました」


 叶向は秀に改まって向き直る。


「いろんなところをすっ飛ばしてしまったのは反省してます……。でも、秀さんのことが好きな気持ちは本物です。だから俺のこと、そういうふうに意識して欲しいです」


 そこには普段のおちゃらけた叶向の姿はなく、真剣に一人を求める二つの瞳が光っていた。

 真っ直ぐに自分を映すその瞳に、秀は視線を逸らすことすら出来ずに吸い込まれそうな居心地の悪さを感じる。


「気持ちは嬉しいけど……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る